religionsloveの日記

室町物語です。

塵荊鈔(抄)②ー稚児物語4ー

 

第二

比叡山の事

 そもそもこの二人の少年のいらっしゃった天台山と申しますのは、元の名は日枝山でした。これは(京都盆地平安京から見ると)朝日がこの山から出てきて次第にその枝を昇っていくので名付けられたのでした。太陽の出る所にあるという神木の扶桑木になずらえたものです。その後、人皇五十代桓武天皇伝教大師の二人の叡聖が比目同行して開山なさったのです。これによって比叡山と字を改めなさったのでした。この寺を延暦寺と号するのは、同じく柏原天皇桓武)が延暦四年乙丑の七月に大師と心を一つにして創建なさったからです。

(以下暫く「花若・玉若」の記述はありません。古典文庫上P11~P21。省略します。)

 さて、この二人の少年は、比叡山のさる院家でオムツをしていた幼いころから学問をしていなさったのです。花若殿のお里は坂東足利の荘、源氏の末裔で、水尾(清和)天皇の血筋を継ぎなさっているのです。玉若殿のお里は筑紫大宰府の平家の華族で柏原(桓武天皇の血統を受けついでいなさるのでした。師匠の僧正は大織冠中臣鎌足の子孫藤原氏で、三人には出自の優劣はございません。とりわけこの少年たちは、容色は人に抜きんでて、桃の花が露を含んで咲き始めたようなお顔、紅や白粉を施した目元は媚を宿し、美しい顔は露を含むようで、柳のように長い髪が風に吹き乱れては、青い黛が人の心を悩まし、嬋娟として華やかな御姿は春の花にも嫉まれ、窈窕として鮮やかな容貌は秋の月にも妬まれるほどでしょう。三十二相の美しさが備わっていて、八十種好の厳かさが具わっているお体は麗しさそのものです。まったく、妙音大士(弁財天)の化身か、吉祥天女の生まれ変わりかとおもわれるほどです。

 異国に於いては、趙飛燕(実際は妹趙合徳)の新興髻や遠山眉の粧い、孫寿の堕馬髫・折腰歩の姿、褒姒の幽王を傾倒させた艶で姿、妲己の紂王を誑かした容顔、西施の捧心皺眉の振る舞い、奼女(美少女)の紅顔緑髪、王昭君の胡地へ征く鞍上の愁容、班婕妤の棄捐秋扇の憂色、卓文君が翠黛の色、虢国夫人が紅粉の粧いもこの二人には及ばず、美女毛嬙でも面と向き合うのを恥ずかしく思い、女神青琴でも鏡を布で掩って見えないように隠したことでしょう。

 また、本朝の玉依姫豊玉姫衣通姫、松浦小夜姫、玉藻の前、紫式部小野小町、常盤御膳、玉虫の前等の容色も、この少年たちと比較すればものの数ではございません。

 両人は生国は遥々東西に隔たった御身ではありましたが襁褓(むつき)の頃から、僧正の同衾の下でお育ちなさったのです。片時として離れなさらない御様子は、独狐信・韋叙裕が連璧の友と呼ばれ、夏侯湛・藩安仁が同じ輿で語らったこと、韓愈・孟郊が雲竜の盟(ちぎ)りを結んだこと、陳重・雷義が膠漆の約を交わしたことにもたとえられましょう。総じて同じ木陰に宿を取り、同じ川の流れを汲むことも曠劫(永劫)続く多生の縁となると伺っております。この少年たちのお語らいはただ一世の縁ではございませんでしょう。ですから、「和漢朗詠集」などに、「『意合則胡越 為兄弟 由余子臧是矣 不合則骨肉為讎敵 朱象管蔡是矣(漢書・鄒陽伝)志が通じれば北方の胡人も南方の越人も兄弟となる。由余・子臧がこの例です。通じない時は肉親でさえ仇敵となります。堯の子丹朱、舜の弟象、周公丹の弟管叔鮮・蔡叔度がこの例です。』とあり、また『君とわれいかなることを契りけん昔の世こそ知らまほしけれ』」とございますのも、このようなことを申しているのでしょうか。

