第十九章
夜が明ける。梅若がつぶやく。
「ご門主様は、どこにおられるのでしょう。」
桂寿は記憶の糸を手繰る。宗の違いはあるが石山の座主とは親しい間柄だったような・・・
「ひょっとしたら、石山寺に身を寄せているかもしれません。ここは、石山の観音様を目指して参りましょう。」
昨日は京から三井寺の三里、今日は三井寺から石山寺の二里半、深窓育ちの若君にはつらい道のりのはずである。しかし、律師を追って山へ向かった時とは違う。弱音を吐かない。というより、心が弱音を吐くに至っていない。他の何かにとらわれている。
石山寺に着く。
門主の名を出すと、誰もが皆、知らぬ知らぬの一点張り。本当におらぬのか、名を出すことが憚られるのか。山の追手は厳しいのだ。
桂寿は思案に暮れる。
もうあの人に縋るしかない・・・
「梅若様、かくなる上はあの方をお頼りするしかございません。
君は、今宵はこの本堂で、参籠者に交じってお過ごしください。私は叡山へ上りましょう。律師の御房を訪ねて参りましょう。」
これが梅若君をお救いする唯一の手段、私がしっかりしなければ、とも思うが、桂海に逢って安心したい、励ましてほしい、慰めてほしいとも思う。桂寿も童、心細いのである。
若君はうつろな顔で聞いている。心は童に向いてはいない。
何がわが身をこうさせたのだろう。何千何万もの人を巻き込み、大戦(おおいくさ)まで引き起こしたのだ、との自責の念に苛まれる。
桂寿は、慰め励まし、身を献じてくれる。つらいのだ。かえってそれが痛い。
どうしてあの人を好きになったのか。桂寿の媒(なかだち)さえも恨めしく思われる。あの人に縋って、私は救われるのだろうか。私の選ぶべき道は・・・
心の内に深く思いを定めると、かえって桂寿の申し出は助かる。桂寿が律師のもとに旅立てば、もう引き留める者はいない。
「桂寿よ、律師の許に行くのであれば、私も文を託しましょう。」
桂寿は、心の紐を固く締め、足取り強く山へ行く。
梅若は、心の淵に思いを沈め、とわの別れと遥かに見送る。
桂海こそ古今無双の剛の者と讃えられる。
噂は膨らむ。単身敵陣に乗り込んで、取った首級は三千三万とも喧伝される。座主を始め、高位の僧たちも、事あるごとに桂海を召し、また、自ら書院を訪れる。
しかし、周囲が、世間が称賛すればするほど桂海の心は沈潜する。
私は、菩提の道を求め、衆生を済度するために仏の道に入ったのではなかったか。観世音に祈り、遁世修行を願っていたのではなかったか。それが今、人々には、名利を求め、武勇に驕ったものとしか見られない。賛意を込めているにせよ。
いずれは一山の主にと、本人自身を蚊帳の外にして、あれこれ口のさがない取沙汰。
私は何をしているのだ。これからどうしようというのだ。
あの稚児一人さえ救ってやれなかった。
成り行きだとか定めだとかいうのではない。
私に仏の力が宿っていなかったのだ。妄執邪念が虚飾の袈裟をまとっているのがこの私だ。
自責の言葉が次から次へと胸裏に浮かぶ。慚愧噬斉(ぜいせい)堪え難い。
と、聞き覚えのある声がする。
「律師殿、桂寿でございます。梅若様からお手紙を預かってまいりました。」
上気した桂寿の顔をそれと認めるが、口が音を発せない。両の目から涙が溢れる。童も袖を抑えて涙をぬぐう。
二人は違う涙を流している。
桂寿は、この間に起こった数奇を桂海に語りたくて仕方がない。桂海は語り出すのを手で制し、まずは文を読んでからと、押し開く。
我が身さて沈みも果てば深き瀬の底まで照らせ山の端の月
(私の身体がこのまま沈んでしまったならば、深い流れの底まで照らしておくれ。山
の端の月よ。そして、私が死んだら、深い逢瀬を交わしたお山にいる月のようなあ
なたよ、私のことを見守ってください。)
(注)石山寺と三井寺=石山寺は真言宗、三井寺は天台宗寺門派。しかし例えば、紫式
部は石山寺で「源氏物語」を執筆したというが、式部の父藤原為時が式部没二
年後に三井寺で出家するなど三井寺との関係も深い。敵対する勢力関係ではな
かったのではなかろうか。
慚愧噬斉=慚愧は恥じ入ること。噬斉はほぞをかむ(後悔する)こと。