religionsloveの日記

室町物語です。

塵荊鈔(抄)⑩ー稚児物語4ー

第十

 夜も明け方になろうとして、寒々とした磬の音は尽きて読経も果ててしまいました。花若殿もしばらく睡眠に入りなさると、玉若殿が鮮明に夢の中に現れてお告げをなさいます。

 「私は運命の定めがあって、人の身を変じはしましたが、まだこの土に宿縁があって、白い鷹と生まれ変わりました、我が身の追善に千部の法華経の書写ございましたなら、間違いなく成仏して天に生まれ変わるでしょう。追善供養なさっていただけるなら、同時に三十二人の舞童に百二十帖の舞楽をを舞わせ、そうして舞台一面に卓子(テーブルか)を飾り、千部の写経を安置して、右に銀の鉢に水の鏡を置きなさるれば、私の面影をその鏡に映しましょう。」と。

 花若殿は、軒吹く風に見ていた夢を醒まされて、切ない思いはいっそう勝るのでした。

 「『閨は寒く芝蘭の交わり(賢者の交わり)の夢は覚め易く、夜が更けて血の涙を流す悲しい別れは止める事はできない』という詩句はこのような事を言うのであろうか(出典・意味がよくわからない)。この事は軽はずみに皆に披露してよいものだろうか。」

 と思いなされます。そうはいっても才知・学問に秀でた花若殿でいらっしゃいますので、

 「そもそも夢というものは人間の一家である。(意味が分からない。あるいは『一過』で通り過ぎるもの、の意か。)天台宗で談ずる所でも、菩薩の修行は十心・十住・十回向を終えて、十地の夢が覚めて等覚・妙覚に入ると解釈されている。金剛経の漢文にも『如夢幻泡影』と説き、法華経の四安楽行を修行する人も、夢に八相を唱える。殷の高宗は夢のお告げで傅説を得て、天下を治めたという。魯の孔丘(孔子)は、夢で周公の理想の政治に出会ったという。後漢の永平四年、顕宗孝明帝の御夢で、丈六の金人(一丈六尺の仏)がしばし日の光を背に帯びて空を飛び、内裏に入ると見なさった。するとその光明が御殿や庭を照らした。この夢を群臣に尋ねたところ、博識で大学問人で舎人の傅毅が答えて言った。『私は昔、周の昭王の時、西域に聖人がいて、この世に現れてその名を仏と呼ばれたと聞いています。容貌は光明を宿し、まさに帝が夢に見たようです。今、涅槃に入って(死んで)一千十七年にあたります。その滅度の時を勘案すると、周の穆王の五十三年です。その入滅の午の時に、天が曇り大地が震動して、十二本の白い虹が天空の大微を貫通して翌朝暁に至ったそうです。穆王が群臣にこの故を問いなさいました。そうすると大史扈多が奏上しました。西域の聖人が示滅した兆しでしょう。千年の後、その教法は此の地に伝来するでしょう。と。穆王はこのことを石に刻んで、南郊の天祠の前に埋めなさったということがはっきりと(何かの書に)記されています。今また御身の霊夢は、広く仏法がわが朝に渡来する、めでたい徴でしょう。』と奏上したので、明帝は御心が晴れ晴れとして、すぐさま郎将秦景・博士王遵・蔡愔等を西域・天竺にお遣わしになった。西域天竺への往復、六年かかって、永平十年丁卯に沙門(僧侶)迦葉摩騰竺法蘭を招き入れることができた。その二人及び経巻を白馬に乗せて帰ったという。やがて禅院を建立してこれを白馬寺と名付けた。この二比丘は、沙門の服装で参内した。その時大臣費叔牙(才か)・褚善信らが在来の道教儒教を代表して奏上した。『外国の沙門が、法服を本朝流に改めずに朝廷に入るとは今に至るまで前例はございません。』と。この時二比丘は奏上した。『吾が仏教の出世間の法は水や火によっても壊される事はありません。ニ大臣の世間の法と試みに比べてみましょう。』と。帝は二大臣に勅命して奇経秘訳を出させ、二比丘の持って来た経や仏像とともに焼いてみると、仏像や経だけが完然として燃え残っていた。二大臣は稽首(恭しく首を垂れ)して欣んで二比丘に従ったので、明帝はますます仏教を敬った。その時に及び、二比丘は漢語を習い、四十二章経・十地断結・仏本生・法海蔵・仏本行等の五経を翻訳した。帝はその寺を手厚く保護した。夢についてはそれだけではない。中天竺に舎衛国という国があった。主君を阿闍世王といった。夢の中で七宝瓔珞の宝蓋があった。ある時風が起こってその柄を吹き折った。この夢は阿難が入滅することの瑞相であったという。これらはみな夢の霊験・奇特であろう。今見た夢も皆に伝えないであろうか。」と思し召し、͡このことを山中の皆に披露しましたが、

