religionsloveの日記

室町物語です。

花みつ全編ー稚児物語3ー

 「花みつ」は「室町物語大成」には、10巻に「花みつ」「花みつ月みつ」が、補遺2巻に「月みつ花みつ」が所収されています。あらすじはほぼ同じですが、表現には多くの違いがあります。このブログでは「花みつ」を基本として、「花みつ月みつ」(以下「花月」と省略)「月みつ花みつ」(以下「月花」と省略)と比較しながら読んでいきたいと思います。原文は適宜ひらがなを漢字に改め、標準的な歴史的仮名遣いに改めました。

 

上巻

 昔、播磨の国赤松(妙善律師則祐)殿の御家中に、岡部の某という者がいた。

 古くからの功臣というわけではなかったが、器量才覚が抜きんでていて、播磨の国の半国の守護代を任せられて、その家は非常に富貴だった。庶人からも尊敬を集めていた。しかし、そのような素晴らしい境遇でも、心にかなわぬことがあるのは世の習い、一人の子もお持ちにならなかった。これだけがこの夫婦の悩みの種であった。

 岡部は心中、「我が身が盛んな時は立派な暮らしを送ることもできよう。しかし、残念なことだが他家の子を養子としても、現世の跡継ぎはともかく、後世の頼りとはなり難い。やはり実子。昔から神仏に祈願すればかなうと承っている。大願成就を祈願して御子を申し受けたいものだ。」とお思いになり、我が身は潔斎し、女房は領地の氏神(法華堂)に七日間参籠し、岡部は書写山に参籠して、ひたすらこの事を一心に祈りなさった。

 岡部の女房は七日の満願の夜に、蕾の花を(仏に)頂く夢を見た。「きっと所願成就の兆しであろう。それにしてもすぐに青葉になってたちまちに散るのを見るとは、成人まではともに暮らすことができない事の予兆なのか。」と不安に思いながらも、喜んで戻って行った。

 岡部の殿様の御夢には、満開の花を(仏に)頂くと見るや否や、風に誘われ散るのを見て、その後はどうなる事にかと気にかかりながらも、お戻りになった。

 そうすると、ほどなく女房は懐妊なさり、さしてお障りもなく男子を出産しなさった。岡部も女房もこの上なく喜んだ。二人の夢にちなんで名を「花みつ」殿と名付け、乳母・傅を多くあてがわせ大切に育てなさる。主君の赤松殿始め多くの朋輩たちは、各々言葉の限り、「おいのかほう(老いの果報、か。老いの家宝、か。別解か。)とはこのような事でしょう。」と面々にお祝いなさった。

 翌年、花みつ二歳の春、赤松は岡部を呼び出した。そして言うには、「今年私は大番役に当たった。お前も知っているように私は病を患っておる。はるばる都へ上ることは無理だと思う。岡部よ、私の赤松の名字を名乗って、三年の都の警護を務めよ。」とおっしゃるので、名字を名乗る時の名誉は身にあまるほどで、早速京へと上洛なさった。

 そうしていると、ある人が、「そうはいっても都にいるうち、一人暮らしでいなさるのもお寂しいでしょう。」と言って御目容貌のたおやかなるをお差し向けなさった。岡部もまんざら朴念仁ではなかったので、この女房と深く契っということである。これも前世の契りであろうか、まもなく懐胎して玉のような男子を産んだ。岡部は内心、「書写山へ参拝して夢を見て帰ったのは、きっとこの子の方であるに違いない。」と有難く思った。おりしも九月十三日の夜の事だったので、その夜の月にちなんで、「月みつ」と名付けたのである。

 岡部は、大番役も果たしたので、月みつを母も伴って播磨へと下り、女房の手前、とある所へ隠して住ませ、この事を御台所(女房)に申すと、聞いた御台所は、「それはうれしいことです。花みつ一人では万事頼りなく思ていましたが、弟ができたとなればうれしいことです。他の所で育てるのも心配です。」と言って、月みつも呼び寄せて、自分の子の花みつよりもさらに可愛がって、花よ月よと育てなさる。一方、月みつの母親は、庶子の母であるという世間の誹りを憚って、ほんの時々岡部殿から便りがあるだけで、ひっそり暮らしていたのであった。

 このようにして年月は過ぎ、花みつ十歳、月みつ九歳の年、岡部殿がお思いになったのは、「この兄弟を無為に可愛がって手元に置くことも無益な事だ。書写山へ上らせ学問をさせよう。」と。とりあえず花みつだけを連れて書写山へ登山なさった。

 書写山別当は、岡部殿ということで直接会って、様々な趣向を凝らしもてなしなさった。酒宴は三献にも及び、岡部がさらに別当に杯を差し出す。別当がなみなみと受けなさると、岡部殿が仰る。「ただ今の御酒杯、酒肴としてお望みの事がございますならば、どのような事でもおかなえ致しましょう。」と言うので、別当は、「老いの身である拙僧には何の望みもございません。ただ、この花みつ殿を私にお預けください。この方の後見人となりたく思います。」とおっしゃるので、岡部ももとより願っていた事なので、「問題ございません。」と了承して、お互いにこの上なく喜んだのであった。

