ここからは「絵巻」の欠損も多く、「奈良絵本」で補うことが多いのですが、その際、文脈を考慮して恣意的になることをご了承ください。明らかに欠落したと思われる所は本文を補って訳しましたが、奈良絵本の方が加筆したように思われる所は、両方の訳を併記しました。それぞれの本文は「室町物語大成」をご覧ください。
下巻
その1
比叡山の僧正からは、「稚児の病がよいようならば、登山しなさい。」との催促がおありになるのを、乳母はとかくあしらっていたが、美童のことゆえ山の人々は、「大切なことが次々とあるのに、この若君がいらっしゃらないとは興ざめでございます。」と言って、言い逃れもできない程に問い詰める。乳母は内大臣の邸に参って、稚児にこの事を申し上げたが、姫君のおそばを片時でも離れることがつらく思えたので、あれこれ言い訳したのだけれども、乳母は、「このお召しを応じないならば、果ては遺恨を残すでしょう。」と申し上げる。今参りはこの事を姫君に申し上げて、「四五日お暇をください。」とお願いすると、姫君は、「もはや隠しおおせない我が身なのに、それを語り合って、慰め合える人まで出て行ってしまったらどうなることでしょう。」と、涙をとめどもなく流している。それを見捨てて出て行こうにも、魂だけが体を離れてここに留まってしまいそうな心地がして、悲しいのではあるが、そうはいってもいつまでも留まることもできないので、涙ながらに、
かりそめの別れとかつは思へどもこの暁や限りなるべき
(一時的な別れとは思いますが、この暁が今生の別れとなりましょうか(いやそう
は思いません、きっと戻って参ります)
姫君は、
帰り来む命知らねばかりそめの別れとだにも我は思はず
(帰ってくるまで命があるかどうかもわかりません。ですからかりそめの別れとさ
えも私には思われません)
今参りが出るのをためらっていると、局から童がやって来て、「も早や夜が明けてしまいます。」と言って急き立てるので、夜明けに一羽啼くやもめからすのような心地がして恨めしいが、そのまま心の中で泣いて後朝(きぬぎぬ)の別れ(=男女の明け方の別れ)となったことは言いようもなく耐えがたい。
今参り、
後朝の別れは同じ涙にてなほ誰が袖か濡れまさるらん
(後朝の別れの悲しい涙は誰もが同じです。どちらの袖の方がより濡れていると
いうことはありません)
姫君、
誰が袖のたぐひもあらじ涙川うき名を流す今朝の別れに
(誰の袖も私の袖の濡れ具合には比べようもないでしょう。この涙の川につらいう
わさを流すようになるかもしれない今朝の別れには)
その2
今参りはやるせない思いで里に帰って、女装を解き元の稚児の姿になった。そして輿に乗って比叡山へ上った。
道中、「うき名を流す」とおっしゃった姫君の面影が、身に染みる心地がして、千載集の「伏柴の」の歌ではないが、かねてから予期していた嘆きではあるが、姫君の身のつらさに思いを馳せるのであった。
「この世を限りとの別れでも、これほどつらいことがあろうか。」と思うと、この死出の山路から引き返したく思われて、それでも叡山に行くと、僧正を始め山中の人々が大騒ぎして歓待するのであった。
皆が皆、稚児を交えて遊興に入ろうとしたが、稚児は他に考えることもなく、ただ姫君の行く末が隠せられない(出産する)事が思われて、誰に相談して思いを慰めていなさるのだろうか。」などと、その事ばかり気にかかってどんな遊興にも心は動かされないのであった。
【絵巻】 ただしょんぼりとしているので、事情を知らない法師たちは、「まだご病状が晴れないだろう。」と思って誠実にお世話するのであった。