原文

 夜、残更に向(なんなん)として、*寒磬尽きぬ。暫時睡眠に入り給へば、玉若殿鮮やかに夢中の告げありて云ふ。

 「吾、定業限りあり、人身を転ずと云へども、猶ほ以つて此の土に宿縁ありて、生を*白き鷹に受けて候ふ。吾身の追善に千部の*経王書写候ふ間、成仏生天疑ひなく候ふ。同じくは*三十二人の舞童に、百二十帖の楽を舞はせ、また舞台に一面の卓子を飾り、千部の写経を安置し、右には銀鉢に水の鏡を置き給へば、吾が面影を写さん。」と。

 見し夢を、軒吹く風に醒まされて、いと思ひぞ勝りけり。

 「『*閨寒くして芝蘭の夢覚め易く、漏(ろう)断ちて紅涙の別れ留まり難し』とは、かやうの事をや申すべき。此の事楚(粗)忽に披露申すべき。」

 と思されける。さすが才覚の人にておはします間、

「*夫れ夢は人間の一家なり。一家天台の所談にも、*十心(信か)・十住・十回向を終え、十地夢覚めて妙なる覚(さとり)に入るとも釈せらる。金剛経の真文に、『*如夢幻泡影』と説き、*法花四安楽の行人、夢に八相を唱へ、殷の高宗*傅説を得て、天下を治む。魯の*孔丘、夢に周公の其の政を致す。後漢永平四年、顕宗孝明帝の御夢に、*丈六の金人傾(しばら)く日輪を佩(はい)し、空に飛び、内裏へ入ると見給ふ。光明殿庭を照らす。是を群臣に尋ぬ。時の大学問人舎人*傅毅答へて曰く、『臣聞く昔周の昭王の時、西域に聖人あり、出世して後其の名を仏と云ふ。容光明を止め正に夢みる所の如く、涅槃に入りて今一千十七年なり。其の滅度の時を勘(かんが)ふれば、周の穆王五十三年なり。其の時午時、天曇り大地震へ動きて、*白虹十二大微を貫通したるより暁に至る。穆王群臣に問ひ給ふ。*扈多(そこばくとルビあり)奏して曰く、西域の聖人示滅の兆(しるし)なり。千歳の後、教法此の土に流(つた)ふべし。と云ふ。穆王此の旨を石に刊(へ)りて、南郊天祠の前に埋め給ふ事、明し。今また全身の霊夢、旁(あまねくと読むか)仏法渡朝の記瑞(奇瑞または起瑞か)。』と奏しければ、明帝天心豁(ほが)らかにして、乃ち郎将秦景・博士王遵・蔡愔等を遣はさる。*西天の往反六年ありて、永平十年丁卯に沙門迦葉摩騰竺法蘭を得たり。其の教(経か)を白馬に乗せて帰る。禅院を建立して是を名付けて白馬寺と云ふ。此の二比丘、沙門の服にて参内す。時に*大臣費叔牙・褚善信等奏して言(まう)さく、『外邦の沙門、法服を改めずして入朝今に其の例なし。』と。此の時二比丘奏して云ふ。『吾が仏の*出世間の法は水火も壊する事なし。ニ大臣の世間の法と*角試せん。』と。帝二臣に勅して奇経秘訳を出さしめ、二比丘の持ち来る経像と共に是を焼くに、仏経独り完然たり。二臣稽首して欣服し、明帝益々是を敬ふ。其の時漢言を習ひ、四十二章経・十地断結・仏本生・法海蔵・仏本行等の五経を訳せり。帝其の寺に幸す。加之(しかのみなら)ず、中天竺に舎衛国と云ふ国あり。主をば*阿闍世王と云ふ。夢中に七宝瓔珞の宝蓋あり。時に風来たりて其の柄を吹き折る。此れ阿難入滅の瑞相なり。是皆夢の奇特。」と思し召し、͡此の由一山に披露ありけるが、

