religionsloveの日記

室町物語です。

蓬莱物語④-異郷譚1ー

第四

 さて、紀伊の国名草の郡に、安曇の安彦といって釣を生業とする海士がいましたが、春ののどかでうららかな波に小舟を浮かべて、沖つ方に漕ぎ出して漁をしていたところに、にわかに北風が吹きおろして、波が高く上がって雪の山のようになります。安彦は心が混乱して、舟を渚に寄せようとしますが、風はいよいよ激しく吹き、波はますます荒く打ち寄せたので、やむをえず風に任せ波に引かれて南を指して舟を走らせます。まるで空を飛ぶように一日二日と馳せると、どこともわからない一つの島に吹き寄せられました。

 安彦は多少は落ち着きを取り戻し、舟から上がってその山の様子を冷静に見渡すと、金・銀・水晶が岸を飾り、草木の花もじつに珍しく、聞き慣れない鳥の声がするなど、何につけてもまったく人間のすむ境界とは思われません。

 「ここはきっと九野八極の世界から隔絶された乾坤(天地)の外なのだろう。」と不思議に思いながら佇みとどまっていますと、年の頃二十ばかりの女房たちが七八人、渚に沿って岩の間を伝い歩いて来ます。その様子は、雲の鬢(びんづら)・霞の眉・翡翠の簪・珠の瓔珞・花を飾りった粧いは、なんとも言い表しようもなく、可憐で美しく見えます。安彦をごらんになって大いに驚いておっしゃるには、「そもそもここは蓬莱山といって、遥かに人界から隔てられた清浄の仙境なので、たやすく人が通えるところではありません。なんじはいかなる者で、どうしてここまで来たのでしょうか。」とおっしゃいます。安彦はそのお言葉を受け頭を地につけ手を合わせて申します。「それがしはこれよりかなたの大日本紀伊の国の名草の郡にすまいして、浦辺で舟に掉さして、玉藻を拾い磯菜を取り、また釣竿を携えて魚を取って世を渡る賎しい海士の類です。しかるに私は一葉の舟に掉さして沖に出て魚を取ろうとしたところ、俄かに大風が吹きおろして、波に送られ風に馳せられて、心ならずもこの地に来たのです。お願いですお情けをかけてくださってお助けください。」と申し上げます。女房たちは、「私たちはみんな世の常の人間ではございません。等しく仙家の者です。ですからなんじらと言葉を交わすべき身分ではありませんが、なんじが思いがけずこの地に来たのもまた理由があるのでしょう。きっと生まれてよりこの方心に怒りを覚えることもなく、欲少なく正直で、ものを憐れみ慈悲は深く、その誠実さが天理にかなったので無事にこの場所に来ることができたのです。そういうことならば仙境の様子を見せましょう。先ず冥海の水で沐浴して身を清めなさい。」とおっしゃいます。安彦が沐浴すると、やつれ黒ずんだ肌は、たちまち色白くきめ細やかに若やぎます。また一粒の薬を与えて飲ませなさると、安彦の愚かな迷いの心は、たちまち霧が晴れてさやかな月に向かうようでおのずから悟りの境地に達するようです。

 こうして安彦は七人の仙女に伴われて蓬莱宮の間を巡ってこれを見ると、まことに美妙で綺麗なのです。このような所は生まれてこの方、目に見ることはいうまでもなく、耳に聞いた経験もありません。見ればみるほどますます珍らしく、飽きることは全くありません。また傍らから一人の仙人が立ち現れて、心も言葉も及ばぬほどの美しい衣装が与えられ、天の濃漿(こんず)・玄圃の梨・崑崙の棗などなんとも珍しいものを与えられたので、いよいよ心も爽やかに飛び立つばかりに思われるのでした。

 それから不老門の内長、生殿に連れて行かれ、この仙人が語ったことには、「いやこれはなんじもきっと聞き及んでいることだろう、この宮中に不老不死の薬が秘蔵されていて、たやすく人には施し与えることはないのだけれども、なんじの心が慈悲深く正直で、親孝行であるそのこころざしに感ずる故に、これをなんじに与えよう。」。こういうわけで、この薬を取り出して、瑠璃に壺の内から七宝の器に移し入れて安彦に賜ったのです。安彦はこれをいただいて、「今はいとまを申してふたたび故郷に帰りたく思います。」と申し上げます。「そう思うならば、思いの通りするがいい。」ということですぐに舟に乗せて送り出すと、七人の仙女も岸まで立ち出なさって、東門の瓜・南花の桃・玄雪の煉丹を安彦にお与えになりました。かくて艫綱(ともづな)を解いて冥海に浮かんだところ、南の風がそよそよと吹いて日本の岸に着きました。

