religionsloveの日記

室町物語です。

稚児今参り全編ー稚児物語2ー

「稚児今参り」は僧侶と稚児の恋愛を描いたものではありません。稚児と姫君との恋愛ですから厳密には、稚児物語ではないかもしれませんが、主人公が比叡山の稚児ですので取り上げてみました。

 室町物語大成9巻に岩瀬文庫蔵の*奈良絵本が翻刻されています。補遺2巻に「稚児今参り絵巻」が所収されていて、こちらの方が時代も古く、「奈良絵本」の方が形容がやや過剰な印象で、加筆したのかなと思われるので、「絵巻」の方をテキストとして、奈良絵本で補うようにして原文を作りました。差が著しい所は両方の本文を紹介し、それぞれの訳をつけました。

 仮名遣いは標準的な歴史的仮名遣いに改めました。読みやすいように適宜漢字に改めた部分もありますので、私自身の見解も混入していることはご了承ください。

上巻

その1

 そう古くはない頃のことである、内大臣で左大将を兼任している方がいた。この方は多くの公達を御もうけになられた。その中に非常に容貌の優れた少将と申す若君と、この世のものとも思われないような美しい姫君がいた。その評判に帝や春宮もお召しになりたいとのご意向があったが、大臣は、帝が召されるにはいささか年齢が幼な過ぎるということで、春宮にこそ入内させたいと心に決めて、例のないほど大切に育てたのであった。

 この姫君は、姿かたちが優れているばかりでなく、何事をなすにも素晴らしく、この世に並ぶ者がないほどで、父大臣や母の奥方様ははかえってその素晴らしさを危惧するほどであった。

その2

 とある年の二月十日頃から、この姫君が病の床に就いた。ただのちょっとした病気だろうと気にも留めていなかったが、日に日に容態が悪くなっていったので、何ぞ物の怪の仕業かもしれないと、あまたの祈祷を試み、有験の僧たちが加持を行ったが、効果もなくますます弱っていく様子である。ご両親はひどく取り乱して嘆くばかりであった。

 その頃、比叡山の座主で、霊験あらたかと世間で評判の験者がいた。この方ならもしかしたらと、兄の少将を使者としてお迎えに行くと、座主は山を下りていらっしゃった。早速壇所を仕立て、七日間の加持を行った。

 その3

 僧正の御加持のおかげか、姫君の病状はやや治まって薬などもお召し上がりになられたようで、ご両親はこの上なく喜びなさった。

 七日を過ぎたので僧正一行は山へ帰ろうとしたが、まだ病気の余波もあるかもしれないと懸念されたので、もう七日ととどまりもうしあげなさった。

 さて、この僧正には片時もおそばを離れさせない寵愛の稚児がいた。この時も具して来たのである。時は弥生の十日余り、中庭は桜の花が咲き乱れて池の辺りが何とも趣深い。稚児が立ち出でて花を眺めながら逍遥していると、女房たちが二三人ほど立ち現れて高欄に寄りかかって花を愛でている様子である。稚児がとっさに花の下に立ち隠れると、まさか人がいるとは気付かないで、女房たちは御簾を少し上げて、「姫君、散り乱れる花の夕映えを御覧なさりませ。」と申し上げると、奥方様も、「そうです、花でも見てこの程の病の苦しさを慰めなされ。」と言い、御簾をさらに上げる様子なので、畏れ多くなってさらに小暗い木陰に隠れて姫君の御姿をこっそり窺うと、御年の程は十五六と見えて、脇息に寄りかかって桜の花をうっとりと見やっている様は、初々しくも気品に溢れ、眉や額の辺りは華やかな面差しで何とも言いようがない。

 聞こえはしないが誰かの言葉に微笑んでいる様子は、その愛らしさが溢れこぼれるようであった。「このような美しいお姿にお目にかかれたのは嬉しい限りであるが、もう二度と見る事はないだろうなあ、詮無いことだが。」とわけもなく胸がいっぱいになってくる。そのうちに日が暮れて、「さあ格子を下ろしましょう。」などと言って人々の中へ入ってしまう。御簾も下ろされてしまったので立ち退くしかないのだが、稚児は心の中で耐え難いほど落胆している。

  そのままに心は空にあくがれて見し面影ぞ身をも離れぬ

  (あなたを見るやいなや私の心はうわの空で我が身を離れて何処かさまよっていま

  すが、その時見たあなたの面影は我が身を離れません)

その4

 姫君の病状はすっかり回復なさったので、僧正は比叡山にお帰りになったが、稚児は乳母のもとにとどまった。

 食事も全くとらず、ぼうっと物思いにとりつかれて病がちになっていると、比叡山からもひっきりなしに使者が遣わされて、医師も大騒ぎして薬を施すが、さしたる効果もなく、僧正は嘆かわしく思って、「もしや物の怪にでも取り付かれたのか。」と思って加持祈祷をしたが、その声さえもやかましく聞こえ、せめて静かに物思いをしたいと、無理やり起き上がって居ずまいを正し、病は苦しくはないのです、との旨を申して、僧たちを山へ帰して、あれこれと思い悩んでいるようであった。

 夜はくつろいで眠る様子でもなく、昼は終日床に臥して暮らしているので、乳母が思うには、「どのような御病気とも思われない、きっと悩み事があるのでしょう。」と。稚児はいくらか心地のおさまる時には手習いをしている。それを手に取って見ると、「霞の間よりほのかにも見てし人こそ恋しかりけれ」とだけ何度も同じことを書いてあるのを見て、「やっぱり悩み事がございましたのですね。」と思って枕元に近寄って、「このご病状は尋常ではありません。何かお悩み事でもございますのでしょう。どのようなことでも私めにおっしゃってください。仏や神がいらっしゃるのですから、どのようなことでもどうしてかなえられないことがございますでしょうか。悩み事を打ち明けないで死んでしまったならば、それこそゆゆしく罪深いことだと申せましょう。」などと言葉巧みに申すも、「何事をそんなに悩みましょうか。」と言葉少なに語るのが、ますます不審に思われて、嘆いたりなだめたり様々に口説いたところ、「まことに、『忍ぶれど・・・』の古歌ではないが、人に問われるまでになったのだなあ。袖の色が涙で変わるのも我ながらつらい、いっそ語ったなら心慰めることもあろうか。」とは思ったが、乳母に知られることも恥ずかしくて、どう言ったらいいかもわかないが、「下燃えに・・・」の歌ではないが、思いを秘めたままで煙と消えてしまうのも罪深いことだと思って、顔を赤らめながら、とある花の夕べから思いの募った心の内、思いがけなくも比類ない姫君の美しさが忘れられなく、心が騒ぎ胸の高鳴りが静まることもない、その心境をぽつりぽつりと語り出すと、乳母は、「そうでございましたか。」と驚きながらも聞き入るのであった。

その5

 乳母は稚児のために昼夜あれこれと思案し続けた。そして一案を思いついたのである。かの僧正がなんとかの宮という方が御出家なされた時に、受戒の布施として贈られた、なんとも美しいい手箱を、この稚児は賜っていた。その手箱を乳母は童に持たせて、その大臣の女房たちがいる長局(ながつぼね)に参って、童に、「手箱をお召しの方はいますか。」と言わせると、とある局が二人を呼び入れた。

 この上なく美しい手箱であったので、その女房が奥方様に持っていき、お見せすると、姫君が入内する時の持参品として、様々に風情を凝らして作った手箱の中でも、これに少しでも及ぶ物はなかったので、「これはお召しになりましょう。」ということで、この乳母と会って女房たちがその由を申すと、この手箱の主の乳母は、そこに並びいる女房の中でも若くて美しい一人を見て、袖を顔に押し当ててさめざめと泣くのであった。

 人々は、「どうしたのですか。」と驚いて尋ねると、「申し上げることも辛いことですが、私には一人の娘がございました。その娘が亡くなってしまったのを嘆き悲しんで、『せめて我が娘に似ている人をお見せください。』とあらゆる神仏に祈り申したのですが、こちらの御方に寸分たがわずいらっしゃるのが、あまりに昔のことが偲ばれてこらえきれずに。」と言ってとめどもなく泣き崩れるので、女房たちも、「何と悲しいこと。」と言って、皆涙ぐんだのであった。

 さて、「手箱の代金を。」と言うと、「いえいえ、この手箱のおかげでこれほど恋しい人の事を、お目にかかって心を慰められたのですから、ただもう、この手箱を差し上げてここに置いていることで、何度でもここに参ってこの方にお目にかかる事を許されれば、それに過ぎたる代金はございません。」と言って帰ってしまおうとすると、女房たちはその人の局はどこかなどと教えた。そして、手箱はそのまま置いて乳母は帰っていったのであった。

その6

 その後、乳母は麝香や薫物などの高価なものまで持ってきて与えたので、若い女房たちは歓待して、知人として深く交わることとなった。

 女房たちは手箱の代金を乳母が受け取らないのも申し訳ないと、さりげなくお金のようなものを渡そうとするのを、頑なに受け取らないのも不審の種となると思って、多少は受け取ったりして、常に通っていた。

 この御殿は多くの女房が出入りしていた。それを見て、「ああ、私がお育てした君がいらっしゃるのですが、この御屋敷にお仕え申し上げることができましたならば、どれほどかうれしいことでしょう。」と乳母が申し出ると、人々は、「姫君の御入内にあまたの女房をお求めでございます。そんな折節ですから申し上げて見ましょう。」などと言って、その事を申し上げる。

 すると奥方様はは、「まことにこの手箱の持ち主ならば、どれほどか雅やかな人であろうか。」と思って、「局に呼び寄せてみよ。」とおっしゃるので、その旨を語ると、乳母は喜んで帰った。

 「稚児殿、無理にでも何か召し上がって、ご身体を恢復させて、その後女房の装束をなさって、大臣のご邸にお伺いなされ。」と乳母が申し上げると、稚児はその発想が空恐ろしく、尋常ではなく思いなさるが、「それもそうだ、せめてお屋敷の中でもう一度お見かけするだけでも。」と思う心がそうさせたのか、容態は好転し、次第に頭を持ち上げて、少しづつ食事もとれるようになってきた。死をも覚悟していた稚児には、この変わりようが自分でも信じられないと思われるほどであった。

その7

 乳母が衣や袴などをお着せしてみると、普通の女房と全く変わることないばかりか、上品で美しくさえ見える。乳母は意を得たりと喜んで稚児を牛車に乗せて、かの局へと赴いた。

 吉日を見計らって御目通りをすると、女房たちが出てきて、会ってご覧になると、年は二十歳に二つ足りない程ぐらいで、しとやかで優美な様子は心憎いほどである。

 髪の乱れ落ちている様子などは、予想を超えて格別に見えるので、若い女房たちはその様を覗ってはうっとりとささやき合うので、乳母はしてやったりといった気分で、いつものように世間話をしながら、彼女らのお相手をするのであった。

 女房の一人が、「何かお得意なものはございますか。」などと尋ねると、乳母は「御両親が御存命の折は、琵琶を習わせ申し上げたのですが、その後はうちやっておいでです。」などと申し上げる。

その8

 稚児はそのまま局に留まった。姫君がお部屋で琴を弾いているようだ。その音色を聞いていると、雲居遥かに思いを募らせていた時よりも、こよなく慰められうれしいのであるが、一方では何とも恐ろしいことをしているなあとも思われるのであった。