 学問の稽古を怠りなさらず、車胤が蛍の光で古典を習い、孫康が旧跡を思って雪を窓に積んで書写したといいますが、机に肱を砕くように、止観の窓に臨んで、権教実教の奥義を談じ、玄門の床に上っては理事即一の宗旨を究めたのです(仏道の学究に専心したのです)。ですから、天台の釈に「好色の遊女明鏡を離れず、好道の沙門聖教を離れず(色好みの遊女が鏡を見続けるように、仏道を求める沙門は仏道を離れない。」というのです。文学も思想も具現なされたお二方でございます。容貌といい法器といい、師匠の寵愛は他に及ぶものはなく、一寺の賞玩を集めたものでした。

 その師匠の僧正がある時言うには、「おのれら両人は御童形の御身として、外には五常を守り礼儀を正し、剛柔進退にして雲の風に任せているようだ。内には六度を行って慈悲を専らにし、心操は調和にして水の器に随うようだ。内典外典の学問薫修の功積もり、二明に鏡を懸けなさっている(明鏡をそれぞれが懸けているように才を誇っている?)。さすればお互いに問答して正邪を議論しなさい。私がお聞きしましょう。」というので、玉若殿が尋ねて言いました。

 「ただいま師匠が言いました『五常六度濫觴(はじまり)はどのようでございますか。」と。

 花若殿はこのように答えました。「其の五常は・・・以下五常六度の説明。」

 すると玉若殿が言いました。「内典に学する処の・・・以下仏教史を述べて巻1終了。」

原文

比叡山の事

 抑も彼の二人の少人の御座(おは)します天台山と申し侍るは、旧の名は日枝山なり。是は朝日此の山より出でて漸く其の枝に昇る故に名付けたり。*扶桑樹に准(よ)るものなり。其の後、人皇五十代桓武天王伝教大師*叡聖比目す。之に依りて比叡山と改む。彼の寺を延暦寺と号する事は同じく*柏原天皇山部延暦四年乙丑(きのとうし)の七月に、大師と心を一つにして草創し給ふ。

(以下暫く「花若・玉若」の記述はありません。古典文庫上P11~P21。省略します。)

 さても、彼の二人の少人、叡山さる院家に襁褓(むつき)の比より学文して御座しけり。花若殿御里、坂東足利の庄源家の苗裔にて*水尾天皇の*帝猷を紹(つ)ぎ給ふ。玉若殿御里、筑紫大宰府平氏華族にて柏原天皇の聖緒を受け給ふ。師匠の僧正、*大織冠の末孫藤原氏にて、三人何れも勝劣御座候はじ。殊に彼の少人、容色人に勝れて*桃顔露を綻(ふく)んで、*紅粉眼に媚をなす。柳髪風に梳(けづつ)て青黛情を悩まし、嬋娟と華やかなる御姿、春の花にも嫉まれ窈窕と鮮やかなる御容(かた)ち、秋の月さへ妬むらん。*三十二相其の身に具はり、八十種好其の体麗はし。凡そ*妙音大士の化身か、吉祥天女の再誕か。

 異国に於いては*飛燕が新興髻・遠山眉の粧ひ、*孫寿が堕馬髫・折腰歩の姿、*褒姒が幽王を傾けし艶色、*妲己が紂王を誑かす容顔、*西施が捧心皺眉、*奼女が紅顔緑髪、*昭君が胡地征鞍の愁容、*婕妤が棄捐秋扇の憂色、*卓文君が翠黛の色、*虢国夫人が紅粉の粧ひ、*毛嬙面を恥づ、*青琴鏡を掩ふ。