 昨日今日出来事だと思っていましたが、帰ってみると故郷は山川は所を変えたかのようで、見知った人はまったくいません。晋の王質が仙境から帰った事、水の江の浦島子が竜宮から帰った昔の例に全く同じです。安彦はやっとのことで七世後の孫に尋ね逢ました。今は安彦も齢三百余年を過ぎていたのです。

 帝はこのことをお聞き及びになり、勅使を立てお召しになりました。安彦は勅命に従って急いで参内いたし、蓬莱山の有様をつぶさに奏聞しつつ、不老不死の薬を帝に献上しました。帝の叡感は深く、安彦すぐさま一度に三位の宰相を下賜なされ、自らは薬を嘗めなさったので、帝の御齢は若く盛りに立ち戻り、長生不死の御寿命を保ちなさいました。

 安彦は七世の孫と一緒に通力自在の仙人となり、今はこの人界も我が住む所にあらずと思って、空を駆け雲に乗って天上の仙宮に上ったということです。じつに素晴らしいことでございます。

原文

 ここに紀伊の国*名草の郡に、*安曇の安彦とて釣する海士のありけるが、春ものどかにうららかなる波に浮かべる小船に掉さして、沖の方に漕ぎ出だし魚を釣るところに、にはかに北風吹き落ちて、波高く上がりつつ雪の山のごとくなり。安彦心地惑ひて、舟を渚に寄せんとすれども、風はいよいよ激しう吹き、波はますます荒う打ちければ、力なく風に任せ波に引かれて南を指して馳せて行く。かくて行くこと飛ぶがごとく一日二日と馳するほどに、いづくとは知らず一つの山に吹き寄せたり。

 安彦すこし心地治りて、舟より上がり山の体を心静かに見渡せば、金銀水晶は岸を飾り、草木の花も世に変はり、聞き慣れぬ鳥の声、何につけてもさらに人間の境とも覚えず。

 「こはそも*九野八極を隔てし乾坤の外なるらん。」とあやしく思ひて立ちやすらふところに、年の頃二十ばかりの女房たち七八人、渚に沿ふて岩間を伝ひ歩み来たりし有様、雲の鬢(びんづら)・霞の眉・翡翠の簪・珠の*瓔珞・花を飾りし粧、心も言葉も及ばれず、らうたく美しく見えけるが、安彦を見給ひ大いに驚きのたまふやう、「そもそもここは蓬莱山とて、遥かに人間を隔てたる清浄(しやうじやう)の仙境なれば、たやすく人の通ふべきところならず。なんぢいかなる者なればここまで来たりけるやらん。」とのたまふ。安彦承り頭を地につけ手を合はせて申すやう、「それがしはこれより大日本紀伊の国名草に郡のすまひして、浦辺に舟に掉さして、玉藻を拾ひ磯菜を取り、また釣竿を携へて魚を取りて世を渡る賎しき海士の類なり。しかるに我一葉の舟に掉さして沖に出でて魚を取らんとせしところに、俄かに大風吹き落ちて、波に送られ風に馳せられて、心ならずこの地に来たれり。願はくは恵みを垂れて助けさせ給へ。」と申す。女房たちのたまふやう、「自ら各々世の常の人間にても侍(はん)べらず。同じく仙家の数にあり。さればなんぢらに言葉をも交はすべきことならねども、汝思ひがけずこの地に来たるもまた故あり。生まれてよりこの方心に怒りを忘れ、欲少なく正直にして、ものを憐れみ慈悲深き、その誠天理にかなひ事故(ことゆへ)なくこの所にも来たる事を得たるなり。さらば仙境の様を見せ侍らんに、先づ冥海の水に浴せよ。」とのたまふ。安彦水に浴すれば、*悴(かじ)け黒みし膚(はだへ)は、忽ちに色白く細やかに若やぎたり。また一粒の薬を与へて飲ましめ給ふに、安彦愚かなる迷ひの胸、忽ちに雰(きり)晴れてさやかなる月に向かふがごとくにて*自然智(じねんち)を悟りける。

