第八
以下玉若の遺書
「それにしてもまあ、竹馬で遊んだ春のころから、同じ桜の花簪を挿したその桜の木の本で、師匠と花若殿と三世の契りを交わした言葉も、今となっては空しくなってしまいました。今、十五の秋の末となって、別れが近づこうとしていますが、別れを見つめる月の前に輝く牽牛織女の二星の契りも妬ましく思われます。その言葉は花の露のように有為転変の風に散って、雲居の雁が鳴く声も故郷から届く手紙のようで、懐かしく思われます。死出の田長と呼ばれるホトトギスの一声も、誰かが黄泉路へと誘っているのでしょうか。花も紅葉も散り果てしまえば、取り残された人の心はどれほどかは思いしらないのですが、その白雪ではありませんが、たやすく人の心から消え去ってしまう我が身だと思うと、つらいこの浮き世です。歌枕の末の松山ではありませんが、野末の松の一本も私を憐れに思って霞んでいるでしょうか。野寺に響く入相の鐘ではありませんが、ずっと思いかねるのは切ない事です。浅香山ではありませんが、この世の契りは浅からず、月影さえ曇る有明の入り江に繋留される棄て小舟のように、空しく朽ち果ててしまいます。かつて胡蝶の夢のように戯れ遊び、傍らに生き残った人々は名残惜しく、そのおしではないが、鴛鴦が浮き沈んでいても、水面下ではせわしなく水かきを動かすように心穏やかでなく思っています。露もかすかである苔の下(草葉の陰=死んだ後)にあわれげに集まって鳴く虫の音を聞いたならば、私だとお思い下さい。そうは申しても、私の書くのもまた、はかない事とは知りながら書き集めた手紙です。藻塩草を搔き集める海士の仕業ではありませんが、藻塩草を焼くように、焼いて煙としてください。ただ一つ悲しい事としては、名残惜しさを表す言葉が浜の真砂のように尽きなくて次から次へ思い浮かぶことです。」
師匠へと一首添えてあります。
馴れ馴れし君が衾の下に吾が玉は絶えずも添ひ寝すと知れ
(ずっと馴れ親しんだあなたのふすまの下で私(玉若)の魂はずっと添い寝してい
るとわかってください)
僧正はこの歌を御覧になって詠みます。
添ひ寝せし衾の下は空しくて涙のみこそ玉と散りぬれ
(添い寝した衾の下には誰もいません。涙だけが玉のように散ってしまいます)
また花若殿へと一首、
ながめこし我は別れとなる跡に花もひとりな(や?)久しからまし
(一緒に物思いをしながら過ごしてきた私とは別れとなるのですが、その後も花若
殿はずっと生きていってほしいのです)
花若殿は泣く泣く一首詠みます。
限りあれば花は空しく散りぬとも君が詞の玉は朽ちせじ
(限りがある事なので花が散るように花若《私》が空しく亡くなっても、あなた
《玉若殿》の玉のようなお言葉は朽ちる事はないでしょう)
このような文を御覧になるにつけ、ますます目もくらみ、今目の前にある遺書も、白楽天が詠じたという「只以老年泪 一洒故人文(只老年の泪を以つて一たび故人の文に洒⦅そそ⦆ぐ」という章句のように感じられます。また、延喜の帝(醍醐天皇)の崩御の後、黄泉からホトトギスが言伝したという歌に、
たまさかに問ふ人あらば死出の山啼く啼く独り行くと答へよ
(ホトトギスよ、もし稀に尋ねる人があったなら、私は泣く泣く死出の山に独り行
くのだと答えておくれ)
とあったという事なども思い出されて悲しみを募らせるのでした。
原文
「さてもさても、竹馬の春の比よりも、同じ簪の花の本、*三世を兼ねた言の葉も、今は空しくなりにけり。十五の今の秋の末、別れに近き月の前、*二星の契り猜(そね)みつる、詞の花の露もまた、有為転変の風に散り、雲居の雁も音信も、古郷をこそ忍ぶらめ。*死出の田長の一声も、誰が黄泉路をか誘ふらん。花も紅葉も散り果てば、跡に残らん人心、さこそと思ひ*白雪の、やすく消えなん身にだにも、心苦しき浮世かな。末野の松の一本も、我憐れにや烟るらん、野寺に*闇(ひび)く入相の、*かねて思ふも物憂さよ。この世は契り*浅香山、影さへ曇る有明の、入り江に懸る棄て小舟、徒にこそ朽ち果てめ。小蝶の夢の戯れし、かたへに残る人々の、名残り*鴛鴦浮き沈み、*下安からん思ひ草、露かすかなる苔の下に、憐れに多集(すだ)く虫の音を、聞かば我ぞと思し召せ、念仏申したび給へ。かくは申せど我もまた、はかなき事と知りながら、かき集めたる*藻塩草、海士の仕業にあらねども、烟となしてたび給へ。只一筋の悲しきは、名残りの惜しき言の葉ぞ、浜の真砂の類なるかな。
師匠へとて一首、
馴れ馴れし君が衾の下に吾が玉は絶えずも添ひ寝すと知れ」
僧正此の歌を御覧じて、
添ひ寝せし衾の下は空しくて涙のみこそ玉と散りぬれ
また花若殿へとて一首、
詠めこし我は別れとなる跡に花もひとりな久しからまし
花若殿啼く啼く一首、
限りあれば花は空しく散りぬとも君が詞の玉は朽ちせじ
かやうの事を御覧ずるにつけ、弥(いよい)よ目も暮れ、心も弱り「*只以老年泪 一洒故人文(只老年の泪を以つて一たび故人の文に洒⦅そそ⦆ぐ」と白楽天が詠ぜしも、今の遺文の如し。また、延喜の帝崩御の後、黄泉より杜宇(ほととぎす)に御言伝ありし歌に、
*邂逅(たまさかに:左注に「ワクラワニ」)問ふ人あらば死出の山啼く啼く独り
行くと答へよ
とありし事ども思ひ出でて憐れなり。
(注)三世を兼ねた言の葉=師匠と三世の契りを交わした言葉の意か?君臣は三世の契
りとよくいわれるが、師弟は三世の契りともいう。
死出の田長=(死出の山から来て鳴くからともいう)ホトトギスの異称。
闇く=原文に従って「ひびく」と読んだが、「響」の草書の書き誤りか。
白雪・かねて・浅香山=「白雪」と「知ら(ない)」を、「入相の鐘」と「かね
て」を、「浅香山」と「浅か(らぬ)」をそれぞれ掛ける。
下安からん=「下安からぬ」か。「水鳥のしたやすからぬ思ひにはあたりの水も
氷らざりけり(拾遺集)」優雅に泳ぐ水鳥も水面下では、せわしなく足を動か
すように心穏やかでない。
只以老年・・・=何が出典なのか確認できなかった。探索中。
たまさかに・・・=「神道集」景行天皇の歌として、「わくらばに問ふ人あらば
死出の山泣き泣き独り行くと答へよ」とある。また、「真名本曾我物語」には
「わくらばに問ふ人あらば死出の山泣く泣く独り越ゆと答へよ」とある。景行
天皇のこの辞世の歌を読んだ妃の衣通姫が和歌の浦に投身したという。延喜帝
(醍醐天皇)のエピソードはどこから採ったのか。探索中。
本文は「行く」となっているので「神道集」に拠るか。