 又、吾朝の*玉依、豊玉、衣通妃、松浦小夜妃、玉藻前紫式部小野小町、常盤、玉虫等の容色も、彼の少人に喩ふれば、屑(もののかず)にて候はじ。

(注)扶桑樹=扶桑木。太陽の出る所にあるという神木。

   叡聖比目=「叡聖」は徳があり賢明である事。天子を称えて言う。「比目同行」

    という熟語は二人が親密で離れないことのたとえ。桓武天皇伝教大師(最

    澄)という賢明な二人が相親しんで(心を一つにして)開山したという事か。

    それにちなんで比(比目)叡(叡聖)山の字を当てたという意味であろう。

   柏原天皇桓武天皇の別称。山部は諱(いみな)。平家の祖。

   水尾天皇清和天皇。源氏の祖。

   帝猷=天子の道。ここでは天皇の血筋の意味か。

   大織冠=大化3年から天武天皇14年まで日本で用いられた冠位。大織を授けられたこ

    とが記録に見えるのは、藤原鎌足だけだそうある。鎌足を指すのだろう。

   桃顔・・・=桃顔・紅粉・柳髪・青黛・嬋娟と・窈窕となどは美女の形容の常套

    表現。「この北方と申すは故中御門新大納言成親卿の御娘孤子にておはせしか

    ども、桃顔露に綻び紅粉眼に媚を成し柳髪風に乱るる粧また人あるべしとは見

    え給はず。」(平家物語・巻7・維盛都落)は先行する類似表現。

   三十二相=仏がそなえているという三十二の優れた外見的な身体的特徴。

   八十種好=仏の身にそなわるそれとはっきり見る事の出来ない微細な八十の特

    徴。

   妙音大士=弁材天。

   飛燕が新興髻・遠山眉=飛燕は趙飛燕。前漢成帝の皇后。「趙飛燕外伝」には、

    飛燕の妹、趙合徳(昭儀)の描写で「為巻髪 号新髻 為薄眉 号遠山黛」と

    いう粧いをしたとある。これを指すか。以下に出てくるのはいずれも美女。

   孫寿が堕馬髫・折腰歩=後漢の政治家梁冀の妻。彼女が考案したファッションは 

    「齲歯笑」(虫歯の痛みに耐えながらの笑み)、「愁眉」(愁いを込めた書き

     眉)、「啼粧」(泣きはらした様な目元)、「堕馬髻」(左右非対称の髪型)、

    「折腰歩」(腰を折ったような歩き)などと呼ばれた。⦅ウィキペディアによる)

