第二十三章
やがて大明神は、石段を上ぼり、社壇に入ろうとする。その時、通夜の大衆の一人、某の僧都が明神の前にひざまずく。涙を流しながら訴える。
「大明神、我々が三摩耶戒壇を建立したのは、勅許を求め、大方認められたいたからでごさいます。それをただ一寺、叡山が反対したのでございます。ただ私利私欲のため。そもそも、戒壇を立てるのは、山も寺も同じく、ただ天台法華を世に広め、仏道興隆を目指すもので、賛同こそすれ、非難されるべきものではありません。公も他宗も異を唱える者はいないでしょう。
それなのに、山門は、戒壇にはあれやこれやと魔障をなして、あまつさえ此度は当寺を焼き尽くしたのでございます。
この山門の非道には、明神仏陀もさぞ心を悩ましておられると思っていましたのに、当寺と敵対する山門の守護神、日吉山王に対して宴を設け、興を尽くして遊び戯れなさるとは、いかなる神慮でございましょう。我々には、はかりがたいことでございます。」
大明神は、えたり顔で大衆すべてを呼び集める。
「衆徒たちよ、皆の申すことは一見理にかなっているようで、物事の一隅しか見ていない管見であるよ。
そもそも、明神仏陀が利生方便を教え示す時、非を是として福を与えるのは、まことの思いやりとは言えないのじゃ。たとえ是であっても、それを非として罰を与えるのも、実は慈悲の心がなせるものなのじゃ。それが方便なのだよ。
なぜおぬしらに罰を与えたのか。
果をもたらす縁には、順縁と逆縁の二縁がある。我らはおぬしたちに、逆縁をもって無上菩提の果に赴かせようとしたのじゃ。私が悦んでいるところがわからないようじゃのう。
仏閣僧房が焼けた。おぬしらが造営勧進に一意に努めれば、衆生には財施の利益をもたらすことになるであろう。
経論聖教が燃えた。おぬしらが経典を専心して書写すれば、自らに伝写の結縁を与えるのだ。
おのれら次第で、非は是となり、逆は順となる。
有為のこの世に現れた報仏は、どうして生滅の真理を表さないことがあろう。
わしに願をかけた桂海が、この乱によって発心したのも逆縁。多くの衆生を化導する機縁になろうと思うて歓喜の心を表したのじゃ。山王もこれを喜んでわざわざおいでになった。その宴である。
そもそもは石山の観音。童男に変化して報仏として現れての桂海の得度。まことにめでたい大慈大悲であることよ。」
と言って大明神が帳の内へ入ったと思われたところで、通夜の大衆三十人は一斉に夢より覚める。
口々に語る夢の情景は、寸分もたがわず一致する。
(注)結縁=未来に成仏する機会を作ること。
有為=はかないこと。
報仏=報身仏、修行によって仏となった者。阿弥陀仏など。
生滅の真理=原文「生滅の相」。
わしに願をかけた=第八章、新羅大明神への願掛けと言って梅若の書院に行っ
た。
得度=悟りを開くこと。