religionsloveの日記

室町物語です。

稚児今参り③ー稚児物語2ー

上巻

その7

 乳母が衣や袴などをお着せしてみると、普通の女房と全く変わることないばかりか、上品で美しくさえ見える。乳母は意を得たりと喜んで稚児を牛車に乗せて、かの局へと赴いた。

 吉日を見計らって御目通りをすると、女房たちが出てきて、会ってご覧になると、年は二十歳に二つ足りない程ぐらいで、しとやかで優美な様子は心憎いほどである。

 髪の乱れ落ちている様子などは、予想を超えて格別に見えるので、若い女房たちはその様を覗ってはうっとりとささやき合うので、乳母はしてやったりといった気分で、いつものように世間話をしながら、彼女らのお相手をするのであった。

 女房の一人が、「何かお得意なものはございますか。」などと尋ねると、乳母は「御両親が御存命の折は、琵琶を習わせ申し上げたのですが、その後はうちやっておいでです。」などと申し上げる。

その8

 稚児はそのまま局に留まった。姫君がお部屋で琴を弾いているようだ。その音色を聞いていると、雲居遥かに思いを募らせていた時よりも、こよなく慰められうれしいのであるが、一方では何とも恐ろしいことをしているなあとも思われるのであった。

 試しに文を書かせてみると、

  琴の音に心ひかれて来(こ)しかども憂きは離れぬ我が涙かな(琴の音に心魅かれ

  てこちらに参りましたが、なぜか涙は私を離れません。それがつろうございま

  す。)

 限りなく美しい水茎である。人々はその素晴らしさに驚くばかりであった。

 月が曇りなく見える夜の、殿上が姫君に琴の演奏を促した折に、姫君が、「今参りの女房が琵琶を能くすると聞きました。それを聞いてみたいわ。」などとおっしゃるので稚児をお召しになった。

 稚児はほっそりとしなやかな姿で、少し少年っぽい感じはするが、かわいらしく、上品で魅力的である。 

 姫君は、「女房たちが褒めあっているのももっとものことだわ。」と思いながら稚児をご覧になった。

 琵琶の演奏を催促すると、「多少は習いもしたのですが、近頃は患うことがございまして、琵琶の稽古もうちやっておりました、」と言って手に取りもしない。様々に促しなさるので、困ってしまい、とりあえず、盤渉調に調律し、秋風楽という唐楽を弾くと、撥音や手さばきは神がかっていて、上臈の女房のようでこの上なく趣深い。

 大臣殿も耳にするや驚いて、名声を得ている名人上手にも勝る程で、「未だかつてこのような調べを聞いた事はないことよ。」とこの世に比類ないものだとまでお思いになる。

 頃は長月(旧暦9月)の十日過ぎのことで、月が澄みわたって、晩秋の虫の音がかすかに聞こえて、萩の上を吹く風が身に染みる次節で、おのずから心が澄んでいく。

【次の和歌は奈良絵本のみ】

  月のみやそらに知るらん人知れぬ涙のひまのあるにつけても

  (私が人知れず流す涙が時には絶えることを月だけが空で気付いているだろう)

大臣がなおも曲を催促するので、普段は聞きなれない楽を弾いていると、夜はいっそうひっそりして、その趣には、いまだ見ぬ昔の、白居易が琵琶を聞いたという潯陽の川のほとりまで思い浮かべられて、言いようのない情感に充ちている。

 大臣はすっかりご機嫌で、「今宵の素晴らしい琵琶の演奏のご褒美には、姫君への御目通りを許すことにしよう。」と几帳を取り払うので、姫君に視線を向けると、花の夕影に木暮から覗ったのなどは比較にならないくらいで、そのかわいらしい目元や額のあたりはまばゆいほどである。

 こうしてみると、あの乳母の計らいがとてもありがたく、うれしくて涙が浮かぶ心地がするのを、こらえながらそこにいるのだった。

その9

 その夜以来姫君のおそばにお仕えして、昼などは差し向いにお会い申し上げていると、雲居の彼方で思いを募らせていた時とは、生まれ変わったような気がするのであった。

 心を込めて琵琶を姫君に教えたので、奥方様も非常に喜んだ。

 今参り(稚児)は、ちょっとした遊びでも、ほかの女房たちとは違って奥ゆかしく情趣がありげに振る舞っている。

 御前を立ち去ることなくお仕えするので、次第に姫君も打ち解けなさって、いつまでもご一緒に遊び事をなさるのだが、どのような折にか、「わが心かはらん物かかはらやの下たく煙わきかへりつつ」の古歌のように、瓦窯の下で思いの火がくすぶるのを打ち明けたいとの衝動が起きるのはつらいことである。

