第十六章
梅若は、外の世界がどうなっているかなどとは知る由もない。ただ石の牢に押し込められて明け暮れ泣き沈んでいるばかりである。
と、外が騒がしい。
大勢の山伏が集まって四方山話をしているようだ。
ある子天狗が言う。
「我らが楽しみは、人の不幸や争いごと。火事・辻風・小喧嘩・相撲の物言い言い争い・白河童の印地打ち・山門南都の神輿の強訴・五山の僧の激論争、どれも面白い見ものであるけれど、昨日の三井寺の合戦は、近来まれな見もので会ったな。」
そばにいる別の天狗が言葉を継ぐ。
「そりゃ、我らが梅若君をうまいこと略奪したことが事の起こりじゃ。
お寺はお山がかどわかしたと思うて、この大戦(おおいくさ)、空から見下ろせば、
寺門は、門主をはじめとして、皆々長絹を引きずり引きずり、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う様はおかしくて仕方ない。
思わず狂歌を一首、詠みもうしたぞ。」
上座に座る大天狗が聞く、
「何と詠んだのだ。」
「お聞きください。
うかりける恥三井寺のあるさまや戒をつくりてなをのみぞなく
(お気の毒な事だよ、恥を見た三井寺の有様は、戒壇を作って、泣きべそをかいて、
声に出して泣くばかりだよ。)
いかがですか。」
座中の天狗たちは、笑壺に入って笑い興じる。
天狗どもががなり立てる声は、石牢まで一句残らず届く。
「ああ、なんということ。それでは、三井寺は、私のせいで滅びてしまったのか。」
しかしながらここは石牢、尋ねる相手もいない。梅若は桂寿と二人泣くよりほかないのである。
(注)子天狗=天狗は山伏・修験者が修行を経て空駆けるなど超越した能力を持つ者。
子天狗は修行が足りず能力は劣る。
空印地打ち=空に向かって礫を投げる石合戦。
戒をつくり=戒壇を作る、と、貝を作る(蛤の貝のようにへの字でべそをか
く。)の掛詞。