第五章
律師は夢に現に現れた梅若の面影に、まどろむことも起き上がることもできず毎夜を過ごし、昼は昼で悶々とした日々を送っている。
何か手掛かりはないだろうか。
一人の旧知を思い出す。
「あの御仁は確か聖護院の近くに住まわれておったような。」
詩歌の会のついで、酒宴の道すがらと折にふれて訪ね、一夜二夜と語り明かす。
「いつぞやお見かけしたのであるが、このお近くにございます聖護院に目鼻立ちの整った童がいるような。そなたはご存じであろうか。」
と尋ねると、亭主はにやりと笑う。
「ほう、お気に召したのですかな。その童なら知っておる。梅若君にお仕えする桂寿丸のことでござろう。見目もよく情も深く、上下誰にも可愛がられている美童でござるよ。」
「その桂寿という童、ここに呼び寄せることはできぬものかな。」
「わけもないこと。すぐにでも。」
と茶をたてて、酒宴を設け桂寿を招く。
やってきた桂寿が桂海に気づかぬわけはない。しかし、怜悧な桂寿はそ知らぬふりして接待に応じる。酒や菓子に無邪気に喜んで見せ、亭主の語らいには即妙に答える。なるほど、人の心を離さない。寺中のお気に入りになるのもむべである。
そして、桂海の心を見透かすように自らは語りださず、時機を待っている。
宴果てて亭主が酔いに伏しまどろむ頃、
「ぬしはもうお気づきであろうが、私は過ぐる日、そなたの君、梅若君をお尋ねした比叡山の僧、桂海律師と申す者だ。
前世の宿縁であろうか、夢に現に梅若君を見申し上げて後は観念座禅の行学に打ち込むこともできず、寝ても覚めてもかの君のことが気にかかり、迷いの月は晴れず、心の花は開かない有様だ。
桂寿よ、私を助けると思って便宜をはからい、そなたの御所を垣間見て、花の木陰に戯れるあのお姿を今一度拝見させてくれぬか。さすれば、憂世のつらさのいささかも晴れ、お山へも戻ろう。
いや、かような妄執止み難きを、逢うて久しくもないそなたにお打ち明けするのもいかがなものかとは思うたが、心の中に積もる思いを言い尽くさないでは、仏陀に願いも届かず、わが身の行く末もどうなることにか。」
思いのたけが湧き出でる泉のように溢れる。一語一語が勁くて重い。豪宕俊逸の桂海の目にも涙が光る。桂寿はじっと見つめて視線をそらさない。何かを推し量っているようである。
「なるほど、あなたの心の深いことは十分思い知れました。あの方は素晴らしいお方です。慎み深く、どなたにもお優しい。されど、というかそれだからこそ、ただお一人の方に情けをかけることがありましょうか。いやそれもわかりません。
御文をお書きになったらいかがでしょうか。お心に届くこともあるやもしれません。私がお取次ぎいたしましょう。きっと。」
桂海、嬉しさに次から次へと言の葉が浮かび上がる。書き尽くさんとすれば紙を何枚黒く塗りつぶしても足りない。それならかえってこの方がと、和歌一首だけ書きつける。
知らせばやほの見し花の面影に立ちそふ雲の迷ふ心を
(あなたにお伝えしたい。ほのかに見た花のように美しい面影を慕い花に添う雲の
ように思い迷う私の心を。)
(注)観念=真理を悟ろうと念じること。
座禅=端座念思し悟りの道を求めること。
豪宕俊逸(ごうとうしゅんいつ)=豪快で心が広く、しかもその才能が優れ秀
でていること。