序 その5
どれほどの年月が経ったであろうか、ある冬の日、一人の僧が般若谷を訪ねてきた。聞くと、美濃の国の祐向山(ゆうこやま、または、いこやま)にあるという山寺から円頓授戒に来た戒者という。一人の若僧がここ数月投宿して修行に打ち込んでいる。その僧が、寺に比叡山に赴く戒者いると聞いて消息を託したそうである。
その状に曰く、
山を下りて法輪寺を後にして、(法輪時については別記の日記をご覧ください。)
諸国、霊験あらたかな所々を参詣経廻り、今は美濃の国、祐向山の文殊寺と申します
所で、修行しております。
すると、その寺に近々受戒のために叡山に出立する僧のあると聞きまして、この状
を託したのでございます。
念仏の勤行を積みまして、後生(ごしょう)の時は近付いてきたように思われま
す。畏れ多くも、名利の煩いを離れて後世を期すお勤めに励みなされませ。
旅立った時のお約束をお疑いなされますよう。
私はきっと皆さまを極楽浄土へ誘う友となる所存でございます。
兄弟子様、この旨を房主の阿闍梨の御坊にも、お伝えいただきたいと存じます。取
り急ぎの便りで申し訳ございません。これよりまた、他国へ出立しようと思っており
ます。
はばかりながら、御両人とも、よくよく念仏をお唱えくださいませ。この世の情け
は一瞬のものです。後世の勤めは永遠の貯えとなるのです。
ご返事には及びません。所を定めておるのであれば、お手紙をいただくこともでき
ましょうが、世間の人と結縁しようと、日本国津々浦々を経廻(けいかい)いたして
おりますので、その術もございませんでしょう。
別に添えました日々の修行の日記をご覧ください。返す返すも、念仏のお勤めに御
励みください。
あなかしこ、あなかしこ。
原文
(明かし暮らすほどに、)その後、美濃の国、*祐向といふ山寺より、受戒しにとて山へ上る戒者に付けて消息を送る、その状に、
山上を罷り出でて候ひし時より、先づ*法輪に参詣して、祈り申しけること候ひ
き。
その間の日記▢、別紙に記してまい▢▢▢。
法輪を罷り出でて、諸国霊験、所々拝見し巡りて、美濃の国祐向、文殊寺なむど申
す所に拝みて候ふほどに、戒者に付けて申し候ふなり。
念仏の勤行功積もり候ひて、往生の期、近く罷りなりて候ふ。*あなかしこ、*名利
の御供を離れて、後世の御つとめ候ふべし。契約は御疑ひ候ふべからず。必ず*一仏
浄土の伴となり参らすべく候ふなり。
この旨をもて、房主の阿闍梨御房に申し給ふべく候ふ。急々の*便宜(びんぎ)に
て▢▢▢▢す▢。これよりまた、他国に赴き候ふ。
あなかしこ、あなかしこ。両人、よくよく念仏申させ給ひ候へ。今生の情けは一旦
の事なり。後世の勤めは累劫の貯へなり。
御返事は候ふべからず。所を定めて候はば、賜るべく候へども、世間の人、結縁の
ために日本国を経廻(けいくわい)し候ふなり。
日来の修行の日記をご覧じ候ふべし。返す返すも念仏のお勤め候ふべし。あなかし
こ、あなかしこ。
祐向といふ山寺=原文「ゆかう」。岐阜県本巣市に「祐向山(ゆうこやま)」
(続ぎふ百山)があり、山城があって、いこやまじょう、ゆうこうのやましろ
とも呼ばれたようである。所在地辺りの近世の村名には、法林寺村、文殊村が
ある。
あなかしこ=仮名の消息(手紙)の文末に用いられた結語。男女とも用いた。こ
こでは、「おそれ多いことですが」との意味で挿入的に用いている。
名利のお供=「名誉や利益と一緒にいることを離れて」の意か。
一仏浄土=阿弥陀仏の極楽浄土。
便宜=情報を伝える手紙や情報。たより。