religionsloveの日記

室町物語です。

秋夜長物語⑳ーリリジョンズラブー

第十九章

 夜が明ける。梅若がつぶやく。

 「ご門主様は、どこにおられるのでしょう。」

 桂寿は記憶の糸を手繰る。宗の違いはあるが石山の座主とは親しい間柄だったような・・・

 「ひょっとしたら、石山寺に身を寄せているかもしれません。ここは、石山の観音様を目指して参りましょう。」

 昨日は京から三井寺の三里、今日は三井寺から石山寺の二里半、深窓育ちの若君にはつらい道のりのはずである。しかし、律師を追って山へ向かった時とは違う。弱音を吐かない。というより、心が弱音を吐くに至っていない。他の何かにとらわれている。

 石山寺に着く。

 門主の名を出すと、誰もが皆、知らぬ知らぬの一点張り。本当におらぬのか、名を出すことが憚られるのか。山の追手は厳しいのだ。

 桂寿は思案に暮れる。

 もうあの人に縋るしかない・・・

 「梅若様、かくなる上はあの方をお頼りするしかございません。

 君は、今宵はこの本堂で、参籠者に交じってお過ごしください。私は叡山へ上りましょう。律師の御房を訪ねて参りましょう。」

 これが梅若君をお救いする唯一の手段、私がしっかりしなければ、とも思うが、桂海に逢って安心したい、励ましてほしい、慰めてほしいとも思う。桂寿も童、心細いのである。

 若君はうつろな顔で聞いている。心は童に向いてはいない。

 何がわが身をこうさせたのだろう。何千何万もの人を巻き込み、大戦(おおいくさ)まで引き起こしたのだ、との自責の念に苛まれる。

 桂寿は、慰め励まし、身を献じてくれる。つらいのだ。かえってそれが痛い。

 どうしてあの人を好きになったのか。桂寿の媒(なかだち)さえも恨めしく思われる。あの人に縋って、私は救われるのだろうか。私の選ぶべき道は・・・

 心の内に深く思いを定めると、かえって桂寿の申し出は助かる。桂寿が律師のもとに旅立てば、もう引き留める者はいない。

 「桂寿よ、律師の許に行くのであれば、私も文を託しましょう。」

 桂寿は、心の紐を固く締め、足取り強く山へ行く。

 梅若は、心の淵に思いを沈め、とわの別れと遥かに見送る。

 

 桂海こそ古今無双の剛の者と讃えられる。

 噂は膨らむ。単身敵陣に乗り込んで、取った首級は三千三万とも喧伝される。座主を始め、高位の僧たちも、事あるごとに桂海を召し、また、自ら書院を訪れる。

 しかし、周囲が、世間が称賛すればするほど桂海の心は沈潜する。

 私は、菩提の道を求め、衆生を済度するために仏の道に入ったのではなかったか。観世音に祈り、遁世修行を願っていたのではなかったか。それが今、人々には、名利を求め、武勇に驕ったものとしか見られない。賛意を込めているにせよ。

 いずれは一山の主にと、本人自身を蚊帳の外にして、あれこれ口のさがない取沙汰。

 私は何をしているのだ。これからどうしようというのだ。

 あの稚児一人さえ救ってやれなかった。

 成り行きだとか定めだとかいうのではない。

 私に仏の力が宿っていなかったのだ。妄執邪念が虚飾の袈裟をまとっているのがこの私だ。

 自責の言葉が次から次へと胸裏に浮かぶ。慚愧噬斉(ぜいせい)堪え難い。

 

 と、聞き覚えのある声がする。

 「律師殿、桂寿でございます。梅若様からお手紙を預かってまいりました。」

 上気した桂寿の顔をそれと認めるが、口が音を発せない。両の目から涙が溢れる。童も袖を抑えて涙をぬぐう。

 二人は違う涙を流している。

 桂寿は、この間に起こった数奇を桂海に語りたくて仕方がない。桂海は語り出すのを手で制し、まずは文を読んでからと、押し開く。

 我が身さて沈みも果てば深き瀬の底まで照らせ山の端の月

 (私の身体がこのまま沈んでしまったならば、深い流れの底まで照らしておくれ。山

  の端の月よ。そして、私が死んだら、深い逢瀬を交わしたお山にいる月のようなあ

  なたよ、私のことを見守ってください。) 

 

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(注)石山寺三井寺石山寺真言宗三井寺天台宗寺門派。しかし例えば、紫式

    部は石山寺で「源氏物語」を執筆したというが、式部の父藤原為時が式部没二

    年後に三井寺で出家するなど三井寺との関係も深い。敵対する勢力関係ではな

    かったのではなかろうか。

   慚愧噬斉=慚愧は恥じ入ること。噬斉はほぞをかむ(後悔する)こと。