 試しに文を書かせてみると、

  琴の音に心ひかれて来(こ)しかども憂きは離れぬ我が涙かな(琴の音に心魅かれ

  てこちらに参りましたが、なぜか涙は私を離れません。それがつろうございま

  す。)

 限りなく美しい水茎である。人々はその素晴らしさに驚くばかりであった。

 月が曇りなく見える夜の、殿・上が姫君に琴の演奏を促した折に、姫君が、「今参りの女房が琵琶を能くすると聞きました。それを聞いてみたいわ。」などとおっしゃるので稚児をお召しになった。

 稚児はほっそりとしなやかな姿で、少し少年っぽい感じはするが、かわいらしく、上品で魅力的である。 

 姫君は、「女房たちが褒めあっているのももっとものことだわ。」と思いながら稚児をご覧になった。

 琵琶の演奏を催促すると、「多少は習いもしたのですが、近頃は患うことがございまして、琵琶の稽古もうちやっておりました、」と言って手に取りもしない。様々に促しなさるので、困ってしまい、とりあえず、盤渉調(ばんしきちょう)に調律し、秋風楽という唐楽を弾くと、撥音や手さばきは神がかっていて、上臈の女房のようでこの上なく趣深い。

 大臣殿も耳にするや驚いて、名声を得ている名人上手にも勝る程で、「未だかつてこのような調べを聞いた事はないことよ。」とこの世に比類ないものだとまでお思いになる。

 頃は長月(旧暦9月)の十日過ぎのことで、月が澄みわたって、晩秋の虫の音がかすかに聞こえて、萩の上を吹く風が身に染みる次節で、おのずから心が澄んでいく。

【次の和歌は奈良絵本のみ】

  月のみやそらに知るらん人知れぬ涙のひまのあるにつけても

  (私が人知れず流す涙が時には絶えることを月だけが空で気付いているだろう)

大臣がなおも曲を催促するので、普段は聞きなれない楽を弾いていると、夜はいっそうひっそりして、その趣には、いまだ見ぬ昔の、白居易が琵琶を聞いたという潯陽の川のほとりまで思い浮かべられて、言いようのない情感に充ちている。

 大臣はすっかりご機嫌で、「今宵の素晴らしい琵琶の演奏のご褒美には、姫君への御目通りを許すことにしよう。」と几帳を取り払うので、姫君に視線を向けると、花の夕影に木暮から覗ったのなどは比較にならないくらいで、そのかわいらしい目元や額のあたりはまばゆいほどである。

 こうしてみると、あの乳母の計らいがとてもありがたく、うれしくて涙が浮かぶ心地がするのを、こらえながらそこにいるのだった。

その9

 その夜以来姫君のおそばにお仕えして、昼などは差し向いにお会い申し上げていると、雲居の彼方で思いを募らせていた時とは、生まれ変わったような気がするのであった。

 心を込めて琵琶を姫君に教えたので、奥方様も非常に喜んだ。

 今参り(稚児)は、ちょっとした遊びでも、ほかの女房たちとは違って奥ゆかしく情趣がありげに振る舞っている。

 御前を立ち去ることなくお仕えするので、次第に姫君も打ち解けなさって、いつまでもご一緒に遊び事をなさるのだが、どのような折にか、「わが心かはらん物かかはらやの下たく煙わきかへりつつ」の古歌のように、瓦窯の下で思いの火がくすぶるのを打ち明けたいとの衝動が起きるのはつらいことである。

その10

 姫君は今参りを、心から気を許せる女房だとお思いになっているが、一方稚児は「思いがけず思い焦がれる心の内が抑えられず、打ち明けたならば、うって変わって疎ましく思うのではなかろうか。」とおのずと思い患われるのだが、姫君の春宮への入内も次第に近づいているようなので、「これまで思いを断っていた心の内を、そのように隠して過ごしていても、いつまでおそばに居られようか。」と耐え難く思われたので、ある夜、周囲には人がいなくて、ただ一人添い寝してして侍っていた折に己の素性を打ち明けた。「花の夕べにあなたを見初めて以来、今日まで募っていた思いは、歌枕の『室の八島』ではありませんが、煙のように立ち上り続けているのです。」と心を奪われて虚ろになった思いを、嘆きながら語り続けると、姫君は不気味にも恐ろしくも思われて、何事をも答えることができなかった。

その11

 今参りは、正体がわかってしまったので、それからは幾夜も幾夜も浅からぬ心の内をお伝えするが、そのうち次第に、愛しいと思う気持ちを抱くようになったのであろうか、「ひょっとしたら誰か女房が私の思いを見咎めるかも。」などと思うと、姫君は切なくなってしきりに顔を赤らめているのであった。

 今参りの方は、秘めた思いを打ち明けた後は、心は晴れ晴れとはしたのだが、女房たちの目は関守のように厳しく感じられて、このまま私の思いは途絶えてしまうのかとも思われた。

 それでも立ち去らず姫君のおそばにお仕えしていて、他の女房たちは「私たちはお暇なのかしら。」とそれぞれの局に下がった時などは、二人は昼は終日寄り添って、夜は夜の明けるのを嘆くほど親密に添い寝する、その姫君の態度を、父大臣なども、「このように親しい遊び相手が出来たのはうれしいことだ。」とおっしゃる。

その12

 このようにして何日も経つうちに、姫君は気持ちが優れず、病気のように見えたので、奥方様なども、「以前と同じような物の怪の仕業か。」と思って、誦経を始めて様々な祈祷もさせなさったが、日に日に物も召し上がらず、床に臥してばかりいらっしゃった。

 月の障りなども、このニ三か月お見えでないようなので、この今参りは思い当たることがあって、姫君に、「もしかしたらそのような状態(つわり)なのですか。」と申し上げると、そのようなことに無知であったのか、姫君は非常に驚き、かつ、つらく思って、しかし誰にも告げられることではなく、今参りの前でのみ、とめどもなく泣き悲しむのであった。

 

ここからは「絵巻」の欠損も多く、「奈良絵本」で補うことが多いのですが、その際、文脈を考慮して恣意的になることをご了承ください。明らかに欠落したと思われる所は本文を補って訳しましたが、奈良絵本の方が加筆したように思われる所は、両方の訳を併記しました。それぞれの本文は「室町物語大成」をご覧ください。

下巻

その1

 比叡山の僧正からは、「稚児の病がよいようならば、登山しなさい。」との催促がおありになるのを、乳母はとかくあしらっていたが、美童のことゆえ山の人々は、「大切なことが次々とあるのに、この若君がいらっしゃらないとは興ざめでございます。」と言って、言い逃れもできない程に問い詰める。乳母は内大臣の邸に参って、稚児にこの事を申し上げたが、姫君のおそばを片時でも離れることがつらく思えたので、あれこれ言い訳したのだけれども、乳母は、「このお召しを応じないならば、果ては遺恨を残すでしょう。」と申し上げる。今参りはこの事を姫君に申し上げて、「四五日お暇をください。」とお願いすると、姫君は、「もはや隠しおおせない我が身なのに、それを語り合って、慰め合える人まで出て行ってしまったらどうなることでしょう。」と、涙をとめどもなく流している。それを見捨てて出て行こうにも、魂だけが体を離れてここに留まってしまいそうな心地がして、悲しいのではあるが、そうはいってもいつまでも留まることもできないので、涙ながらに、

  かりそめの別れとかつは思へどもこの暁や限りなるべき

  (一時的な別れとは思いますが、この暁が今生の別れとなりましょうか(いやそう

  は思いません、きっと戻って参ります)

 姫君は、

  帰り来む命知らねばかりそめの別れとだにも我は思はず

  (帰ってくるまで命があるかどうかもわかりません。ですからかりそめの別れとさ

  えも私には思われません)

 今参りが出るのをためらっていると、局から童がやって来て、「も早や夜が明けてしまいます。」と言って急き立てるので、夜明けに一羽啼くやもめからすのような心地がして恨めしいが、そのまま心の中で泣いて後朝(きぬぎぬ)の別れ(=男女の明け方の別れ)となったことは言いようもなく耐えがたい。

 今参り、

  後朝の別れは同じ涙にてなほ誰が袖か濡れまさるらん

  (後朝の別れの悲しい涙は誰もが同じです。どちらの袖の方がより濡れていると

  いうことはありません)

 姫君、

  誰が袖のたぐひもあらじ涙川うき名を流す今朝の別れに

  (誰の袖も私の袖の濡れ具合には比べようもないでしょう。この涙の川につらいう

  わさを流すようになるかもしれない今朝の別れには)

その2

 今参りはやるせない思いで里に帰って、女装を解き元の稚児の姿になった。そして輿に乗って比叡山へ上った。

 道中、「うき名を流す」とおっしゃった姫君の面影が、身に染みる心地がして、千載集の「伏柴の」の歌ではないが、かねてから予期していた嘆きではあるが、姫君の身のつらさに思いを馳せるのであった。

 「この世を限りとの別れでも、これほどつらいことがあろうか。」と思うと、この死出の山路から引き返したく思われて、それでも叡山に行くと、僧正を始め山中の人々が大騒ぎして歓待するのであった。

 皆が皆、稚児を交えて遊興に入ろうとしたが、稚児は他に考えることもなく、ただ姫君の行く末が隠せられない(出産する)事が思われて、誰に相談して思いを慰めていなさるのだろうか。」などと、その事ばかり気にかかってどんな遊興にも心は動かされないのであった。

【絵巻】 ただしょんぼりとしているので、事情を知らない法師たちは、「まだご病状が晴れないだろう。」と思って誠実にお世話するのであった。

【奈良絵本】伊勢物語の「今はとて忘るる草の種をだに人の心に播かせずもがな」ではないが、せめて姫君のことを忘れる事がないようにと、あれこれとぼんやりと物思うのであった。

  夢に添ひ現に見ゆる面影のせめて忘るる時の間もなし

  (夢に添えて起きては見えるあなたの面影は私に迫って来て、忘れる時もありませ

  ん) 

 稚児がただしょんぼりとしているので、事情を知らない法師たちは、「まだご病状が晴れないだろう。」と思って誠実にお世話するのであった。

【以下は共通】

その3

 このようにして四五日が経過したが、稚児は部屋の内にも入らずぼんやり縁側で山の方を眺めていると、夕暮れの薄暗い折に美しい紅葉が一葉散って来たのを取ろうと歩み出ると、恐ろしげな山伏が突如現れた。そして、「さあ一緒に行きましょう。」と言って稚児を小脇に挟んで、いずこへか空を駆け上っていった。

 人々は、「稚児殿、どうしました。中にお入りなさい。」と言ったが、返事もないので、あちらこちらを捜したがどこにも見えない。どこに行ったか全くわからず、僧正様も慌てふためいて、皆で山内をくまなく探し回るが、どこにもいらっしゃらない。「天狗の仕業か。」と思われて、世間で噂されるのも情けなく、法力も通用しないのか甲斐がないので、僧正は壇を設けて秘かに祈祷なさったが、その効果もなかった。やがてその噂は京の都にも届き、「不思議な事よ。」と人々は語り合った。噂は内大臣の邸にも伝わったが、人々はなんとも気に留めなかったが、姫君だけは、「きっとあの人の事だわ。」と直感し、深刻に心配なさる。

