第十一章
桂海は、夢とも現ともわからない梅若の面影と、自分のものとはいいながら己の袖に残る梅若の面影移り香をよすがとして山へ上る。
心しおれて人に語りかけられてもろくに返事もしない。泣くでもないのに自然と涙があふれ、抑える袖も朽ち果ててしまいそうである。病と称して人とも会わず、床に伏して、物思いに沈んで日々を送る。
聖護院。桂寿が庭先にいると、以前桂寿が招かれた桂海と旧知の僧が声をかける。
「桂寿殿、過日わしの房で宴を開いた折の桂海律師を覚えておいでか。あの方は比叡山東塔の勧学院の宰相であるが、山から下ってきた者によると、近頃病に臥せっているとのお噂、あの剛健な方がのう。」
桂寿が梅若に仔細を伝えると、梅若はまことにもどかしそうに思いくずおれ、常にさえ内端な性格であるが、ますます悄然としている。
たとえ病であっても、まことの心あるならば消息の一つもあるはずであろう。やはりあだし心?それとも文も書けぬほどに弱っておいでか?心は千々に乱れるが日数は空しく経っていく。
若君は意を決し、童を呼ぶ。
「桂寿よ、あの夜の夢の直路(ゆめのただじ)のような逢瀬は、まことに現かと思われるほどなのに、本当のことだよと目を覚まさせてくれるような便りも来ません。誰がつらいと思っているかわかっているのでしょうか。このまま私から遠ざかってしまうおつもりでしょうか。そなたから、あの方が風邪の心地と聞きましたが、のようにはかない人の命いつどうなってしまうかわかりません。もしはかなくなったとしたら、その亡き跡を訪ねたところで何の甲斐もありません。
どんなに奥山深くても私は桂海さまを訪ねていきたい。
しかし、何も申し残さずにこの院家から消えてしまったなら、門主様のみ心にさぞや背くことになるでしょう。私にはできないことです。
どこへ行ったかもわからないあだ人が言い捨てて言葉を、まことめかして私に心を付けて本気にさせたのは、誰の仕業でしょう。
そなはた律師と昵懇なのであろう。詳しいお住まいもご存じのはず。たった今からでも私を導いてあの人のもとへ。たとえどんな山々でも、たとえどこの浦々でも。
でも・・・」
と訴え嘆く。涙がはらはらこぼれる。
初恋。
桂寿は思う。
若君の初めての人。純情なのだ。そのこと以外は何も考えられない。何も手がつかないのだ。私など及ぶべくもない。
「その方の在所は、私が詳しく伺っております。お供をいたしましょう。
でも・・・とおっしゃいました。若君が失せたとあれば、門主様もきっとお心を害されましょう。しかしそれはその時、後で何とでもお取り繕いななれるがよろしいでしょう。」
そういうより外はない。
桂寿とてもさほど詳しいわけではない。戸津の浜までしか行ってないのだから。
若君と桂寿、二人してどこへ行くとも確かならず、ただ山を目指して出立する。
(注)夢の直路=夢の中で恋しい人のもとへ通ずるまっすぐな道。
心を付ける=桂海が梅若に心を付ける(想いをかける)とも、梅若に桂海に対し
ての思いを付ける(好意を起こさせる)とも解釈できる。