(注)名草の郡=紀伊の国にある郡名。

   安曇の安彦=未詳。安曇という姓は海人系の氏族のようである。「安彦}という

    名は「名草」「紀伊」「安曇」で検索をかけてもヒットしなかった。

   九野八極=「九野」は天を九つに分けたその分野。全世界。「八極」は八方。こ

    れも全世界。

   瓔珞=宝石や金属を紐でつないで首や胸にかける装身具。

   悴け=生気を失いやつれる。

   自然智=師の教えによって得たのではなく、自然に悟りをひらいた智。

 かくて安彦は七人の仙女に伴ひて蓬莱宮の間を巡りてこれを見るに、まことに美妙綺麗なり。かかる所は生まれてよりこの方、目に見しことは云ふに及ばず、耳に聞きたる例もなし。見れども見れども弥珍らかに、飽きたることさらになし。また傍らより一人の仙人立ち出でて心も言葉も及ばぬほどの衣装を与へ、*天のこんす(柑子か?)・玄圃の梨・崑崙の棗などさしもに珍しきものを与へたれば、いよいよ心も爽やかに飛び立つばかりに覚えたり。

 それより不老門の内長生殿に連れ行きて、この仙人語りけるは、「いかにこれこそはなんぢも定めて聞き及びけん、不老不死の薬はこの宮中に籠められて、たやすく人には施し与ふることなけれども、なんぢが心の慈悲深く正直にして、親に孝あるそのこころざしを感ずる故に、これをなんぢに与へむ。」とて、すなはちこれを取り出だし、瑠璃に壺の内より七宝の器物に移し入れて安彦に給びてけり。安彦これを給はりて、「今はいとま申してふたたび故郷に帰らん。」と申す。「さらば心に任せよ。」とてやがて舟に送り乗せければ、七人の仙女も岸まで立ち出で給ひて、*東門の瓜・*南花の桃・玄雪の煉丹を安彦に給はりぬ。かくて艫綱を解き冥海に浮かびければ、南の風徐徐と吹きて日本の岸に着きにけり。

 昨日今日とは思へども、故郷は山川所を変へ、知れる人はさらになし。晋の*王質が仙家より帰りし事、水の江の浦島子が竜宮より帰りたりし昔の例につゆ違はず。安彦もやうやく七世の孫に尋ね逢ひたり。今安彦も三百余年を過ぎにけり。

 帝このことをきこしめし及ばせ給ひ、勅使を立て召されけり。安彦勅に従うて急ぎ参内仕り、蓬莱山の有様つぶさに奏聞申しつつ、不老不死の薬を帝にこれを奉る。帝叡感浅からず、安彦やがて一同に三位の宰相になし下され、自ら薬を嘗め給へば、帝の御齢若く盛りに立ち返り、長生不死の御寿を保ち給ふ。

 安彦はまた七世の孫もろともに通力自在の仙人となり、今はこの人界も我が住む所にあらずとて、空を駆けり雲に乗りて天上の仙宮に上りけるこそめでたけれ。

(注)天のこんす・玄圃の梨・崑崙の棗=天・玄圃(崑崙山上にある仙人の居所)・崑

    崙と対をなすが、「渾崙呑棗」という熟語があり、この場合「渾崙」は黒くて

    固く丸いものの意。玄圃梨(けんぽなし)は和名、漢名は枳梖。果実。こんす

    は酒の異称、濃漿(こんず)か。列挙する他の二者が梨・棗からすると果実か

    とも思われる。柑子が連想される。このような形容は未見。作者独自の表現

    か。

   東門の瓜=「秦の東陵侯瓜を長安城ノ東に種う。瓜有て五色甚だ美なり。之

    を青門の瓜東門の瓜と謂う也。(元和本草木門129①)ブログで見た「五

    色瓜」の解説より。出典未確認、孫引きです。

   南花の桃・玄雪の煉丹=未確認。いずれも仙果・仙薬であろう。

   王質=「述異記」に王質という木こりが山中で童子が碁を打っているのを見てい

    たところ気付いたら斧の柄が爛れていて、里に帰ったら知る人は誰もいなかっ

    た(爛柯)という故事がある。

   水の江=京丹後市にある入り江。浦島伝説で有名。