【絵巻】

 「我が身の行く末を相談したい人までも、このようにいなくなってしまったならば、この先どうしたらよいのでしょう。」とやるせない気持ちでいっぱいである。

【奈良絵本】

  忍ばずば訪はましものを人知れず別れのうちのまた別れ路を

  (人目を忍ばなくていいならば訪ねて行きたいのに。人知れず別れてしまった上に

  さらに別れてしまったあなたへの路を)

 別れ路を、このつらい我が身の覚めない夢だと思いなしても、この身がどうなってしまうのか、世間の噂をも相談し合って慰めてもらった今参りまでもいなくなってしまったならば、どうやってどうしていこうかと、やるせなく心は乱れるのであった。

  あの別れの暁に、様々に慰めの言葉を言い置いていったのを、思い出すにつけても、「どうして(この世ではかなえられず、)あの世で成就することなのか。」などと世を思う(死ぬことを思う)のは不本意に思われるのであった。

【以下は共通】

 日に日におなかもふっくらなさって、姫君はもう床に臥してばかりいなさった。

 姫君は、「川にでも身を投げて、川底の水屑となってしまおう。」ともお思いになるが、邸を抜け出せる機会もなかった。人々が心配するも、「健康に別条はないのですから。」と、お薬もお飲みにならないので、例にならって頻繁に祈祷をするばかりであった。

 春宮からも、「楽しみにしていたのに意外なこと。」とお尋ねの使いがあったが、殿や奥方も 、病気が原因で参内が延びていくのをとても嘆かわしく思いなさった。

 ある夜、姫君が隙を窺いなさっていると、そばに居る人がぐっすり眠っているのを、「チャンス!」と思いなさって、そっと起き出しなさって、妻戸を押し開けなさると、有明の月がほのかに射しこんで、風がひんやりと吹く。それでなくてもしみじみとするのだが、「これが見納めか。」と思っていたが、躊躇する事はなく、一番鶏の鳴く音もかすかに聞こえるその時にひっそりと抜け出したのであった。

 「きっと親たちは嘆きなさることだろうなあ。」と、罪深い身だと自分を思う。

 白い袴に袿を重ね着したばかりの簡素ないで立ちで、伴もいず自分で裾を無造作に引き上げてお出でになるのは、とても心細そうである。

  惜しからぬ身をば思はずとまり出で闇に迷はんあとぞ悲しき

  (命が惜しいわけではないが思わず、(とまり?)出て、闇に迷う行方は悲しいこ 

  とです)

その4

 さて、邸を出るには出たが、夜は深く行き交う人もいない。「どこにいったらいいのかしら。」となにも思い浮かばず立ちつくしていると、樵(きこり)らしき者がニ三人、山の方へ歩いていくのでついていきなさる。一行は山の険しい方へと行くので、か弱き足は痛く、追いつくことはできない。樵はどこへ行ってしまったのだろうか、もう見えもせず、細々とした暗い小道を足に任せて行きなさると、横雲は(こととしくて)明けていく様子ではあるが、「誰かに見とがめられようか。」と悲しい気持ちで木の下に隠れて立って見ていると、聞こえるのはただ賤しい樵の薪を伐る音だけである。

【奈良絵本のみ和歌あり】

  なげきこる山路の末は跡絶えて心砕くる斧の音かな

  (樵が投げ木を伐るという山路は、人の踏み跡も絶えている。斧の音は嘆いて心が  

  砕けるように聞こえる)

 激しい嵐に楢の葉がざわめいているのが、ぞっとするほど恐ろしく、悲しいので、「ああ、どのような恐ろしい物の怪でも私にとりついて、私を亡き者にしてほしい。」と思いなさる。

 一日中山をさまよったが、身を投げる川も見つからない。川の水屑ともなることはできないで、深い山の中をとぼとぼと歩きなさったのであった。

 次第にあたりは暮れていき、どこもかしこもほの暗く、篠の小笹を渡る風は身に染みる心地で、息も絶えそうに思われる。

 谷の方に灯火がほのかに見えたので、死を決意した身ではあったが、「とりあえずこの火の光の元に行ってどうにかしよう。」と思われて訪ねなさる。

【奈良絵本のみ和歌あり】

  みちの辺の草葉の露と消えもせで何にかかれる命なるらん

  (道の辺の草葉の露のように消えてしまわないで、何にかかって生きている露の命

  であるのだろうか)

 仮住まいのような粗末な柴の庵の戸を叩きなさると、しわがれた恐ろしい声で、「何者じゃ。」と言うので、「しばしのお宿をお貸しください。」とおっしゃると、背丈が軒ほどもある尼天狗が、紫の頭巾を被りくちばしからは長く火を吹きながら、「いったいどのような方がこんな所へいらっしゃったのですか。人が来るところではありません。お帰りなさい。」と申し上げると、姫君は、「ただ今宵だけです。泊まらせてください。」とお願いする。

【奈良絵本のみ和歌あり】  

  風渡る篠の小笹のかりの世をいとふ山路は思はましかば

  (風の渡る死にに小笹を刈るわけではないが、この仮の世を厭いながら行く死出

  の山路と思えたら歩き続けるのでしょうが⦅そうではなさそうなので泊めてくださ

  い⦆)

 中に入って見ると、炭櫃(火桶)に何かの肉の塊(人肉か)が串にさして立てて並べられている。

 「鬼の住処であったのか。」とこの上なく恐ろしく思うのであった。

その5

 尼が申すには、「私は少々神通力を得ているので、あなたの御心の内もわかります。あなたの思っている人も、まもなくここへいらっしゃるでしょう。私はもの恐ろしげで、もののあわれも知らない者でございます。稚児殿が来た時にあなたがここにいらっしゃっては具合が悪いでしょう。この厨子に入って、こっそり覗きなされ。」と言って大きな厨子の中に姫君を入れた。

 翌日の午の刻ほど、雨がパラパラと降り、風がそよそよと吹いている時に、山を轟かせて、梢を震わせてののしり騒ぎながら夥しい数の天狗が訪れてきた。

 姫君の恐怖はたとえようもなく、仏の御名を唱えて厨子の中でじっとしていると、香染の僧衣を着た白髪交じりの山伏が、脇から人を取り出したのである。姫君が凝らして見るとあの今参りであった。

 不思議な思いでご覧になっていると、恐ろしげな者どもが大勢居並んで、酒を取り出し、めいめいが酒盛りをしている。

 この稚児は正気を失っているのか、ぼうっとして、生きているかいないのかもわからない様子である。この尼が、「この稚児はひどく疲れていなさるようです。暫く私にお預けなさいませ。介抱いたしましょう。連れ歩きなさってうっかり殺してしまったならば大変ですよ。」と申し上げると、一座の棟梁と思しき者が、「師の僧正がひととおりなく祈祷いたしておるとの事なので、片時をも身を離れさせるわけにはいかないのだ。」などと言って肉塊をむしゃむしゃ食べているのを、厨子の隙間から見なさっている姫君の御心の恐ろしさは筆舌に尽くしがたい。

その6

 尼天狗はあれやこれや言って、どうにか稚児を預かったのである。

 「もしもこの稚児を失くしたならば、尼よお前の命はないぞ。」こう言い残して天狗たちが帰ったので、厨子の中から姫君を取り出し稚児に間近で見せた。稚児は全く気付かない様子でいるので、尼は印を結んで祈りをかけ、何かの薬を立てて飲ませた。

 そうすると、この稚児は意識を取り戻して、姫君を見て抱き合い、お互いの袖を押し当てて泣くばかりであった。

 しばらくの間、心を落ち着けなさって、夢のようだった自身の様子を、語り合いなさるが、他人である尼の袂にも収まりきらない程の涙が溢れて申し上げる。「私は昔から非情の心の持ち主であったので、このような畜類となったのですが、どうにかしてこの姿を改めて、仏道に入りたいとも思っていました。ですから私の命に代えても都へお返しいたしましょう。私の子らがこの尼の死んだ証拠をお見せするでしょう。私の追善供養をなさってください。これからお行きになるところで、尊勝陀羅尼の慈救の呪をお唱えくださいませ。」と申すので、二人はこの上なく喜んだ。

 「さあ、それでどちらへいらっしゃいますか。」と尼が申すと、「乳母の元へ。」とおっしゃる。尼は二人に目を閉じさせると、脇に挟んで空を駆けて、宇治の乳母の元まで行って、縁側に二人を下ろして、かき消すようにいなくなってしまった、ということである。

その7

 乳母は稚児が失踪した後は、尼となって一筋に勤行をして稚児の後生を弔っていた。それ以外は明け暮れ泣いているばかりであった。

 後夜の勤行で夜明け近くまで起きていると、妻戸を叩く音がする。「門を開ける音もしないのに。」と不思議に思いながら、押し開けて見ると、失踪していた稚児が見知らぬ美しい女房と立っていなさるので、あっけにとられて夢のような心地がした。

 稚児は中に入って一連の事どもを語りなさる。乳母は、「これは仏のお導きだ。」と手を合わせて、うれしさに涙がこぼれるのであった。

その8

 さて、大臣の邸では、「姫君がなかなか起きなさらない。どうしたのか。」と部屋を覗うと姿が見えない。女房たちは茫然として、こっそりとあちらこちらとお探ししたがいらっしゃらない。そのまま秘密にしていくわけにもいかないので、殿や奥方に申し上げると、あたり隈なくこんな所までという場所さえも捜させたが、その甲斐もない。二人は現実のこととは思われず、空を仰いで途方に暮れていた。

 奥方様は、もう死んだ人のような状態である。邸の内には心当たりにものはいない。ただ騒ぎ合っているばかりであった。

 内裏や春宮に申し上げるのにも、ありのままに言うのも軽率であろうと、「最近病に臥せっていましたが、もう命の限りとなってしまいました。」というようなことを言上すると、あらゆる方面からお見舞いの使者がひっきりなしに訪れる。内裏からも使者が参って、夢か現実かわからない程の一大事となった。

 大臣は、開け放たれた妻戸の内の人気のない部屋を見て、「これはきっと天狗の仕業に違いない。」とお思いになって、「まるで噂に聞いた比叡山の稚児のようではないか。」などとお思いになって、秘かに祈祷なども始めた。山の僧正にもありのままを申し上げて、祈祷していただきたいとの旨をお伝えする。

 僧正は、自分もみすみす稚児を失ったので、「この大臣の事も、我が山で起こったことと同様なのだろうか。」と思うのである。「さあ祈祷を始めましょう。こんな状況ではあるが、私の法力をもってすれば。」と大臣には頼りにしてくださいと申し上げる。

その9

 まさか本当のことだったのか、宇治には尼天狗が言ったように、尼の子であろうからすが多く集まって、くわえていた物を落としたのをご覧になると、毛の生えた手であった。稚児たちは、「これはきっと、私たちを逃がしたことで、尼天狗が天狗たちに殺された証拠だ。」と思われて、しみじみと悲しくて、手厚く供養をなさったということである。

 姫君は、懐妊のためつらそうになさっていた。稚児は、「どうしよう。」と切なく思っていたが、さして苦しみなさらないで、鶴の一声のような元気な呱々の声を上げて赤子をご出産なさった。