   褒姒・妲己=いずれも悪女として有名。

   西施が捧心皺眉=西施が病で胸を押さえ眉を顰めた、その美しさを村の醜女が真

    似たという。「顰に倣う」の語源。

   奼女が紅顔緑髪=奼女には、1少女、美女。2道教の薬。の意味があるようだ。

    固有名詞ではないようだ。「緑髪紅顔」は美少年・美女の形容。

   昭君が胡地征鞍=昭君は王昭君。中国四大美女の一人。匈奴に嫁した。

   婕妤が棄捐秋扇=「棄捐秋扇」は秋になり、不用となった扇。また、男の愛を失

    った女のたとえ。前漢の成帝の宮女班婕妤(はんしょうよ)が、君寵の衰えた

    わが身を秋の扇にたとえて詩を作った「文選‐怨歌行」の故事による。班女が

    扇。

   卓文君が翠黛=卓文君は漢代の女性。司馬相如の妻。翠黛は美女のたとえだが、

    出典は何であるかは未確認。

   虢国夫人が紅粉=虢国夫人は唐玄宗皇帝の妃楊貴妃の姉。美貌に自信があり化粧

    をしなかったというが・・・

   毛嬙=春秋時代の越の美女。

   青琴=伝説上の神女。もしくは広く美しい歌姫舞女を指す。

   玉依、豊玉、衣通妃、松浦小夜妃、玉藻前紫式部小野小町、常盤、玉虫=い

    ずれも日本の美女とされる。「玉虫の前」は日本国語大辞典にも載っていず、

    やや知名度は低いが、「源平盛衰記」では那須与一が射た扇の的を持っていた

    美女である。

 両人生国遥々東西隔たる御身なれども襁褓(むつき)の比より、僧正の同衾の下に馴長(なれそだ)てなり給ふ。*造次にも顛沛にも離れ給はざる御有様、*独狐信・韋叙裕が連璧の友、*夏侯湛・藩安仁が同輿の語らひ、*韓愈・孟郊が雲竜の盟(ちぎ)り、*陳重・雷義が膠漆の約とも申すべし。凡そ一樹の陰に宿り、一河の流れを汲む事も多生曠劫の縁と承る。彼の少人の御語らひ、只一世の縁には候はじ。されば*朗詠に「『志合する*則(とき)んば、*胡越も昆弟と為る、*由余・子臧是れなり。合せざる則んば骨肉も讐敵と為る、*朱象管蔡是れなり。』又、『君と我如何なる事を契りけん昔の世こそ知らまほしけれ。』」と候ふも、加様の事をや申し候ふ。学文稽古怠り給はず、*車胤が古を慕ふ、蛍を拾ひて文を読み、*孫康が昔を思ひ雪を積みて手を習ひ、几案に肱を砕きつつ、*止観の窓に臨みては、*権教実教の奥義を談じ、*玄門の床に上りては*理事即一の宗旨を究む。されば天台の釈に「*好色の遊女明鏡を離れず、好道の沙門聖教を離れず」と云へり。*文思合はせられたり。容貌と云ひ法器と云ひ、師匠寵愛諸(かたへ)に超へ、一寺の賞玩他に異なり。

 或時僧正曰はけるは、「両人御童形の御身として、外には*五常を守り礼儀を正し、剛柔進退にして雲の風に任せたるに似たり。内には*六度を行ひて慈悲を専らにし、心操の調和にして水の器に随ふがごとし。内典外典の学文薫修功積もり、*二明に鏡を懸け給ふ。哀れ互ひ*決択候へかし、聴聞申すべき。」とありければ、玉若殿問ひて云はく、「只今師匠の曰ふなる五常六度濫觴、如何が候や。」と。花若殿答へ給ふ。「其の五常は・・・以下五常六度の説明。」又玉若殿曰く、「内典に学する処の・・・以下仏教史を述べて巻1終了。」

(注)造次にも顛沛にも=「造次」「顛沛」ともにわずかの間。「造次顛沛」という熟

    語もある。

   独狐信・韋叙裕=独狐信(502~557)は中国西魏の軍人。容姿が美しかった。韋

    叙裕(韋孝寛)(509~580)は北魏末から北周にかけての軍人。独狐信と友情

    を結び荊州の連璧並び立つ美貌の持ち主と称せられたという。

   夏侯湛・藩安仁=藩安仁(藩岳)は西晋時代の文人。友人夏侯湛とともにこちら

    も連璧と称せられた美貌の持ち主であった。嵯峨物語にも引用されている。

   韓愈・孟郊=韓愈は唐代の文人。孟郊(孟東野)は友人。韓愈には「酔留東野」

    という詩がある。雲竜の契りはこの詩に拠る。この二人も「嵯峨物語」に引用

    されている。

   陳重・雷義=後漢の人。固い友情は「陳雷膠漆」の熟語となる。

   則んば=漢文訓読の読み方。

   朗詠に=「和漢朗詠集」に載っていたのだろうか。「君とわれいかなることをち    

    ぎりけんむかしの世こそしらまほしけれ」があるが、漢詩の部分は未詳。

   胡越も・・・=「意合則胡越 為兄弟 由余子臧是矣 不合則骨肉為讎敵 朱象

    管蔡是矣」(漢書・鄒陽伝)による。こころざしが合えば、胡の者もの越の者

    と兄弟のようになれるの意から、志が合えば他人同士でも兄弟のように親しく

    なれる。

   由余・子臧=由余は春秋時代晋の人。子臧も同時代の人。異民族でも兄弟のよう

    に親しくなる例。

   朱象管蔡=朱(堯の子丹朱)、象(舜の弟)管(周公丹の弟管叔鮮)、蔡叔度、

    いずれも身内でありながら誅せられた例。

   車胤・孫康=蛍の光窓の雪で有名な学問の徒。

   止観の窓=天台宗における学問の場。(稚児観音縁起のブログに注がありま

    す。)

   止観の窓・権教実教・玄門の床・理事即一=仏門で学問に励んだこと。

   好色の遊女明鏡を離れず、好道の沙門聖教を離れず=典拠未詳。 

   文思=文徳と思慮。文学的魅力と思想的崇高さを表現したものか。「容貌」「法

    器」に対応する。

   二明に鏡を懸け=語義未詳。文脈では学問に励んだ結果の状態のようである。

   決択=疑いを晴らし法を弁別する事。師匠の前で議論をせよ。優劣を判断しよう

    という意味か。