原文

その7

 衣・袴など着せたてまつりて見るに、女房に少しもたがふ気色なく、あてに美しう見え給へば、乳母うれしくて車に乗せたてまつりて、かの局へ行きぬ。

 日よきほどに通して、女房*たち出で会いて見給へば、年は二十に二つばかり足らぬほどにて、たをやかになまめかしき様心憎し。

 髪のかかりたる程など、推し量りつるよりもこよなく見ゆれば、若き人々覗き愛で*そそめきければ、乳母*しおほせたる心地して、例の口ききてぞ*あひしらひけり。

 「何が御能にて。」など問ひければ、「親たちのおはしまし侍りし程は、琵琶をこそ習はせきこえ侍りしかども、その後はうち捨て給ひて。」など申しけり。

(注)たち=「立ち出でて」かもしれない。

   そそめき=ささやき。

   おほせたる=やりとげる。うまくやる。

   例の=いつものように。用言にかかる。

   あひしらひ=相手をする。

その8

 留めれられて局にて、姫君の御琴を聞きたてまつれば、雲居遥かに思ひたてまつりしよりも、こよなく慰みうれしきものから、空恐ろしき心地ぞするや。

  *琴の音に心ひかれて来(こ)しかども憂きは離れぬ我が涙かな

 物など書かせて見けるに、限りなく美しかりければ、人々もありがたく覚ゆ。

 月隈なき夜、姫君に御琴すすめ給ふ折節なるに、「この人の琵琶を聞かばや。」などおほせられて召し出でたり。

 姿つき細くたをやかにて、すこし*わらはなりなるものから、愛敬(あいぎゃう)づきて、あてになまめかしく見ゆ。

 女房どものほめあひけるも、理に御覧ず。

 琵琶をすすめ給へば、「少し習ひて侍りしかども、日頃労(いたは)る事侍りて、うち捨てて侍る。」とて手も触れねば、やうやうすすめ給へば、わびしくて、*盤渉調(ばんしきてう)調べて秋風楽といふ楽を弾きたるに、撥音(ばちおと)・手使い*かみさびて、上衆(じゃうず)めきたること限りなくおもしろし。

 殿も耳驚き給ひて、名を得たる上手にも、ややたち勝るほどなれば、「今までかかる事を聞かざりけるよ。」と類なきまで思す。

 頃は*長月の十日余りの事なれば、月澄み渡りて、虫の音かすかにおとづれて、*萩の上風(うはかぜ)身に染むほどの折りからも、心澄み渡るに、*なほなほせめ給へば、常に耳慣れぬ楽ども弾きたるに、夜の静まるままにおもしろく、かの*潯陽の江のほとりの見ぬ世の古(いにしへ)まで思ひやられて、いふばかりなし。

 「今宵、優れ給へる御琵琶の*纏頭(てんとう)には、姫君の御前許しきこゆべし。」とて几帳押しのけ給へば、見やりたてまつれば、花の夕影はものの数ならず、愛敬づき給へるまみ額つき目もあやなり。

 乳母が計らひありがたく、うれしきにも涙浮く心地すれば、紛らはしてぞ侍りける。

(注)琴の音に・・・=この和歌は絵巻にはない。奈良絵本により補った。ちょっとつ

    ながりは悪いが、書かせた内容がこの和歌だとすれば、書かせたことの唐突さ

    はなくなる。

   萩の上風=萩の上を吹き渡る風。和歌によく用いられる。

   わらはなり=童顔?少年っぽい感じ?

   盤渉調=雅楽の調子の一つ。

   かみさびて=神々しく。古風で落ち着きがあって。

   長月十日余り=長月十三日は「後の月」。いわゆる十三夜で名月を愛でた。

   なほなほ=この前に奈良絵本では、「月のみやそらに知るらん人知れぬ涙のひま

    のあるにつけても」とある。

   潯陽の江のほとり=九江付近を流れる揚子江の異称。白居易が「琵琶行」を作っ

    た所。「琵琶行」流謫の身の白居易が潯陽のほとりで、ある秋の月夜に落ちぶ

    れた妓女の弾く琵琶の音を聞くという内容で、「千秋の絶調」と評された(ニ

    ッポニカによる)。

   纏頭=歌舞・演芸をしたものにあたえるごほうび。「琵琶行」に「五陵年少争纏

    頭」とある。妓女の歌舞に客が褒美として与えた錦を頭に纏ったことから。

その9

 その夜より侍ひて、昼なども差し向かひて見たてまつるに、雲居のよそに思ひやりたてまつりしに、*生(しゃう)を変へたる身とぞ覚えける。

 御琵琶を心を入れて教へたてまつれば、上も喜び給ふ事限りなし。

 はかなき遊びまでも人には異なる様なれば、心憎く由ありてぞ侍りける。

 御前を立ち去ることなく候へば、やうやう打ち解け給ひて、限りなく遊びつき給へるにも、いかならむ折にか、*瓦屋の下の思ひをしきこへんと思ふ折々の出で来るぞうたてきや。

(注)生を変えたる=生まれ変わった。

   瓦屋の下の思ひ:=「わが心かはらん物かかはらやの下たく煙わきかへりつつ」

    (後拾遺恋4・藤原長能)を踏まえるか。「瓦屋」は瓦を焼くかまど。「瓦」

    と「変わら(ない)」を掛ける。あなたを思う心は瓦の窯の下の煙のように変

    わらずにくすぶり続けています、との意か。