 乳母の娘の侍従が抱き上げて見ると、玉のように光る若君でいらっしゃったので、「このように美しいとは・・・びっくりしました。」とうれしく思われた。

 姫君は、「殿や奥方にも、この出産をお知らせして、盛大にお祝いしてほしいなあ。ここは祝ってくれる人も少ないし。」と運命とは言いながら残念に思われるのであった。

その10

 何日か過ごしていると、姫君の夢に、父大臣や奥方の御嘆きなさる様子ばかりが何度も何度も現れるので、「きっと私のことを心配して嘆いているのだわ。」と思いなさっているのを、乳母は傍で見て、かわいそうに思い、「どうにかして父上母上にも、わたしが同じこの世にいる事を耳に入れたいものです。」とおっしゃるのももっともな事なので、まずは僧正に、「稚児が見つかりました。」申し送ると、僧正は急いで山から下りていらっしゃって、「わが法力は確かなものであるよ。」と自分の手柄だと思いなさる。

 乳母が、「尼天狗は、稚児とこの姫君を一緒に連れて来て同じ所に置いていったが、どこの御方かもわかりません。」と言うと、僧正は、「大臣殿から祈祷を頼まれたあの事だろう。」と思うとこれも自分の手柄になるとうれしくて、大臣の邸に行って殿にこの事を語った。

 「はっきりそれとわかる人はおりませんが、大体の事情は姫君の場合と似ていらっしゃるのでもしかしたら。誰かそれとわかる女房をお遣わしなさって見させなされ。」と申し上げる。

その11

 奥方様は依然として、ほとんど物も召し上がらず、息も絶え入るそうな様子であるが、この事を聞いて、宇治の乳母の元へ、姫君の乳母である宰相を遣わされた。

 稚児は元々の姿では、かつて僧正に従って祈祷に来た時の姿を見知っているかもしれないと、元服した男の姿になって、几帳のあたりに隠れるように控えていると、宰相の乳母は姫君を見て、言葉も何もさておいて、真っ先に覚えるのは涙である。その涙に咽びかえるのであった。

 姫君の方もかける言葉はなく、袖は涙を堰き止める柵であるはずなのに、その袖さえ涙を堰き止めることができない程であった。

 稚児の乳母は、「尼天狗が、稚児と姫君を同じ所で監禁していたようです。」というようなことを語って、「何日経っても、何もおっしゃってくださらず、どちらの方かもわからず月日を送っていましたが、僧正殿が、『もしや。』と申されまして。」などと

語るのである。 

その12

【絵巻】

 宰相の乳母が帰って参ったが、「もしも、まちがいでしたと言いはしないか。」と誰もがはらはらしていたが、この事を申し上げると、非常に喜んだ。

 そうして、殿や奥方が「どうなっているのか。」おっしゃると、「稚児の乳母が『比叡山で失踪した稚児と一緒に暮らしていなさっていたのですが、どちらの方とも知らないので、そのまま過ごしていたのですが、いまさら別離するのも悲しいことでございます。帝・春宮も姫君は亡くなったと思っているのですから、二人の契りをそのまま遂げされていただけるのならうれしゅうございます。』とくどくどしく申しておりました。」と伝えたところ、「もっともな事だ。内裏・春宮にも死んでしまったと申し上げたことなので、どうとも奏上する必要はない。ただ、生きていて再会できるのがうれしいことだ。」と言って急いでお迎えを遣わした。

 稚児をも迎え入れて元服させなさった。

 姫君の兄上の四位の少将は中将に昇進なさっていたので、この稚児の君を腹違いの庶子として少将と名乗らせた。

 容貌優れた中将・少将が出仕なさったので、帝を始め人々も申し分ない二人だと寵愛なさった。

 さて、尼天狗には追善供養として、五部の大乗経の書写奉納などたいそうな事をして、弔いなさった。すると、姫君も稚児も夢に、尼天狗が紫雲に乗って美しい姿で、「様々に弔いいただいて、ただ今は兜率天の内院に参ることができました。」とお礼を述べる同じ夢を見なさったということである。

 その後も二人の間には光り輝くような美しいい若君や姫君がたくさんお生まれなさって、姫君は女御として入内なさった。少将も大将となったりと、前世の宿縁も知りたいほどのお二人の契りであった。

【奈良絵本】

 宇治の乳母は、「このようにして何日かを過ごしてのですが、何もおっしゃらず、どこぞの方ともわからないので、そのまま過ごしておりましたが、もしや僧正殿の申していた方でしょうかとご連絡いたしました。」と言い、さらに自分の身の上や、二人の契りが変わらないことを、いつものように機転の利く人なので、感情豊かに語るのであった。

 宰相の乳母も、「それはもっとものことだ。」と内心思って、「できるだけ思いの通りに申し上げましょう。」と応じて急いで帰ろうとした。

 宰相の乳母が帰参して邸に入るうちも、みな待ち遠しく思い、「もしやあってはいけないことでも言い出しやしまいか。」と常にはあらず気をもんでいた。

 奥方様の元に参上して、「間違いなく姫君でした。」と申し上げると、この上なくお喜びなさった。

 そうして、「どのような状況ですか。」と尋ねなさる。

 「比叡山で失踪した稚児と同じ所で過ごしていたそうですが、姫君がどのような御方かわからないので、そのままで何日も送っていたそうです。」と乳母の言うままに報告すると、「先方の申しようももっともな事です。まずは急いで姫君をお迎えしましょう。」と言って再びすぐに宰相と中納言をお遣わしいなった。

 姫君はうれしいものの、反面稚児と別れるのがつらくて、何日もの間住み慣れた宇治の風情にも心魅かれ、乳母の情愛にも名残り惜しくて、「誰にも気づかれないうちに出よう。」と思うので、思いのたけの挨拶もできずにお立ちなさる。

 大臣の邸で待っているる両親の御心の内は、離れ離れになった時に戻るようで、お互いに涙を流すばかりで、言葉を交わすこともできないのはもっともな事である。

 さて、宇治では、「稚児も若君もすぐにお迎えに来ます。」と宰相が約束をして帰ってので、千年もたつようにじれったく思っていると、十二日ほどして牛飼いなどを盛大に清らかに仕立てて、若君のお迎えには、奥方の甥御である左近の侍従という方が美しい装束で参りなさった。

 その他諸太夫三人・侍五人・雑色などと、「それほど大げさにならないように。」とおっしゃるが、われもわれもお迎えに行きたいとざわめいといた。それは制して申しつけて者だけを遣わした。しかし、残った者もこのような嬉しいことを見るのはこの上ないことで、「『源氏物語』宇治十帖の匂兵部卿が中の宮を迎えに行った時もこうだったのだろうな。」と思い合わせると残って待っている方も慰められるのであった。

 稚児は元服姿で出迎えた。その時に水車を見て、

  思ひきやうきにめぐりしみつくるまうれしき世にも会はんものかは

  (浮いて廻る水車のように、つらいことに遭遇してやがてうれしい相手に会おうと

  はかつて思っただろうか)

 姫君が大臣の邸にいらっしゃると、すぐに殿が対面なさる。

 兄君の四位の少将は今は頭中将であったが、その兄君とも対面した。 

 この稚児のひと際優れた匂うような美しさに、花の傍ら・紅葉の下にいるような心地がした。

 稚児は実は家柄は賤しくなかった。藤原北家の末裔でいらっしゃったが、父母が早く亡くなりなさって乳母だけで育てていたのを、比叡山の僧正が幼い頃より影のように離しもせず可愛がっていたが、このような不思議な宿命となったので、「このような契りは現世だけではあるまい。前世からの宿縁だろう。」と思い、帝や春宮にも、「姫君はもう亡くなったと知れせてあるから。」ということで、稚児を(もしくは若君を)妾腹の庶子と名乗らせたのである。

 中将と少将、二人そろって出仕すると、その容貌は薫と匂宮のように美しく、帝を始め殿上人たちも申し分ないお二人だと称賛するのであった。

 その後、今参りと姫君の間には光り輝くような若君・姫君が生まれなさった。姫君は女御として参内なさった。

 少将が間もなく大将に昇進なさったのは前世からの素晴らしい宿縁である。

 尼天狗の追善供養には、五部の大乗経を書写奉納して供養して、仏塔を建立して阿弥陀三尊を安置しなさって、盛大に法要を行いなさった。すると、人々は尼天狗が紫の雲に乗って兜率天の内院に参った夢を見たという。

 また、宇治の乳母はその近くに所領を賜ってこの上なく豊かに暮らした。

 乳母の子で、若君の取り上げばあさんであった侍従は、三条院で女御のお付きの女房としてお仕えし、皆が皆素晴らしかったということである。

 ただ、これは近き頃の事ゆえお読みになった御方はよくよく秘密にしてください。

原文

上巻

その1

 近き頃の事にや、内大臣にて左大将かけ給へる人おはしけり。公達あまたも*おはしまさす。少将にて容貌(かたち)よに優れ給へると、この世のものとも見え給はぬ姫君ぞ一人おはしましけるを、*内裏(うち)、春宮よりも*御気色ありけれども内裏には少し御年のほどもいとけなき御事なればとて、春宮にこそはと、思したつにも、ためしなきまで、かしづき奉り給ふこと限りなし。

 御容貌優れ給へるのみならず、何事も*しいて給へること、世にためしなきまでおはしければ、*殿・上などはかつ危ふきまでぞおぼえ給ひける。

(注)奈良絵本=御伽草子などに彩色の挿絵を入れた書写本。

   おはしまさす=あらす(生む)の尊敬語。

   内裏・春宮=帝・皇太子。

   御気色=寵愛。お覚え。

   しいて給へる=語義未詳。「秀(ひい)で」か?

   殿・上=父の殿と母の奥方。

その2

 如月の十日頃よりこの姫君、*なやみわたり給ふ。ただかりそめの御事に思ひきこえ給へるに、日数に添へては*ところせくのみおはしければ、御物の怪の仕業にこそとて、御祈り数を尽くして、有験(うげん)の人々加持したてまつり給ひけれども、験(しるし)もなくていよいよ頼みなきさまに見え給へば、殿・上の思し嘆くさま理にも過ぎたりけり。

 その頃、*山の座主験者に世に聞こえ給へりければ、もしやとて少将を御使いにたてまつり給へりければ、おはしましにけり。壇所に七日置きたてまつりて、加持したてまつり給ふ。

(注)なやみわたり=病気でいる。

   ところせく=難儀である。やっかいだ。

   山の座主験者に=原文「▢すかや▢のけんの▢▢に」。奈良絵本により改めた。  

    山は「比叡山」。

その3

 僧正の御加持の験にや、御心地少し*なほざりにて*御湯などもご覧じいるる様なれば、殿・上の喜び給ふ様限りなし。

 七日に過ぎぬれば、山へ帰り給ひなんとするに、*名残りもおそろしとて、今七日とて留めきこえ給ふ。

 この僧正、片時も御身を放ち給はぬ児ありけり。この度も具し給へるが、*御壺の花弥生の*十日あまりのことなれば、咲き乱れて池のわたりおもしろかりけるを、見ありきけるに、女房ども二三人ばかり出でて、高欄におしかかりて花を見ければ、児は花の下へ立ち隠れぬるに、人ありとも見えねば、女房どもこの御簾少し上げて、「散り紛ふ花の夕映えを姫君ご覧ぜさせ給へかし。」と申すに、上も「この程の御心地をも慰み給へ。」とて、御簾少し上ぐる気色なれば、空恐ろしくていよいよ小暗き陰に立ち隠れて見たてまつるに、御年は十五六の程と見え給ひて、脇息におしかかりて、花にのみ心入りて見出し給へるほど、*あてになまめかしく、*匂ひ満ちたるまみ、額つきいふばかりなし。