 文の途中ですが、話題が「鏡」に変わるので回を改めます。

(注)寒磬=「磬」は仏事に使う打楽器。寒々とした気、もしくは音色。読経が終わっ

    たのであろう。

   白き鷹=何を意味するのであろうか。未詳。ヤマトタケルが白鳥に成り代わって

    西に飛んだという話はあるが。白鷹に生まれ変わって成仏していないというの

    か。後の伏線にはなっているが。

   経王=経典の内最も優れたもの。天台宗であるから法華経であろう。

   三十二人の舞童に・・・=童舞と水鏡との因果関係はわからない。

   閨寒く・・・=出典不詳。「閨寒芝蘭夢易覚 漏断紅涙別難留」で検索をかけた

    がヒットしなかった。「漏断」は夜が更ける事で、蘇軾の「卜算子」に用例が

    ある。

   夫れ夢は・・・=以下夢の解説。であるが、夢に関する記述をかたっぱしから集

    めたようなもので、統一した構成ではないようだ。

   十心・・・=菩薩の修行段階を52位階に分けると、初位から十信・十住・十

    行・十回向・十地・等覚・妙覚の順になる。十地までを夢として覚めて悟った

    状態を等覚・妙覚と解釈する。

   如夢幻泡影=金剛経にある一句。この世の事はすべて、ゆめ・まぼろし・あわ・

    かげのようで、実体がなく空であるという事。

   法花四安楽=法華経の安楽を得る四つの行為。

   傅説=殷の高宗の大臣。高宗に夢のお告げにより見いだされて宰相となり殷の中

    興に寄与したという。

   孔丘=孔子。周公旦の政治を理想とし、しばしば夢に周公を見た。「子曰、甚

    矣、吾衰也。久矣、吾不復夢見周公。(論語・述而第七)」。

   丈六の金人=一丈六尺の仏。

   傅毅=後漢の官僚・文人。明帝の感夢求法伝説で知られる。以下の固有名詞、郎

    将秦景・博士王遵・蔡愔・迦葉摩騰竺法蘭はその伝説に登場する。

   扈多=周の大史。日蓮の「災難興起由来」によると穆王の先代昭王が大史蘇由の

    言により釈迦が生まれた奇瑞だと知り、石を刻し西郊の天祠の前に置いたとあ

    る。本文とは多少齟齬がある。それぞれ何に拠っての記述か。

   白虹=白い虹。兵乱の予兆とされた。「白虹日を貫く」の慣用句がある。「大

    微」は「太微垣」か。星座、もしくは天空の一領域。

   大臣費叔牙・褚善信=日蓮の「四条金吾殿御返事」では二人は道士という事にな

    っている。「費叔牙」は「費叔才」となっている。

   出世間の法=俗世間の欲望を離れた仏教の法。世間の法と対置される。

   角試=比較する事。

   阿闍世王=釈迦の弟子で仏教の庇護者。「観寿無量経」に詳しい。阿闍世王が夢

    で宝蓋が風に折れて阿難の入滅を知ったという。入滅はめでたい事らしい。

    WEB上で以下の記述に出会った。いずれかの経文に出典があるのだろう。

     佛陀十大弟子傳─阿難尊者

     阿闍世王對阿難尊者說:「仁者!如來、迦葉尊者都已經入涅槃了,我都沒有

    親見看見。尊者您要入涅槃時,希望能先告訴我。」阿難也答應了。後來阿難就

    想:「我的身是很危脆,猶如聚沫,何況衰老,豈能久長?」就到王宮,正巧阿

    闍世王在睡覺,尊者就對侍者說:「我要入涅槃,今來辭別。」阿闍世王在夢中

    看見一個寶蓋,七寶嚴飾,有千萬億眾圍繞瞻仰;不久就來了暴風雨,把寶蓋的

    柄給吹斷了,七寶瓔珞都散落在地上,他心裏很驚訝。醒來後,侍者把阿難尊者

    交代的話跟國王說。阿闍世王聽到阿難尊者要入涅槃了,失聲痛哭,趕到毗舍離

    城。