第二十一章
旅人の語る年の程、衣装の様は疑いもなく梅若。
律師も童も全身から力が抜ける。その場に倒れ伏してしまいそうになる。
いや違う。ここはとにかく瀬田の唐橋へ。輿を舁く中間・下法師は言わずとも心得、前にも増して疾駆する。
唐橋に着く。と、端の柱の擬宝珠に、金襴の細緒の護符が碧瑠璃の小念珠を添えて掛けられている。
このお守りは、若君が肌身離さず持っていた・・・
桂海も桂寿も、咄嗟に川に飛び込もうとする。同宿は顔を青ざめ桂海に縋り付く。桂寿にも取り付く。なおも振り切り飛び込もうと暴れるが、十人二十人と群がり、必死に止める。
急流なのである。いかに水練の達人だとて、この流れにはかなわない。
小半時ほどして、ようやく桂海も心鎮める。
桂寿はしゃくりあげて泣き続けている。
この淵に沈んでは、命あるべきは望まれない。しかし、せめて、亡骸を探し出し、供養して、後追うよすがにしようと思って、漁師が乗り捨てた、小舟に乗って波の底を見る。同宿・仲間はもろ肌脱いで、下流に向けて岩の間、岸の影まで、残るくまなく捜したが、その影さえも全く見えない。
律師・童は声の限り、若君を呼ぶ。
大衆も大音声で尋ねるが、さらに返す音もない。天に地に若君を探す言葉がこだまする。
何刻過ぎたであろうか、供御の浅瀬まで探し下って流れが止まった淀みの岩陰に、紅葉が浮き溜まっているかのように朱色が揺らめく。あの紅は、若君の小袖?船を近寄せてみると、岩越す波に揺られながら、漂っているのは正しく梅若。
長い髪は波間に揺られ川藻に絡まり、生前の顔そのままに笑みをたたえて浮いている。
桂海は自ら梅若を引き上げる。顔をおのれの膝に抱きかかえ号泣する。人目を憚ることなく泣き続ける。桂寿は冷たくなった両足を温めるようにそっと自分の胸に抱き入れ、さめざめと泣いている。
「このようなお姿になって・・・我らをどうしようと思って、かようなことに及んだのだ。梵天よ、帝釈よ、天神よ、地祇よ、我らの命を召しとるなら、どうぞ召しとってください。その代わり、もう一度、一度でいいから、目を開けて、生きている姿を見させてください。」
虚空に向かって咆哮する。
枝から落ちた花は、二度は咲かない。
西に傾いた残月は再び中空に還ることはない。
ぐっしょり濡れて色鮮やかになった紅梅の小袖からは雫がぽとぽと滴り落ち、はだけた襟から見える雪のような肌の胸は、冷え切っている。黛が濡れ崩れて、髻(もとどり)の解けた翠の髪がこぼれかかっている。類なく美しいかんばせは、生前と変わらない。しかし、一たび微笑めば、百の媚を振りまく瞳はふさがり、顔色も白く変わり果てている。
律師も童も、枕元足元にひれ伏して、死に絶えんばかりに泣き沈み、同宿・仲間・下法師に至るまで、苔の上に伏しまろび、泣き声のやむ時はない。
桂海は、そっと梅若の下紐を解く。優しく袴と小袖を脱がす。純白な裸体が露わになる。体全体が冷気にまとわられて、寂光を放つようである。
桂海は、自らも墨染めの衣を解き、一糸まとわぬ体となる。
両の腕で梅若の肢体を抱き起すと逞しい己の胸に胸の内に強く抱擁する。膚(はだえ)と膚をぴったり合わせ、自分の血潮の熱さを梅若に伝えようとする。
甲斐なきこととは知りながら、もしやあの笑顔が取り戻せるものならと、梅若を温め続ける。
桂寿は二人の上から法衣をそっとかける。
桂海が梅若を抱いたまま、人々は粛然と通夜を営む。
夜が明ける。京でなければ鳥辺山も化野もない。近くのしかるべき山を探して、梅若を荼毘に付す。
梅若は、一片の煙になって空に昇っていく。
煙を見届けると、同宿・仲間たちは、てんでに山へと帰っていく。律師だけが残る。童も立ち去らない。一堆の灰を前に三日の間泣き暮らす。
このまま後を追おうか、とも思う。
——底まで照らせ山の端の月——
今わの際に贈られた梅若の歌を思い出す。
川底に沈んだ私を照らし続けてほしい・・・
梅若は、私に生き続けてほしいと願ったのだ。
生きて照らし続けてほしいと望んだのだ。
照らす?梅若の跡を?それだけではあるまい。月は暗き夜にあって、あまねく此岸を照らしているのだ。衆生の上に優しい光をそそいでいるのだ。
観音に詣でて誓ったのは、この本願ではなかったのか・・・
「桂寿よ、私は比叡の山には戻らぬことにした。若君の後の世を弔って、さらに色濃い墨染めに、衣を変えて、山野を斗藪(とそう)しようと思う。おぬしはどうする。」
一緒に行きたい。連れて行ってほしい、とは思う。しかし、それは桂海の望む答えではない。わかっちゃいないのだ。
「律師がそう望むなら、私は私で自分の道を進みます。私も、いつまでも童でいられる訳ではございません。しかるべきつてを頼って、梅若様の菩提を弔いたいと思います。」
桂海は、梅若の遺骨を首にかけ、山野を駆け巡り、野宿・断食・水行と、あらん限りの荒行を試みる。
後に、西山の岩倉に庵を結んで、梅若の後世の菩提を弔う。
桂寿は高野山につてを頼って剃髪し、山中深くに籠って、仏道修行に打ち込んで、再び人里に現れることはなかったという。
(注)供御の浅瀬=実際は瀬田の唐橋の上流にある。緩やかな流れ。
斗藪=行脚・野宿などをして仏道修行に励むこと。