 何事にかうち笑みなどし給へる様、愛敬傍らにこぼるる心地し給ふ。「かかる事を見つるはうれしきものから、*あぢきなく、またはいつかは。」とそぞろに胸塞(ふた)がる心地ぞするや、暮れぬれば、「*御格子」など言ひて、人々も内へ入りぬ。御簾も下りぬれば、立ち退く心地いと堪へ難し。

  そのままに心は空にあくがれて見し面影ぞ身をも離れぬ

(注)なほざり=小康をいうか。「おこたり」と同義か。

   御湯=薬湯。「ご覧じ入る」は召し上がる。

   名残り=病気のあと、身体に残る影響。

   御壺=中庭。

   十日=奈良絵本「廿日」。

   あてになまめかしく=上品で(若々しく)美しく。

   匂ひ満ちたる=辺り一面華やかになる。

   あぢきなく=やるせなく。

   御格子=(日が暮れたので)御格子(を下ろせ)。

その4

 姫君、御心地怠り果て給ひぬれば、僧正は山へ帰り給ひけれども、児は*乳母(めのと)のもとにとどまりぬ。

 つやつや*物も見入れず、ほれほれとしてもののみ思はしき身になり果てて悩みけるに、山よりもひまなく人を遣はして、薬師何かと*もてさはぐり給ふ験もなかりければ、僧正思し嘆きて、物の怪にやとて加持をしけれども、*御しんの声もかしがましく、せめて静かにものだにも思はばやと思へば、強ひて起き居などして苦しからぬ由申して、僧たちをも山へ返して、そのことともなく悩みけり。

 夜はうちとけてまどろむ気色なく、昼は日暮らし臥し暮らしければ、乳母思ひけるは、「いかなる*御いたはりともさして覚えねば、思ふことはしおはするやらん。」と思ひけるに、心地のひまには手習ひをし給ふを取りて見るに、「*霞の間よりほのかにも見てし人こそ恋しかりけれ」とのみ、*同じことを書置きたるを見て、「さればこそ、思ふ事おはするなめり。」と思ひてさし寄りて、「この御心地のやう、ただ事にあらず。いかさま思ふ事おはすにこそ。いかなる事なりともおのれにはのたまへ。仏神おはしませば、いかなる事なりとも、などかかなへ奉るべき。思ふ事を言はで果てぬるなん、ゆゆしく罪深き事とこそ申し侍れ。」など口ききて申しければ、「何事をかは、さまで思ふべき。」と言少ななるもあやしくて、いよいよ様々にうち嘆きつつ口説きければ、「げに*人の問ふまでなりにける。袖の色も我からあはれにて、語りて慰まん事もや。」と思せども、乳母が心の内もはづかしく、言ひてん言の葉も覚えねども、*思ひ消えなん煙の末も罪深ければ、顔うち赤らめつつ、花の夕べより思ひつる心の内、思ひかけず、ためしなかりし御様の忘れ難き御面影に、騒ぎ初めにし胸の静まる世なきさまを言ひ出で給へるに、「さればよ。」といとあさまし。

(注)乳母=乳母の場合も、男の養育係の場合もある。文脈で判断する。

   物も見入れず=物を食べない、の意。辞書には「見入る」に「食べる」の語釈が

    ないが、「ご覧じ入る」に「召しあがる」の語釈はある。本書には散見される

    表現であるが、他に用例がないのか。

   もてさはぐり=「もて騒ぐ」か。

   御しんの声=語義未詳。加持祈祷の声か。

   御いたはり=病気、または心の痛み。

   霞の間より・・・=「山桜霞の間よりほのかにも見てし人こそ恋しかりけれ(古

    今集・恋1・紀貫之)」を踏まえる。

   同じことを書き置きたるを見て=奈良絵本「書き重ねて、心ゆかしき手習ひは、

    恋しとのみなど、言はぬに繁き乱れ葦のいかなる節に、など書きなしたるを見

    て、」とやや詳しい。

   人の問ふまで=「しのぶれど色に出でにけり我が恋はものや思ふと人の問ふま

    で」(拾遺集11・平兼盛)を踏まえる。

   思ひ消えなん煙の末=下燃えに思ひ消えなむ煙だに跡なき雲のはてぞ悲しき(新

    古今12・藤原俊成女)、思ひ消えむ煙の末をそれとだに長らへばこそ跡をだ

    に見め(とはずがたり3)等を踏まえるか。恋心を秘めたまま死んでしまって

    は悲しい、との意か。「思ひ」の「ひ」は「火」との掛詞。「火」と「煙」は

    縁語。

その5

 乳母、夜昼案じて*あしうちつつみて、僧正のいづれの宮とかやの御出家の時に、御戒の布施に出だされたりける手箱の、なべてならず美しかりけるを、この児にたびてけるを、乳母、童に持たせて、かの大臣殿の*御局町へ参りて、「手箱の召しや。」と言わせければ、ある局呼び入れぬ。

 なべてならず美しかりければ、*御上に持ちて参りて見せたてまつるに、姫君の*内参りの御料に、様々風情を尽くしてせらるる御手箱の中に、これが片端に並ぶもなかるければ、召さるべきにて、*あひしらはせられけるに、女房どもあまた見えける中に、若き人のみにくからぬがあるを見て、この手箱の主、袖を顔に押し当てて泣くこと限りなし。

 人々、「いかに。」とあきれて尋ねけるに、「申すにつけても、*かたはらいたく侍れども、わらはが一人娘の侍りしが、失せて侍るを嘆き悲しみ侍りて、『似たらん人を見させ給へ。』と四方の仏神に申し侍るが、この御方に少しも違はせおはしまさぬが、あまりに昔恋しさ忍び難く。」とて、*せきあへず泣きければ、女房どもも、「あはれなることにこそ。」とて、皆うち涙ぐみぬ。

 さて、手箱の代はりの事のたまへば、「いや、これほど恋しき人の事を、慰みに見合いまいらすることも、手箱ゆゑに侍れば、ただ参らせおきて、常に参りて、見まいらせ侍らんに過ぎたる代はりや侍るべき。」とて、帰りなんとすれば、*この人の局など教へられぬれば、手箱は置きて帰りぬ。

(注)あしうちつつみて=語義未詳。足を包むことに何か意味があるのか。

   御局町=局が多く並んでいる所。ながつぼね。

   御上=姫君の母である奥方様に。

   内参りの御料=春宮に入内する際の持参品。

   あひしらはせ=語義未詳。会って知らせる、の意か。「あひしる」は交際する、

    の意だが、「交際」は唐突な感じがする。

   かたはらいたく=つらく。

   せきあへず=止めることができないで。こらえきれず。

その6

 その後、麝香(じゃかう)・薫物(たきもの)をさへ持ちて来て取らせければ、若き人々もてはやして喜び、浅からぬ知り人になりにけり。

 手箱の代はり取らぬもかたはらいたしとて、なにとなきさまにて、金(かね)ていの物たびければ、さのみ取らざらむも怪しかるべければ、少々は取りなどして、常に来通ひけるに、女房たちなどあまた出で入るを見て、「あはれ、わらはが養い君のおはしますを、この殿に候はせたてまつりて侍らば、いかがうれしく侍らん。」と申し出でたるに、人々、「御内参りにあまた人を尋ねらるる折節なれば、申してみん。」など言ひて、この由を上に申せば、「げにこの手箱の主ならばゆかしくこそ。」とて、「局まで呼びてみよ。」とのたまへば、この由語るに、喜びて帰りて乳母申しけるは、「いかにとしても少しづつ物をも見入れ給ひて、御心地をも治して、女房の装束し給ひて参らせ給へ。」と申しければ、空恐ろしく、ものぐるほしと思せども、「げに、せめて*御垣の内ばかりなりとも今一度。」と思ふ心にひかれつつ、やうやう頭(かしら)もたげて少しづつ物なども見入れらるるぞ、我ながら現とも覚えぬ心地するや。

(注)御垣の内=宮中を言うが、ここでは大臣邸。

その7

 衣・袴など着せたてまつりて見るに、女房に少しもたがふ気色なく、あてに美しう見え給へば、乳母うれしくて車に乗せたてまつりて、かの局へ行きぬ。

 日よきほどに通して、女房*たち出で会いて見給へば、年は二十に二つばかり足らぬほどにて、たをやかになまめかしき様心憎し。

 髪のかかりたる程など、推し量りつるよりもこよなく見ゆれば、若き人々覗き愛で*そそめきければ、乳母*しおほせたる心地して、例の口ききてぞ*あひしらひけり。

 「何が御能にて。」など問ひければ、「親たちのおはしまし侍りし程は、琵琶をこそ習はせきこえ侍りしかども、その後はうち捨て給ひて。」など申しけり。

(注)たち=「立ち出でて」かもしれない。

   そそめき=ささやき。

   おほせたる=やりとげる。うまくやる。

   例の=いつものように。用言にかかる。

   あひしらひ=相手をする。

その8

 留めれられて局にて、姫君の御琴を聞きたてまつれば、雲居遥かに思ひたてまつりしよりも、こよなく慰みうれしきものから、空恐ろしき心地ぞするや。

  *琴の音に心ひかれて来(こ)しかども憂きは離れぬ我が涙かな

 物など書かせて見けるに、限りなく美しかりければ、人々もありがたく覚ゆ。

 月隈なき夜、姫君に御琴すすめ給ふ折節なるに、「この人の琵琶を聞かばや。」などおほせられて召し出でたり。

 姿つき細くたをやかにて、すこし*わらはなりなるものから、愛敬(あいぎゃう)づきて、あてになまめかしく見ゆ。

 女房どものほめあひけるも、理に御覧ず。

 琵琶をすすめ給へば、「少し習ひて侍りしかども、日頃労(いたは)る事侍りて、うち捨てて侍る。」とて手も触れねば、やうやうすすめ給へば、わびしくて、*盤渉調(ばんしきてう)調べて秋風楽といふ楽を弾きたるに、撥音(ばちおと)・手使い*かみさびて、上衆(じゃうず)めきたること限りなくおもしろし。

 殿も耳驚き給ひて、名を得たる上手にも、ややたち勝るほどなれば、「今までかかる事を聞かざりけるよ。」と類なきまで思す。

 頃は*長月の十日余りの事なれば、月澄み渡りて、虫の音かすかにおとづれて、*萩の上風(うはかぜ)身に染むほどの折りからも、心澄み渡るに、*なほなほせめ給へば、常に耳慣れぬ楽ども弾きたるに、夜の静まるままにおもしろく、かの*潯陽の江のほとりの見ぬ世の古(いにしへ)まで思ひやられて、いふばかりなし。

 「今宵、優れ給へる御琵琶の*纏頭(てんとう)には、姫君の御前許しきこゆべし。」とて几帳押しのけ給へば、見やりたてまつれば、花の夕影はものの数ならず、愛敬づき給へるまみ額つき目もあやなり。

 乳母が計らひありがたく、うれしきにも涙浮く心地すれば、紛らはしてぞ侍りける。

(注)琴の音に・・・=この和歌は絵巻にはない。奈良絵本により補った。ちょっとつ

    ながりは悪いが、書かせた内容がこの和歌だとすれば、書かせたことの唐突さ

    はなくなる。

   萩の上風=萩の上を吹き渡る風。和歌によく用いられる。

   わらはなり=童顔?少年っぽい感じ?

