religionsloveの日記

室町物語です。

秋夜長物語⑩ーリリジョンズラブー

第九章

 律師はこれを聞いて、心浮かれ魂乱れ、地に足がつかない。

 夜更けて、鐘撞く音をつくねんと聞き、月が南へ廻るのさえ待ちかねていると、白壁の門の戸を誰かが開ける音がする。書院の杉障子から見やると、例の童が魚脳提灯を持って立っている。

 二人の姿が暗闇に薄青くおぼろげにかすんで浮かび上がっている。梅若のしなやかでしっとり濡れた金紗の水干がほのかに光っている。

 かかりの木の下で、辺りを気にしながら佇んでいる梅若にそよ風に揺られた柳の枝がまつわりつく。ためらいがちで不安げな面持ちがいじらしい。

 桂海は息をするのも忘れ、ぼんやりと梅若を見つめている。

 桂寿が先に入り、紗窓の軒の簾台の端に蛍の灯を掛け、書院の戸をとんとん叩く。

 「こちらにお渡りしてよろしいものでしょうか。」

 と取り次ぐが、桂海は言葉を発することもできず、ただ、声する方にいざり寄る。その気色で存在を伝える。童は聡く、直ちに庭に戻り、

 「確かにこちらです。ささ、早く。」

 と申し上げると、若君は前に立って妻戸を入る。

 桂寿は見届けると、後に続かず、外からそっと妻戸を閉める。

 

 今、目の前に梅若がいる。塀越し遠く見やって、あの袖の移り香がこちらに届けと願っていた、その梅若が今は身に触れるばかりに寄り添い、芳香をくゆらせながら、我が方に肢体を傾きかける。

 美しくたおやかな秋の蝉のような初元結、緩やかに弧を描く三日月の黛の鮮やかさ、花にも妬まれ、月にも恨まれそうな百々のかんばせ、千々の媚、絵に描こうとも筆に及ばず、言葉にしようとも語り尽くせない。

 桂海の心は、苦しさ・悲しみ・懊悩、様々が絡み合って鬱屈に凝り固まっていた。それが徐々にうち解けていく。

 やがて下紐もうち解ける。

 桂海と梅若は枕を交わす。

 浅からぬ縁、二人の行く末をねんごろに語らう。

 

 閨は寒く、夢は醒めやすく、時は無情に過ぎて行く。

 東雲の時を告げる鳥の声も恨めしく、悲しみの涙もとめられない。桂海は、冷え切った着物を着る。有明の月が西の窓からくまなく差し込み、梅若の寝姿を浮かび上がらせる。

 寝乱れた髪がはらはらとふりかかっている。かかり際の眉の辺りがぼうっと明るく、ほのかに憂いを含んだ表情。

 「私は再び逢うまでこの面影を、記憶にとどめて居られるだろうか。」

 桂海は、自問した。

 

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(注)魚脳提灯=魚の頭部の軟骨を煮て半透明にして覆いに用いた提灯。

   金紗の水干=金色の糸で刺繍した薄い絹織の水干。

   紗窓=薄絹を張った窓。

   初元結=元服の時、初めて髪を結った紫色の組紐。ここでは紐飾りの美しさでは

    なく、初々しい元結姿の髪の美しさを表したものか。

   美しくたおやかな・・・=原文「嬋娟タル秋ノ蝉ノ初元結、宛転タル峨眉ノ黛ノ

    匂」は美人の形容の常套表現。

   百々のかんばせ、千々の媚=様々に見せる美しい表情、様々に見せる魅惑的な媚

    態。