【奈良絵本】伊勢物語の「今はとて忘るる草の種をだに人の心に播かせずもがな」ではないが、せめて姫君のことを忘れる事がないようにと、あれこれとぼんやりと物思うのであった。
夢に添ひ現に見ゆる面影のせめて忘るる時の間もなし
(夢に添えて起きては見えるあなたの面影は私に迫って来て、忘れる時もありませ
ん)
稚児がただしょんぼりとしているので、事情を知らない法師たちは、「まだご病状が晴れないだろう。」と思って誠実にお世話するのであった。
【以下は共通】
その3
このようにして四五日が経過したが、稚児は部屋の内にも入らずぼんやり縁側で山の方を眺めていると、夕暮れの薄暗い折に美しい紅葉が一葉散って来たのを取ろうと歩み出ると、恐ろしげな山伏が突如現れた。そして、「さあ一緒に行きましょう。」と言って稚児を小脇に挟んで、いずこへか空を駆け上っていった。
人々は、「稚児殿、どうしました。中にお入りなさい。」と言ったが、返事もないので、あちらこちらを捜したがどこにも見えない。どこに行ったか全くわからず、僧正様も慌てふためいて、皆で山内をくまなく探し回るが、どこにもいらっしゃらない。「天狗の仕業か。」と思われて、世間で噂されるのも情けなく、法力も通用しないのか甲斐がないので、僧正は壇を設けて祈祷なさったが、その効果もなかった。やがてその噂は京の都にも届き、「不思議な事よ。」と人々は語り合った。噂は内大臣の邸にも伝わったが、人々はなんとも気に留めなかったが、姫君だけは、「きっとあの人の事だわ。」と直感し、深刻に心配なさる。
【絵巻】
「我が身の行く末を相談したい人までも、このようにいなくなってしまったならば、この先どうしたらよいのでしょう。」とやるせない気持ちでいっぱいである。
【奈良絵本】
忍ばずば訪はましものを人知れず別れのうちのまた別れ路を
(人目を忍ばなくていいならば訪ねて行きたいのに。人知れず別れてしまった上に
さらに別れてしまったあなたへの路を)
別れ路を、このつらい我が身の覚めない夢だと思いなしても、この身がどうなってしまうのか、世間の噂をも相談し合って慰めてもらった今参りまでもいなくなってしまったならば、どうやってどうしていこうかと、やるせなく心は乱れるのであった。
あの別れの暁に、様々に慰めの言葉を言い置いていったのを、思い出すにつけても、「どうして(この世ではかなえられず、)あの世で成就することなのか。」などと世を思う(死ぬことを思う)のは不本意に思われるのであった。
【以下は共通】
日に日におなかもふっくらなさって、姫君はもう床に臥してばかりいなさった。
姫君は、「川にでも身を投げて、川底の水屑となってしまおう。」ともお思いになるが、邸を抜け出せる機会もなかった。人々が心配するも、「健康に別条はないのですから。」と、お薬もお飲みにならないので、例にならって頻繁に祈祷をするばかりであった。
春宮からも、「楽しみにしていたのに意外なこと。」とお尋ねの使いがあったが、殿や奥方も 、病気が原因で参内が延びていくのをとても嘆かわしく思いなさった。
ある夜、姫君が隙を窺いなさっていると、そばに居る人がぐっすり眠っているのを、「チャンス!」と思いなさって、そっと起き出しなさって、妻戸を押し開けなさると、有明の月がほのかに射しこんで、風がひんやりと吹く。それでなくてもしみじみとするのだが、「これが見納めか。」と思っていたが、躊躇する事はなく、一番鶏の鳴く音もかすかに聞こえるその時にひっそりと抜け出したのであった。
「きっと親たちは嘆きなさることだろうなあ。」と、罪深い身だと自分を思う。