   盤渉調=雅楽の調子の一つ。

   かみさびて=神々しく。古風で落ち着きがあって。

   長月十日余り=長月十三日は「後の月」。いわゆる十三夜で名月を愛でた。

   なほなほ=この前に奈良絵本では、「月のみやそらに知るらん人知れぬ涙のひま

    のあるにつけても」とある。

   潯陽の江のほとり=九江付近を流れる揚子江の異称。白居易が「琵琶行」を作っ

    た所。「琵琶行」は流謫の身の白居易が潯陽のほとりで、ある秋の月夜に落ち

    ぶれた妓女の弾く琵琶の音を聞くという内容で、「千秋の絶調」と評された

    (ニッポニカによる)。

   纏頭=歌舞・演芸をしたものにあたえるごほうび。「琵琶行」に「五陵年少争纏

    頭」とある。妓女の歌舞に客が褒美として与えた錦を頭に纏ったことから。

その9

 その夜より侍ひて、昼なども差し向かひて見たてまつるに、雲居のよそに思ひやりたてまつりしに、*生(しゃう)を変へたる身とぞ覚えける。

 御琵琶を心を入れて教へたてまつれば、上も喜び給ふ事限りなし。

 はかなき遊びまでも人には異なる様なれば、心憎く由ありてぞ侍りける。

 御前を立ち去ることなく候へば、やうやう打ち解け給ひて、限りなく遊びつき給へるにも、いかならむ折にか、*瓦屋の下の思ひをしきこへんと思ふ折々の出で来るぞうたてきや。

(注)生を変えたる=生まれ変わった。

   瓦屋の下の思ひ:=「わが心かはらん物かかはらやの下たく煙わきかへりつつ」

    (後拾遺恋4・藤原長能)を踏まえるか。「瓦屋」は瓦を焼くかまど。「瓦」

    と「変わら(ない)」を掛ける。あなたを思う心は瓦の窯の下の煙のように変

    わらずにくすぶり続けています、との意か。

その10

 うらなく隔てなきものに思したるに、「思ひのほかなる*下燃えの煙立ち出でて、申し出でなば、ひきかへて思し疎みやせん。」と思ひ患はるれども、春宮へ御参り、やうやう近づくめるを、「これまで思ひ断ちにし心の内を、さのみ包み過ごしてもいつまで。」とあぢきなく覚えければ、ある夜、御あたりに人なくて、ただ一人御添ひ臥しに候ひけるに、「花の夕べより今日まで思ひつる心の内、*室の八島ならでは。」と、あくがれし思ひを、うち嘆きつつ語り続くるに、むくつけう恐ろしく思せば、何事をか答へ給はむ。

(注)下燃え=心の中で思い焦がれる事。

   室の八島=栃木市大神神社の呼称。常に煙の立つところとして歌枕に詠まれ

    た。

その11

 あらはれ初めぬれば、夜を重ね、浅からぬ心の内を申し知らするに、初めこそ疎ましく恐ろしくも思ししが、度重なれば、やうやうあはれと*覚ゆることもやありけむ、今は人や見咎めんとわびしく、御顔の赤む折のみぞひまなかりける。

 *御今参りは、人知れぬ思ひを漏らし聞こえさせて後は、*胸の隙あるべきを、*人目の関の守難ければ、かくてしも思ひは絶えぬ心地しける。

 *御あたりにのみ立ち去らず候へば、かたへの人々もひまある心地して、方々にのみ候ふ折は、昼は日暮らし臥し暮らし、夜は御添ひ臥しにて明くるを嘆く御もてなしを、上なども、「かく懇ろなる御伽の出で来ておはするうれしさよ。」とのたまふ。

(注)覚ゆること=原文「おほふること」。あるいは「思すこと」「思すること」か。

   御今参り=ここで「今参り」という呼称が登場する。新参者の女房という意味

    で、稚児の事を指す。

   胸の隙=心の晴れる事。

   人目の関守=関所の番人のように見咎める女房たち。

   御あたりに=奈良絵本では、この前に、「とにかくに、やすけなく、ちきりのほ

    とも、あちきなく、おほゆるも、われなから、あまりなるやう、」とあり、契 

    りを結んだことが明示されている。

その12

 かくて日数を経(ふ)るほどに、姫君御心地例ならず、悩ましくし給へば、上なども、「例の物の怪にや。」とて、誦経始め給ひて、様々御祈りさせ給へども、日に添へては物なども見入れ給はず、うち臥しのみぞおはしましける。

 *例のおはしますことも、この二月三月はおはせねば、この御今参りぞ思ひ知ることもありけるにや、姫君に、「もし、さやうの御心地にや。」と申しければ、あさましく心憂く思されて、*この人ばかりにて泣き悲しみ給ふこと限りなし。

(注)例のおはしますこと=月経。生理。懐妊を示す。

   この人ばかりにて=人に知られるわけにもいかず、今参りの前だけで。

下巻

その1

 *山より、児の労はりよろしき様ならば、上るべき由のたまへども、乳母とかくあひしらひけるに、*山に人あまた集ひて、「由々しき事にありけるに、この若君のおはせざらんは興なきことにぞ。」とて、逃るべき方なくのたまふほどに、乳母この殿に参りて、この由語るに、片時も立ち離れたてまつらん事、悲しく覚えければ、とかく申しのぶれども、あまりに責め給ひて、このたびおはせずば、なかなか恨むべき由のたまへば、姫君にこの由を申して、「四五日のいとま。」と聞こゆるに、「つひに隠れなき御身の有様を言ひ合はせても、慰み給へる人さへ出でなば。」と*せきやり給はぬ御気色を、見置きたてまつりて出でける心地、魂はみな留めぬ心地して悲しながら、さてしもあるべきならねば、泣く泣く、

  かりそめの別れとかつは思へどもこの暁や限りなるべき

 姫君、

  帰り来む命知らねばかりそめの別れとだにも我は思はず

 *出で方にやすらへども、局より童参りて、早や夜も明けなんとする由申して、急がしければ、逃るる方なくて、*やもめ烏の心地して恨めしけれど、さながら魂は泣く泣く立ち出でて、*おのが衣衣(きぬぎぬ)になるほど、言はんかたなく耐へ難し。

  後朝(きぬぎぬ)の別れは同じ涙にてなほ誰が袖か濡れまさるらん

 姫君、

  誰が袖のたぐひもあらじ涙川うき名を流す今朝の別れに

(注)山より・・・=以下5行ほど絵巻にはない。奈良絵本により補った。

   山に人・・・=当時の比叡山における稚児のありようが覗われる。稚児は一山の

    アイドルなのである。

   せきやり=涙を抑え止める。

   出で方に・・・=以下その2の冒頭の「うきながら、里にて元の姿になりて、輿

    にてぞ山へ上りける。」を除いて、その2の5行目まで欠落しているようであ

    る。奈良絵本により補ったが、和歌や古歌を踏まえた表現が特徴で、奈良絵本

    の方が後に潤色・加筆した可能性もある。(奈良絵本の方が全般的に表現がく

    どい印象である。)

   やもめ烏=夜半から夜明けにかけて泣く烏。また、連れ添う相手のいない一羽だ

    けの烏。

   おのが衣衣=共寝の男女が起きて別れる事。「しののめのほがらほがらと明けゆ

    けばをのがきぬぎぬなるぞ悲しき」(古今集・恋3)

その2

 うきながら、里にて元の姿になりて、輿にてぞ山へ上りける。

 *道すがら、「うき名を流す」とのたまひし面影のみ身に染む心地して、*伏柴のなげきはかねて*思ひ設けにしことなれど、御身の行方の心苦しさを思ひ添へ給ふ。

 「*限りある道の別れしも、これには勝り侍らん。」さ思ふに死出の山路の麓よりも引き返さまほしく、行きぬれば、僧正を始めたてまつりて、めづらしがりののしりてもてなすこと限りなし。

 各々、興に入らんとしけれども、児は何にも止まることなく、御身の行く末隠れまじきことを思し入りたりし御面影は身を去らぬ心地して、*「誰にか言ひ合わせても慰み給ふべき。」など思ひ出でたてまつれば、物のみ心にかかりて、何事の興あることも思ひ給はず。

 うちしほれておはしければ、「(法師どもは)御心地の未だ晴れ晴れしくもおはしまさぬなめり。」とて、いよいよ忠を尽くす事限りなし。

(注)うきながら=その1の最後の和歌の「うき名」を承けている。

   伏柴のなげき=「かねてより思ひし事ぞ伏柴のこるばかりなるなげきせむとは」

    (千載集・799)による。伏柴は柴のことで、柴は樵(こ)る(=刈る)か

    ら、「こる」の枕詞で、これは「懲(り)る」との掛詞。「予期した通り懲り

    て嘆くようになったなあ」という意味だろう。「なげき」も「嘆き」と「投げ

    木」を掛ける。「思ひ(火)」と「柴」と「投げ木」は縁語。

   思ひ設け=予期する。

   限りある道=死出の旅路。

   誰にか・・・=奈良絵本では以下3行がなく、代わりに、「せめて忘るる草の種

    とだに、心に播かする事ならば、とにかくに思ひほれけり。夢に添ひ現に見ゆ

    る面影のせめて忘るる時の間もなし」とある。「今はとて忘るる草の種をだに

    人の心に播かせずもがな」(伊勢物語・21段)を踏まえた表現。

その3

 かくて四五日にもなりぬるに、つくづくと内へも入らず、山の方を眺めて居たるに、夕暮れのたどたどしき程に、紅葉の美しき一葉散り来たるを取らんとて、あよみ出でたれば、恐ろしげなる*山伏の、「いざ給へ。」脇に挟みて空を駆けて行きぬ。

 人々、「いかに内へ入らせ給へ。」と申しけれども、音もし給はねば、ここかしこ求めたてまつるに見え給はず。行方も知らぬことなれば、僧正も騒ぎ給ひて、人々、山内を求めけれどもおはせざりければ、「天狗の仕業にこそ。」とて世の聞こえもあさましく、法の力も口惜しくて、壇を立てて祈り給へども、その験もなくて日数経にければ、この事京へも聞こえて、不思議に申し合ひけるが、この殿へも聞こえけるを、人は何とも思ひ咎めねども、姫君ばかりぞ、「この人の事にこそ。」と思しければ、いかでおろかに思さん。

 *「御身の行方をも言ひ合はせ給ふべき人さへかくなりなば。」とやるかたなくておはしける。

 日数に添へては御腹もふくらかになり給へば、ただうち臥してのみぞおはしましける。

 「底の水屑ともなりなんや。」とは思せども、隙もなければ出で給はんこともかなはぬに、*たけきことと御湯をだにも身入れ給はねば、例の御祈りぞひまなかりける。

 春宮よりもおどれかせ給へども、この御心に伸びゆくを、殿・上思し嘆くこと限りなし。

 姫君、隙を覗ひ給ふに、御あたりの人よく寝入りたれば、「今ぞよき隙。」と思してやをら起き出で給ひて、妻戸押し開け給へれば、有明の月はつかに射し出でて、風冷ややかにうち吹きて、そのこととなからんにだにもものあはれなるに、「これを限り。」と思しけんに、ためらひやり給はず、夜深き鳥の音も、今ぞかすかに聞こえける。

