第六章
聖護院に戻った童は、梅若の許に伺う。
「梅若君、昨夜あるお方から文を預かってまいりました。
いつぞやの夕べ、雨の中を花の木陰に立ち出でなさったことがございましたでしょうか。その折、垣間見られた数寄人がおりましたのでございます。君の美しさに、たちどころにお心を奪われ、袖が紅に染まるほど悲しみの涙を流し、自分の心も抑えられないほどでございました。
その方のお気持ちが綴られたお手紙です。
ご覧になっていただけないでしょうか。そして、返りごとでもあれば。」
梅若は頬を赤らめながら受け取って紐を解こうとする。
折しも渡殿のきしむ音がする。出世の僧都が入ってくる。
梅若はとっさに袖の内に押し隠し見せまいとする。恋文など見つけられたらただでは済まない。左大臣家の御曹子だ。
教学が始まった。やっかいだなと思っても、桂寿はどうすることもできない。縁に腰かけて待つしかない。日暮れの頃にはお勉強も終わるだろうとぼんやりしていると、しばらくして書院の窓から手だけがそっと出る。白く細やかな指に挟まれたたとう紙。
返書である。
おやおや、あの厳しい僧都の目を盗んで、どうやって読んでどうやって書いたのだい。まあいい、律師はまだあのお宅にいるのかな。
童は急いで手紙を届ける。
律師は目を輝かせて、居ても立っても居られない様子で手紙を童から奪い取る。稚児の文にも言葉はなく、和歌だけが書かれている。
憑(たの)まずよ人の心の花の色にあだなる雲の懸る迷は
(あてにはなりません。人の心は移ろいやすい花の色のようなもの。浮気な雲が迷
わせてもどうなるものか。)
(注)袖が紅に・・・=原文「袖ノ色モハヤ紅ノフリ出デテ泣ク計ニ」
「ふり出づ」は、①紅色に染める。②声を出す。の両義がある。「紅にふり出
でて泣く」は、「声を出して泣く」の意と、「紅涙(悲しみの血の涙)を流
す」の意が掛けられている。
出世=貴種に近侍し教学を教える僧。梅若の教育係であろう。
たとう紙=懐紙。
憑まずよ・・・=一見拒否しているように見えるが、相手を信用していないだけ
で、期待を抱かせる歌である。