religionsloveの日記

室町物語です。

蓬莱物語③-異郷譚1ー

第三

 中国では秦の始皇帝の時、天下がことごとく定まって、始皇帝は御身の栄華が比類ない事には満足しながらも、つらつら心の内でお考えになる事には、「たとえ天下を掌(たなごころ)のうちに収めたとしても年が重なれば齢は傾き、我が身は老いて最後には、間違いなく死んでしまうだろう。齢が傾かず命の限りない長生不死の仙術を朕に伝えてくれるべく、蓬莱山の不老不死の薬を探し出して献上してくれる人がいてほしいのだが。」と天下の諸国に尋ねなさいましたが、徐福という道士が帝に奏聞いたしました。「私に君のために不死の薬を求めて献上させてください。大海のうちに蓬莱山という神山がありります。不死の薬はこの内にあるといいます。この山に到つて取ってきましょう。ただ、そこに行き着くには風は荒く波が高いのでたやすくはありません。十五歳以前の子供を男女各々五百人を船に乗せていけば、子々孫々がその意思をうけ継いで終には山に到ることができるでしょう。さすればすぐにでも手に入れて献上いたしましょう。」と申し上げると、「それこそ我が願うところである。」と帝は大いに喜びなさって大船を建造させ、千人の子供を乗せて、徐福もこれに乗って大海に船出したのでした。 

 風は荒く波が高く蓬莱山は目にはそれと見えるのですが岸に寄るべき手立てはありません。波が船を持ち上げる時は天上の雲にも達するようで、波から舟が落ちる時は竜宮の底にも到りそうでした。しかも蛟竜という恐ろしいものがその船に取り付いて船は全く動きません。徐福はそこでこれを服従させようとして舷(ふなばた)に五百の強弩(強いいしゆみ)をしつらえて蛟竜が浮かび上がるのを待ち構えました。ある時蛟竜が水の上に浮かび出ました。首は獅子頭に似て角があり髪は乱れてまなこは鏡面に朱をさしたようです。鱗はさかさまにに重なり六つの足は爪が長く、横たわった長さはは百余丈です。徐福はこれを見てかねてから待ちうけていたことなので、五百の連弩の石弓を一斉に放ったので、蛟竜はこれに打たれて、頭が砕けて腹は破れてたちまちに死んでしまいました。大海の水はこのために血の色に変じて見えたということです。しかしそれでも徐福はやはり山には行き着かないで船に乗せた童男丱女は空しく老い迎え、船は風に吹き放されて行方知らずとなったそうです。

 また、唐土漢の武帝は、これも不老不死の薬を求めて、西王母という仙人を招き請じて仙術を学びなさいました。王母はそこで勅命に応じて禁中に参内して七菓の一つの桃を献上し、丹砂・雲母・玉璞などの宝石を練って、紫芝黄精の仙薬を調合し、蓬莱の不死の薬を奉ったのでした。

 その後唐の世となって玄宗皇帝の御時には、死んだ楊貴妃の魂の行方を訪たく思いなさって、方士にお命じになって探させなさると、方士は勅命を受けて、十洲三島あらゆる仙境を訪ね巡てかの蓬莱の山の内の太真宮を訪ねて逢うことができました。「七月七日星合の夜、比翼連理の語らひ懇ろなる私語(ささめごと)おはしけり」と長恨歌に描かれたのはこの時のことと思われます。楊貴妃と申す方は実は蓬莱宮の神仙で、仮に人間世界に現れて玄宗皇帝に近づき、花清宮の御遊宴にも仙家の曲を舞いなさったということです。この「霓裳羽衣の曲」とは、天上の神仙より伝えられた舞楽です。かの武帝の例といいこの玄宗皇帝の例といい実に素晴らしい事です。