 親たちの思し嘆かんこと、罪深き心地ぞし給ひける。

 白き袴に*二つ衣着給ひて、裾しどけなく引き上げて、立ち出で給ふ御心地、いと心細し。

  *惜しからぬ身をば思はずとまり出で闇に迷はんあとぞ悲しき

(注)山伏の=山伏(天狗)に拉致される趣向は「秋夜長物語」に似ている。

   「御身の・・・=以下2行は奈良絵本では和歌が入り、

      忍ばずば訪はましものを人知れず別れのうちのまた別れ路を

    別れ路をうき身に覚めぬ夢になしても、類なき御身の行く末の、世語りをも語

    り合はせ、かく慰みし人さへなくなりなば、いかさまにして、いかさまにせん

    と、やるせなくて思し乱れけり。ありし暁、様々慰め置きし事など、さすがに

    思し出づるにも、など後の世と思すぞあやにくなるや。」となっている。「世

    語りに人や伝へむたぐひなく憂き身を覚めぬ夢になしても(源氏物語・若紫)

    を踏まえた表現か。

   たけきこと=元気です。病気ではありません、の意か。

   二つ衣=袿や衵を二枚重ねたもの。

   惜しからぬ・・・=奈良絵本「惜しからぬ身をば思はずたらちねの親の心のあと

    ぞ悲しき」。どちらもわかりずらい。

その4

 出で給へれども、夜深ければにや、行き交ふ人もなければ、「いづくへ行くべし。」とも覚えず、立ち煩ひておはするに、木樵(こ)る者のニ三人、山の方へ歩みけるに付きておはしましけるに、山*険(さが)しき方へ行くに、御足も痛く追ひもつき給はねば、木樵る者はいづくへか行きぬらん、見えざりければ、木暗き(あるいは小暗き、か)細道を足に任せておはしませば、横雲*こととしくて明け行く気色なるに、「人や見ん。」といと悲しくて、木(こ)の下に立ち隠れ給ひて見給へば、訪るるものとては*賤(しづ)が妻木の斧の音、嵐はけしき楢の葉の、そよめきわたる、ものすさまじく、悲しき事とやる方なければ、「あはれいかなる恐ろしき物も、取りて亡き者ともせよかし。」と思ひ給ふ。

 *日暮らし山に惑ひ給へども、川など近くとも見えねば、底の水屑ともなり給はで、深き山の中にぞたどりありき給ひける。

 やうやう暮れゆくままに、このもかのも小暗くして、篠の小笹を渡る風、身に染む心地して、消え入るやうに覚え給ふ。

 谷の方に火の光ほのかに見えければ、捨てぬる身ながらも、「この光にこそともかくもならめ。」と思して尋ねおはしたれば、*かりそめげなる柴の庵なる、うち敲き給へば、かれたる声の恐ろしきにて、「いかなる人ぞ。」言ひければ、「しばし御宿貸させ給へ。」との給へば、丈、軒と等しき*尼の、*紫のほうしして、くちはし長き火をふりていでて、「いかなる人なれば、これへはおはしぬる。人来ぬ所にて侍り。帰らせ給へ。」と申せば、「ただ今宵ばかり置かせ給へ。」と言ふに、*入りて見給へば、炭櫃に何にかものの*ししむら立て並べたり。

 「鬼の元にこそ。」と恐ろしき事限りなし。

(注)険しき=さかしいと読む。険しいの意。

   こととしくて=語義未詳。

   賎が妻木の斧の音=賤しい樵が薪を切る斧の音。

   日暮らし・・・=奈良絵本ではこの前あたりに、「なげきこるや山路の末は跡絶

    えて心砕くる斧の音かな」とある。

   かりそめ・・・=奈良絵本ではこの前あたりに、「みちの辺の草葉の露と消えも

    せで何にかかれる命なるらん」とある。

   尼=後に尼天狗と出てくる。

   紫のほうしして、くちはし長き火をふりて=語義未詳。ほうしは帽子で、天狗が

    被る頭巾のことか。室町時代までの天狗は鳥のようなくちばしを持つ者が主

     で、鼻の高い天狗は江戸時代以降。くちばしから火を吹いていたのか。

   入りて・・・=奈良絵本ではこの前に、「風渡る篠の小笹のかりの世をいとふ山

    路は思はましかば」とある。「かり」は「刈り」と「仮り」を掛ける。

   ししむら=肉の塊。尼僧は肉食は禁忌である。後で登場する法師(男)天狗山伏

    への伏線。しかし姫君はそれは知らず、恐怖の光景と目に映ったであろう。人

    肉かもしれない。

その5

 尼申しけるは、「われは*せうしんつうを得たる者にて侍る程に御心の内も知りて侍り。思す人もただ今これへおはしますべし。尼が事も恐ろしく、もののあはれも知らぬ者にて侍り。時に見え給ひては悪しかるべし。この厨子に入りて覗き給へ。」とて大なる厨子に入れぬ。

 午の時ばかりに、雨はらはらと降り、風そよそよとうち吹きて、山を響かし梢を動かして*ののめき来る者どもの訪れひ夥し。

 恐ろしさ例へん方なくて、仏の御名を唱へて居たるに、山伏の白髪混じりたるが、*香の衣着たるが、恐ろしげなる、脇より取り出だしたる人を見れば、かの児なりけり。

 不思議に見給ふに、恐ろし気なる者ども、いくらも並み居たり、酒を取り出でて各々飲みけり。

 この児はうつし心も失せにけるにか、ほれほれとして、あるかなきかの気色なるを、この尼申しけるは、「*幼き人こそ、ゆゆしくくたびれ給ひぬれ。しばし尼に預けさせ給へ。いたはりたてまつらん。具しありき給ひ候はば、*過ちもぞし給ふ。」と申せば、「僧正なのめならず祈られ候ふなれば、片時も身を放すまじきなり。」とぞ申しける者の、ししむらども食ひけるを、厨子の隙間より見給ふ心地、恐ろしなども言ふもおろかにぞ覚え給ふ。

(注)せうしんつう=小神通か。多少の神通力。

   ののめき=ののしり騒ぎ。

   香の衣=香染の僧衣。

   幼き人=稚児のこと。「稚(おさな)き人」は年齢ではなく童形の人の意味であ

    ろう。

   過ちもぞし給ふ=過失をしたら心配だ。「もぞ」は将来の事態を危ぶむ表現。

その6

 尼天狗とかく言ひて、児を預かりぬ。

 もしも失ひたらばこの尼を失ふべき由、言ひつけて各々帰りぬるに、厨子の中より姫君を取り出だして見するに、児つやつや見知らぬ気色なれば、尼、印を結び掛けて、何にか薬を立てて飲ませぬ。

 その後、この児心地*ただ直りて姫君を見たてまつりて、互ひに袖を押し当てて、泣くよりほかの事はなし。

 やや*遥かにためらひ給ひて、夢の心地しつる身の有様を、語り合はせ給ふに、よその袂もところせかりぬべきを、尼聞きたてまつりて申しけるは、「我、いにしへも心情けなく侍りければこそ、かかる畜類ともなり侍らめ、いかにしてもこの姿を改めて、仏道にも入りたく侍れば、*御命に変はり侍りて、都へ返したてまつるべし。*子どもが尼を失ひたらん験は、見せたてまつるべし。*孝養(けうやう)をせさせ給へ。わたらせ給はん所には、*尊勝陀羅尼慈救(じく)の呪などを仰(お)させ給へ。」申せば、喜び給ふ事限りなし。

 「いづくへおはす。」と申せば、「乳母が元。」とのたまふ二人を、脇に挟みたてまつりて、目を塞ぎまいらせて、空を駆けりて、宇治の乳母の元へ行きて、縁に下ろしたてまつりて、かき消す様に失せぬべし、*と言ふ。

(注)ただ直り=立ち直り。

   遥かにためらひ=「ためらひ」は、心を落ち着けての意。「遥かに」と言う形容

    がわかりづらい。

   御命に変はりて=「御祈りに変はりて」かも。

   子どもが・・・=後に尼天狗の子らが登場する。

   孝養=追善供養。

   尊勝陀羅尼慈救の呪=絵巻では「けんせうたらにしくのしゆ」。奈良絵本により

    改めた。「尊勝陀羅尼」は尊勝仏頂の功徳を説く陀羅尼、陀羅尼とは仏典を音

    訳した呪(まじな)いのような章句。慈救の呪とは、願いがかなえられる不動

    明王の呪文。

   と言ふ=急に「語り手」がコメントする。草子地と言う。ちょっと不自然。

その7

 乳母は児失せて後は、*様変へて一筋に*行ひて児の後生をぞ弔ひける。明け暮れ嘆きて泣くよりほかのことなし。

 *後夜の行ひに起きたるに、妻戸を叩く音のしければ、「門を開くる音せぬに。」と不思議に覚えながら、押し開けて見たれば、失ひたてまつりし児の、見知らぬ美しき女房と立ち給へるに、あきれて夢の心地ぞしける。

 内へ入りてこの事ども語り給ふ。乳母、仏の*御しるべとて、手を合はせて、うれしきにも涙はこぼれけるにこそ。

(注)様変へて=出家して尼となって。

   行ひて=読経して。勤行して。

   後夜の行ひ=後夜(夜半から朝)に行う勤行。

   御しるべ=お導き。

その8

 さてもかの殿には、「姫君遅く起き給ひしかば、いかに。」とて見たてまつりしに、見え給はねば、人々*肝心(きもごころ)もなくて、忍び忍びにここかしこ、求めたてまつるにおはせねば、さてしも隠すべきならねば、殿・上に申しければ、思ひ寄らぬ所まで尋ねたてまつれども甲斐なければ、現とも思されず、空を仰ぎてあきれてぞおはしましける。

 上は、ただ亡き人のやうにてぞおはしける。殿の内にもの覚ゆる人なし。騒ぎ合ひたるさま、言ふばかりなし。

 内裏・春宮の聞こえも、軽々(かろがろ)しければ、日頃悩み給ひしが、*限りの様になり給へる由を言はせ給へるに、方々よりの御使ひなど隙なし。内裏よりも御使い参りなどして、夢うつつともわき難きことなり。

 開きたりし妻戸をご覧じて、偏に天狗の仕業とぞ思しける。「山の児などのやうにや。」など思すにも、忍びてお祈りども始めらる。僧正にも、ありのままに申し給ひて、祈り致し給ふべき由のたまふ。

 *目にみすみす児を失ひ侍りにしかば、「この御事も、さやうにこそは。」と覚え侍り。「御祈りを始め侍るべし。*さりとも。」と、頼もしく思すべき由のたまふ。

(注)肝心もなくて=原文「肝心もとなくて」。茫然自失として。

   もの覚ゆる=正気でいる。

   限りの様=危篤。臨終。

   目にみすみす=目の前に見えていながら。見る見る。

   さりとも=そうはいっても、いくらなんでも、の意だが、何に対して「さりと

    も」なのか。私のようなものでもという謙遜か。

その9

 まことにや、宇治には尼天狗の言ひしごとく、*からす多く集ひて、物を食ひ落としたりしを、御覧ずれば毛を生ひたる手なり。尼天狗の失せける験と覚えて、あはれに悲しくて、孝養よくよくし給へリけるとかや。