白い袴に袿を重ね着したばかりの簡素ないで立ちで、伴もいず自分で裾を無造作に引き上げてお出でになるのは、とても心細そうである。
惜しからぬ身をば思はずとまり出で闇に迷はんあとぞ悲しき
(命が惜しいわけではないが思わず、(とまり?)出て、闇に迷う行方は悲しいこ
とです)
原文
その1
*山より、児の労はりよろしき様ならば、上るべき由のたまへども、乳母とかくあひしらひけるに、*山に人あまた集ひて、「由々しき事にありけるに、この若君のおはせざらんは興なきことにぞ。」とて、逃るべき方なくのたまふほどに、乳母この殿に参りて、この由語るに、片時も立ち離れたてまつらん事、悲しく覚えければ、とかく申しのぶれども、あまりに責め給ひて、このたびおはせずば、なかなか恨むべき由のたまへば、姫君にこの由を申して、「四五日のいとま。」と聞こゆるに、「つひに隠れなき御身の有様を言ひ合はせても、慰み給へる人さへ出でなば。」と*せきやり給はぬ御気色を、見置きたてまつりて出でける心地、魂はみな留めぬ心地して悲しながら、さてしもあるべきならねば、泣く泣く、
かりそめの別れとかつは思へどもこの暁や限りなるべき
姫君、
帰り来む命知らねばかりそめの別れとだにも我は思はず
*出で方にやすらへども、局より童参りて、早や夜も明けなんとする由申して、急がしければ、逃るる方なくて、*やもめ烏の心地して恨めしけれど、さながら魂は泣く泣く立ち出でて、*おのが衣衣(きぬぎぬ)になるほど、言はんかたなく耐へ難し。
後朝(きぬぎぬ)の別れは同じ涙にてなほ誰が袖か濡れまさるらん
姫君、
誰が袖のたぐひもあらじ涙川うき名を流す今朝の別れに
(注)山より・・・=以下5行ほど絵巻にはない。奈良絵本により補った。
山に人・・・=当時の比叡山における稚児のありようが覗われる。稚児は一山の
アイドルなのである。
せきやり=涙を抑え止める。
出で方に・・・=以下その2の冒頭の「うきながら、里にて元の姿になりて、輿
にてぞ山へ上りける。」を除いて、その2の5行目まで欠落しているようであ
る。奈良絵本により補ったが、和歌や古歌を踏まえた表現が特徴で、奈良絵本
の方が後に潤色・加筆した可能性もある。(奈良絵本の方が全般的に表現がく
どい印象である。)
やもめ烏=夜半から夜明けにかけて泣く烏。また、連れ添う相手のいない一羽だ
けの烏。
おのが衣衣=共寝の男女が起きて別れる事。「しののめのほがらほがらと明けゆ
けばをのがきぬぎぬなるぞ悲しき」(古今集・恋3)
その2
うきながら、里にて元の姿になりて、輿にてぞ山へ上りける。
*道すがら、「うき名を流す」とのたまひし面影のみ身に染む心地して、*伏柴のなげきはかねて*思ひ設けにしことなれど、御身の行方の心苦しさを思ひ添へ給ふ。
「*限りある道の別れしも、これには勝り侍らん。」さ思ふに死出の山路の麓よりも引き返さまほしく、行きぬれば、僧正を始めたてまつりて、めづらしがりののしりてもてなすこと限りなし。
各々、興に入らんとしけれども、児は何にも止まることなく、御身の行く末隠れまじきことを思し入りたりし御面影は身を去らぬ心地して、*「誰にか言ひ合わせても慰み給ふべき。」など思ひ出でたてまつれば、物のみ心にかかりて、何事の興あることも思ひ給はず。
うちしほれておはしければ、「(法師どもは)御心地の未だ晴れ晴れしくもおはしまさぬなめり。」とて、いよいよ忠を尽くす事限りなし。
(注)うきながら=その1の最後の和歌の「うき名」を承けている。
伏柴のなげき=「かねてより思ひし事ぞ伏柴のこるばかりなるなげきせむとは」