原文

 唐土秦の始皇の時天下悉く定まり、始皇自ら御身の栄花例へむかたもなかりしに、つらつら心に思しけるは、「たとひ天下をば掌(たなごころ)のうちに収むるとも年重なれば齢傾き老いが身の果てしには、むなしくならんは疑ひなし。願はくは齢傾かず命限りなき長生不死の仙術を伝へ、蓬莱山の不老不死の薬を求めて与ふる人やある。」と天下の諸国を尋ねられしに、徐福と云ふ道士ありて帝に奏聞申すやう、「我願はくは君のために不死の薬を求め得て奉るべし。しからば此の薬は大海のうちに*蓬莱山とて神山あり。この内にこそあるなれば、この山に到つて取るべし。ただし風荒く波高ければたやすくは到り難し。十五以前の子供を男女各々五百人を船に乗せて、子々孫々あひ継ぎて終には山に到るべし。やがて取り得て奉らん。」と申しければ、「それこそ願ふところなれ。」と帝大いに喜び給ひて大船をこしらへ、千人の子供を乗せ、徐福これに取り乗りて大海にこそ浮かびけれ。 

 風荒く波高く目には蓬莱山を見れども岸に寄るべきやうもなし。波舟を上ぐる時は天上の雲にものぼるべく波より舟の下るる時は竜宮の底にも到るべし。しかも*鮫(蛟)竜と云ふ恐ろしきものその舟につきしかば舟さらに働かず。徐福すなはちこれを従へむととて舟ばたに五百の強弩をしつらひ蛟竜の浮かび上がるをあひ待ちけり。ある時蛟竜水の上に浮かび出でたり。かうべは獅子の頭に似て角帯び髪乱れまなこは又鏡のおもてに朱をさしたるごとくなり。*鱗さかしまに重なり六つの足は爪長く臥し長(たけ)は百余丈にも余りたり。徐福これを見てもとより待ちまうけたることなれば、五百の連弩の石弓を一同に放ちたれば蛟竜これに打たれつつ、頭砕け腹破れてたちまちに虚しくなる。大海の水この故に血に変じてこそ見えにけれ。しかれども徐福は猶も山には行き着かで舟に乗せたる童男*丱女(くわんぢよ)は徒に老いをとらへ、舟は風に放されて行く方なくこそ成りにけれ。

(注)徐福=秦時代の方士。

   蓬莱山とて・・・=すでに始皇帝が「蓬莱山・・・」といっているのだから不自

    然な発言。

   鮫(蛟)竜=蛟竜。竜の一種。

   丱女=総角に結った少女。童女

   鏡のおもてに朱をさしたる=白目が鏡のようで瞳孔が赤いのか。

   鱗さかしまに重なり=竜の逆鱗はふつう一枚だが。

 また、唐土漢の武帝は、これも不老不死の薬を求めて、西王母といふ仙人を招き請じて仙術を学び給ふ。王母すなはち勅に応じて禁中に参内して*七菓の桃を奉り、*丹砂・雲母・玉璞を練り、*紫芝黄精の仙薬を調へ、終に蓬莱の不死の薬を奉りき。

 それより唐の世に移りて玄宗皇帝の御時、楊貴妃の魂の行方を訪ねまほしく思し召し、方士に仰せて求め給ふに、方士すなはち勅命を承り、*十洲三島の間をあまねく訪ね巡るところにかの蓬莱の山の内太真宮にて訪ね会ふ。「*七月七日星合の夜、比翼連理の語らひ懇ろなる私語(ささめごと)おはしけり」と云ふことは*この時にぞ知りにける。楊貴妃と申すは蓬莱宮の神仙にて、仮に人間に現れて玄宗皇帝に近づき、花清宮の御遊にも仙家の曲を舞ひ給ふ。*霓裳羽衣の曲とは、これ天上の神仙より伝へたりし舞楽なり。かれといひこれといひまことに尊き事どもなり。

(注)七菓の桃=七菓という形容は不明。

   丹砂・雲母・玉璞=丹砂は辰砂。水銀の硫化鉱物。玉璞は宝石の原石。

   紫芝黄精=紫芝は霊芝。万年茸という茸。黄精は鳴子百合。

   十洲三島=道教にいう仙境。

   七月七日・・・=「七月七日長生殿 夜半無人私語時 在天願作比翼鳥 在地願

    為連理枝 天長地久有時尽 此恨綿綿無絶期」(長恨歌)を踏まえる。

   この時にぞ知りにける=文意が取りずらい。

   霓裳羽衣の曲=玄宗皇帝が楊貴妃のために作ったとされる曲。