 姫君は、御心地例ならず、悩ましくし給へば、児、「いかにせん。」と心苦しく思ひたてまつるに、いたくも患ひ給はで、*鶴(たづ)の一声鳴き出で給ひぬ。

 乳母の娘、侍従ぞ抱き上げたてまつりて見たてまつれば、玉光る若君にてぞおはしましける。「肝心をつぶしつるに。」とうれしく覚えけり。

 姫君は、殿・上に知られたてまつりて、かかることあらば、いかにところせきまで騒ぎ給はまし。人少なう侍るにつけても、*宿執口惜しく覚えらるる事のみぞありける。

(注)からす=尼天狗の子供たちであろう。

   鶴の一声=他の鳥には類を見ない大きな一声。赤ちゃんの元気な呱々の声な形

    容。鶴の一声は転じて他を圧倒する権威者の発言の意に用いられるが、ここで

    はその意ではない。

   宿執=前々からの確執。確執というより一連の不義理、不孝であろう。

その10

 *日数の経るままには、姫君の御夢にも殿・上の嘆かせ給ふさまのみ、同じやうにうち続き見え給へば、さこそと*思ひきこえ給ふも、いとほしく覚ゆれば、「いかにして同じ世にある由を*聞かせたてまつらん。」とのたまふも理なれば、*僧正へぞ児の出で来給へる由を申しやりにければ、山より急ぎおはして、「法の力空しからぬにこそ。」*我が功名にぞ思す。

 児、この姫君も一つ所へ具して尼天狗送り置きたてまつりぬれども、いづくの人とも知りたてまつらぬ由申すに、僧正、「かの御事にこそ。」とうれしくて、大臣殿へ参り給ひて、殿にこの由語り給ふ。

 「確かに見知りきこゆる人は侍らねども、おほかた事の折節似つかはしくおはしませば、もしやと人を遣はしてみせ給へ。」と申し給ふ。

(注)日数の・・・=この辺りは絵巻はさっぱりした記述である。奈良絵本は詳しい。

   思ひきこえ給ふも=殿や奥方が姫君のことを思う。昔は、こちらが思う人が夢に

    現れるのではなく、こちらを思っている人が夢に現れると考えられていた。

   聞かせ=原文「聞かれ」。文脈を考慮して改めた。

   僧正へぞ=乳母の機転。僧正経由で大臣邸に知らせようとした。策士である。

   我が功名にぞ=自分の法力のおかげだと思っている僧正はちょっと滑稽である。

その11

 上はありしままにて、はかばかしくも物なども見入れ給はず、あるかなきかにておはしつるが、この事を聞き給ひて、乳母の宰相をぞ遣はされける。

 児は元の姿にては人見知りぬべければ、*男になりて几帳のあたりに隠ろふて侍りけるに、宰相の乳母、姫君を見たてまつりて、先づ知る涙に、咽せかかりぬ。

 姫君も言ひやり給ふ事なく、*袖の柵(しがらみ)堰(せ)きかね給ふ。

 児の君ぞ、尼天狗の同じ所に置きたてまつりし事など語りて、「日数を変えて侍りぬれど、いづくの人とも知りたてまつらで、月日を送りつるに、僧正申されけるにこそ。」と語りきこゆる。

(注)男=成人男性。元服姿。

   袖の柵=流れる涙をせき止める衣の袖を、川の流れをせき止めるしがらみに見立

    てていう語。

その12

【絵巻】

 宰相の乳母、帰り参りたれば、「もしあらぬ事とや申してん。」と誰も肝を消し給へるに、この御事と申すに、うれしともおろかなり。

 さて、「いかにいかに。」とのたまふに、「山にて失せ給ひける児と一つ所に送りたてまつりて侍りけるを、いづくの人とも知りたてまつらで、日数を送らせ給ひ侍るに、いまさらひき別れたてまつらん事の悲しく侍り。この世になき人と思しつらん御心に*なずらへて、契り違へぬ御事ならば、いかにうれしくなど侍りし。」と*かきくどき聞こえさすれば、*「まことに、内裏・春宮にも亡き人と知られきこえし御事を、いかにと申すべきならねば、ただ、命生き給ひて、見たてまつらん事こそうれしけれ。」とて、急ぎ御迎へにたてまつり給ふ。

 *児をも迎へ寄せ給ひて、元服させ給へリ。

 姫君の*御兄人(せうと)の四位の少将は、中将になり給ひしかば、この児の君をば、*外腹(ほかばら)の殿の御子とて少将とぞ申しける。

 容貌(かたち)美しく二人出で入り給へば、内裏より始め世の人も思ふやうなる御事に、愛できこえけり。

 さても尼天狗の孝養に、*五部の大乗経などゆゆしき事どもをして、弔ひ給ひし御夢に、紫の雲に乗りて、美しげなる姿にて、「様々弔ひ給ふによりて、今こそ*兜率の内院に生まれ侍りぬれ。」と、*二つ所ながら同じ様に、見給ひしぞかし。

 その後も、若君・姫君美しく、光るやうにて、あまた出で来給へるを、姫君をば女御に、参らせ給ふ。少将も大将になりなどして、*先世(さきよ)ゆかしき御契りなりけり。

(注)なずらへて=みなして。かこつけて。どうせ死んでしまったと思っていた姫君だ

    から、春宮へに入内などとは言わないで、一緒に暮らした二人の契りをそのま

    ま続けさせてください、との乳母の説得。手八丁口八丁の乳母の面目躍如。

   かくくどき=原文「かきり」(マゝ)。

   「まことに・・・=姫君の乳母、宰相の感想でもあろうが、帰って報告を受けた

    殿や奥方の感想でもある。

   児=今参りの事か。姫君の子とも考えられるが、それでは元服まで時間が長い。

   姫君は死んだことになっているので、夫とは言えず、腹違いの兄弟の子として元

   服させたのだろう。

   御兄人=冒頭に紹介され、一度比叡山への使者として登場した。

   五部の大乗経=天台宗でいう大乗の教法を説いたものとして選ばれた五部の経

    典。華厳経・大集経・大品般若経法華経・涅槃経。

   兜率の内院=弥勒菩薩が住む兜率天の内院。極楽浄土。

   二つ所=姫君・今参り両方に。

   先世ゆかしき=前世も素晴らしい。

【奈良絵本】

 日数をかくて経ぬれど、いづくの人とも知りたてまつらで、月日を送りつるに、僧正申されけるにこそとて、我が身の行く末語りなどして、契り変はらぬ事を、例の*心聞きたる人なれば、風情よくぞ申しける。

 宰相の乳母も、「理かな。」と心の内に思ひて、限りなきままによく申しなすべし

き由*あひしらひて、急ぎ立ち帰らんとぞしける。

 宰相の乳母帰り参り来る間、引き入るる程も、心もとなくも、「あらぬ事とや申し出でん。」と肝心もなく、なかなか日頃よりはみな*心づくしなり。

 御上へ急ぎ参りて、相違なくこの御事を申すに、うれしともおろかなり。

 さて、「いかにいかに。」と申し給ふ。

 「山にて失せ給ひける児と、一つ所に送りたてまつりて侍りけるを、いづくの人とも知りたてまつらで、日数を送り侍りぬる。」を、今ありつる様に申せば、「理なればさもこそ。まづ姫君の御迎へ急ぎたてまつらん。」とて、またやがて宰相と中納言ぞ参りける。

 姫君うれしきにも憂きながら、この日頃住み慣れぬる宇治のあたりの、さすがにあはれに、乳母が情け深かりつる名残りも悲しければ、「人にも見知られじ。」とて、思ふ程もえ物ものたまはで出で給ひぬ。

 殿には、待ち見給ふ親たちの御心の内、なかなかまた別れし時に立ち帰りたるやうに、互ひに涙に暮れて、物も言ひやり給はぬ、理なり。

 さて、宇治には、「児も若君も急ぎ御迎へにこそ。」と宰相契り置きて帰りにしかば、千代ふる心地して心もとなく侍りけるに、十二日ばかりして、御牛飼はなどいとゆゆしげに清らかに仕立てて、若君の御迎へには上の御甥に左近の侍従とておはしけるぞ、いと清げにて参り給ひけり。

 その他諸大夫三人侍五人雑色など、「いたくことごとしからぬやうに。」とおほせられけるを、われもわれもと*そそめきけれ、みな留められて、ただこの際ばかりぞ遣はされども、かかる御代を見たてまつるうれしさ限りなくて、かの*兵部卿の宮、中の君への御迎へも限りあれば、かくこそ思ひ合わせられて、残り留まり侍るも慰む心地して侍り。

 児、男姿にてぞ出で給ひけり。水車を見て、

  *思ひきやうきにめぐりしみつくるまうれしき世にも会はんものかは

 大殿(おほひどの)へおはしたれば、やがて殿御対面あり。

 四位の少将今は頭中将にてぞおはしますも対面し、こよなく児は立ち勝り給へる*御匂ひ、人には優れて給ひつれば、*花の傍らの心地して、紅葉の下さへ思ひ出でられけり。

 この児と申すは、元の*根ざしあだならず、*北の藤波の御末にておはしませど、父母亡くなり給ひて、乳母ばかりが育てたりしを、山の僧正幼(いとけな)くより*御身をさらぬ影にてありしに、かかる不思議の宿世出で来ぬれば、「さるべき御契り、*この世一つならず。」と思せば、内裏・春宮にも、「姫君は亡き人と知られにし事なれば。」とて、*この君をば外腹の御子とぞ申しける。

 容貌美しくて、*二人出で給へば、内裏より始めたてまつりて世の人も、思ふやうなる事とてめでたく聞こえけり。

 その後、若君・姫君光るやうに出で来給へれば、女御に参らせ給ふ。

 *少将も程なく大将となり給ひて、めでたき先の世の御契りぞかし。

 さても尼天狗が孝養に、五部の大乗経*書き供養し、御塔建てて阿弥陀三尊を据え給ひて、ゆゆしき事どもし給ひて、紫の雲に乗りて兜率の内院に生(む)まれぬると御夢に、見えけるとぞ。

 また、宇治の御乳母には辺り近き所給はりて、ゆゆしきこと限りなし。

 御乳母子の侍従は、三条殿にて女御に付きたてまつりて、いとゆゆしく各々めでたしとも申すもおろかなり。

 この物語を御覧ずるともがらはよくよく*秘すべし。

(注)心聞き=機転が利く。

   あひしらひ=対応し。

   心づくし=気をもむこと。

   そそめき=ざわざわして。

   兵部卿の宮=「源氏物語」の登場人物「匂宮(にほふのみや)」。宇治に住む中

    の宮と結婚した。

   思ひきや・・・=「うき」は「憂き」と「浮き」を掛ける。「みつくるま」は

    「水車」と「見つ」をかけるか。「徒然草」第五十一段に、宇治の里人が作っ

    た水車はよく回ったとの記述がある。

   大殿=大臣の邸宅。

   御匂ひ=匂宮を意識した表現か。

   花の傍・紅葉の下=何かの和歌を踏まえるか?

   根ざし=家柄。

   北の藤波=藤原北家藤原氏の本流。

   御身をさらぬ影=影のように自分に付きまとわせる存在。「身をさらぬ影と見え

    てはます鏡はかなくうつることぞ悲しき(落窪物語・巻一)」。

   この世一つならず=夫婦は二世の契りという。あの世までも一緒、もしくは前世

    も一緒。ちなみに師弟又は君臣は三世の契り。親子はこの世限り。

   この君=今参りか。若君とも思われる。

   二人=姫君の兄の中将と今参りが参内した。

   少将=今参りか。絵巻では今参りが少将になったとの記述があるが。

   書き供養=経文を書写し奉納する事。

   秘すべし=「近き頃」の事だから、近親者がいるかもしれないから口外してはな

    らないのだろう。