(千載集・799)による。伏柴は柴のことで、柴は樵(こ)る(=刈る)か
ら、「こる」の枕詞で、これは「懲(り)る」との掛詞。「予期した通り懲り
て嘆くようになったなあ」という意味だろう。「なげき」も「嘆き」と「投げ
木」を掛ける。「思ひ(火)」と「柴」と「投げ木」は縁語。
思ひ設け=予期する。
限りある道=死出の旅路。
誰にか・・・=奈良絵本では以下3行がなく、代わりに、「せめて忘るる草の種
とだに、心に播かする事ならば、とにかくに思ひほれけり。夢に添ひ現に見ゆ
る面影のせめて忘るる時の間もなし」とある。「今はとて忘るる草の種をだに
人の心に播かせずもがな」(伊勢物語・21段)を踏まえた表現。
その3
かくて四五日にもなりぬるに、つくづくと内へも入らず、山の方を眺めて居たるに、夕暮れのたどたどしき程に、紅葉の美しき一葉散り来たるを取らんとて、あよみ出でたれば、恐ろしげなる*山伏の、「いざ給へ。」脇に挟みて空を駆けて行きぬ。
人々、「いかに内へ入らせ給へ。」と申しけれども、音もし給はねば、ここかしこ求めたてまつるに見え給はず。行方も知らぬことなれば、僧正も騒ぎ給ひて、人々、山内を求めけれどもおはせざりければ、「天狗の仕業にこそ。」とて世の聞こえもあさましく、法の力も口惜しくて、壇を立てて祈り給へども、その験もなくて日数経にければ、この事京へも聞こえて、不思議に申し合ひけるが、この殿へも聞こえけるを、人は何とも思ひ咎めねども、姫君ばかりぞ、「この人の事にこそ。」と思しければ、いかでおろかに思さん。
*「御身の行方をも言ひ合はせ給ふべき人さへかくなりなば。」とやるかたなくておはしける。
日数に添へては御腹もふくらかになり給へば、ただうち臥してのみぞおはしましける。
「底の水屑ともなりなんや。」とは思せども、隙もなければ出で給はんこともかなはぬに、*たけきことと御湯をだにも身入れ給はねば、例の御祈りぞひまなかりける。
春宮よりもおどれかせ給へども、この御心に伸びゆくを、殿・上思し嘆くこと限りなし。
姫君、隙を覗ひ給ふに、御あたりの人よく寝入りたれば、「今ぞよき隙。」と思してやをら起き出で給ひて、妻戸押し開け給へれば、有明の月はつかに射し出でて、風冷ややかにうち吹きて、そのこととなからんにだにもものあはれなるに、「これを限り。」と思しけんに、ためらひやり給はず、夜深き鳥の音も、今ぞかすかに聞こえける。
親たちの思し嘆かんこと、罪深き心地ぞし給ひける。
白き袴に*二つ衣着給ひて、裾しどけなく引き上げて、立ち出で給ふ御心地、いと心細し。
*惜しからぬ身をば思はずとまり出で闇に迷はんあとぞ悲しき
(注)山伏の=山伏(天狗)に拉致される趣向は「秋夜長物語」に似ている。
「御身の・・・=以下2行は奈良絵本では和歌が入り、
忍ばずば訪はましものを人知れず別れのうちのまた別れ路を
別れ路をうき身に覚めぬ夢になしても、類なき御身の行く末の、世語りをも語
り合はせ、かく慰みし人さへなくなりなば、いかさまにして、いかさまにせん
と、やるせなくて思し乱れけり。ありし暁、様々慰め置きし事など、さすがに
思し出づるにも、など後の世と思すぞあやにくなるや。」となっている。「世
語りに人や伝へむたぐひなく憂き身を覚めぬ夢になしても(源氏物語・若紫)
を踏まえた表現か。
たけきこと=元気です。病気ではありません、の意か。
二つ衣=袿や衵を二枚重ねたもの。
惜しからぬ・・・=奈良絵本「惜しからぬ身をば思はずたらちねの親の心のあと
ぞ悲しき」。どちらもわかりずらい。