 次第に日が暮れていくので、岡部と別当は互いに暇乞いして、岡部は花みつに向かって言った。「今日からおまえはここに預け置こうと思う。別当の御心に背くことなく、よく学問に励み、父の名誉ともなって、自身も徳を身に付けなさい。月みつもいずれ上らせようぞ。」と言い置いてお帰りになった。

 月みつはこの事を聞いて、「ああ羨ましいことだ。兄上は山に上りなさったというのに、父上はどうして私を上らせてくださらないのだろうか。」と不満を口にしたのを岡部はお聞きになって、「殊勝な物言いであることよ。まだ幼いこととて寂しい山住まいはいかがと思って、とりあえず花みつだけを上らせたが、大人びて学問をしたいと言うとはうれしいことだ。」と言って月みつをも連れて山へお上りになった。別当はますます恐縮して、心を込めて住まわせなさった。

 人々は、「ああ別当は果報者であるなあ。守護代の公達を兄弟そろって預かりなさるとは。羨ましいことだ。」と言い合った。そう思わぬ人はいなかったのである。

 そうしているうちに、この稚児たちは年頃になりなさって、容顔は美麗にして、霞の中を漂う花の香を届ける春風が青柳を乱れ揺らすようなお姿は、観音菩薩勢至菩薩の化身かと思われ、智慧・才覚も非常に優れ、一を聞いて十を悟るほどで、特にもののあわれを深く理解し、そのこころざしは優雅で、書写山三百坊の衆徒の数は千余人といわれたが、一目でも見た人は言うに及ばず、伝え聞いた人でさえ、この稚児たちに心魅かれない者はなく、「どうにかして近づき睦んで、御経の一偈をも伝えたいものだ。」と思わない者はいなかった。

 さて、悲しさを一身に負ったのは花みつ殿の母上である。ほんのかりそめの風邪心地とおっしゃって、病の床におつきなさったのである。岡部は嘆き心配して、様々な薬を与え、神に訴え仏に祈り手当なさったが、命を散らす無常の風には防ぐ手立てもなく、次第次第に弱りなさっていった。

 今は祈りもかなわずと見えた時に、岡部は妻の枕元に寄り添って、「おぬしの容態を見ると恨めしくて仕方がない。どうしてそんなに弱りなさってしまったのか。あの幼い子たちの生い先を見届けたいとは思いなさらないのか。もし心の中に思っていることがあったら包み隠さずおっしゃいなさい。」と言うと、御台所は枕を傾けて、「私が死んでしまったならば花みつが嘆くであろうことが悲しゅうございます。月みつも同じ兄弟のように思いますので、明日からは月みつの母を招き入れて私と同様に正妻として二人を育てさせなさってください。他の女性と親しくなることは決したなさらないでください。これ以外に言い残すことはございません。」と言って眠るようにお亡くなりになった。花みつ月みつ兄弟も山を下りて嘆きなさった。とりわけ花みつの心中はたとえようもないほどだった。

 さて、そのままでいるわけにもいかないので、泣く泣く葬儀を執り行い、もはや初七日も過ぎたので、御台所の御遺言の通りに、月みつ殿の母を館に招き入れて、新しい御台所と定めなさった。月みつの母は、かつてのひっそりとした住まいと打って変わって、今まさに栄華の身となりなさった。「盛者必衰、栄枯地を変える(栄枯の立場が逆転する)」とはこのような事を言うのであろうか。

 このような状況でその頃、京都に騒乱があって赤松殿が都へ上りなさる事となり、岡部もお供に加わり、国元が気がかりながらも京にとどまっていた。その後、新たな御台所はまことの母ではない恨めしさ、月みつばかりにのみ衣や小袖をあつらえて送り、朝夕も頻繁に見舞いを遣わしたが、花みつ殿には全く訪ねることはなかった。

 岡部は都にいてつくづくと思案を巡らし、「傷ましいことだ。花みつは母に先立たれて心細い上に、私までも長いこと京都にいて、きっと万事にわたって不自由であろう。」と思って、正月の晴れ着にと年に暮れに小袖をあつらえて、「これを花みつの所へ送りなさい。」と播磨に届けると、女房はこの手紙を見て、「我が子月みつには何の便りもお寄こしなさらないで、花みつの事ばかり細々とお書きなさる。恨めしいことよ。」と言って、すぐさま手紙を書き直して、「月みつへの小袖です。」という事にして寺へ送りなさる。

 花みつはひどくつらく悲しくて、母親の事ばかり嘆き、学問も全く身につかず、悲嘆に沈んでいるのであった。

 別当を始め人々は、「かわいそうに、花みつ殿は母に先立たれて、いつの間にか父さえ心変わりして、疎(おろそか)かに扱うように見えるにつけても、先ずは月みつ殿をいとし子と思っているのだろう。」と思って待遇し(月みつの方を大切に扱う)なさるのも道理である。

 ようやく京の争乱も鎮まって、岡部は播磨に下向し、「花みつは成人したか。月みつはどうか。」と問うと、継母は、「兄弟そろって大人っぽくなりましたが、花みつは最近学問を怠って、野山に宿って別当の坊にも全く一夜も寝ないで、若い同宿たちと連れ立っているので、別当が御勘当なさったと承っております。私としても疎略に扱っていたつもりはありませんが、このような事を聞くと恨めしく思います。」と言って涙を流すので、岡部はお聞きになりながら、「そうであったか、しかしまことの親ではないからか何の弁護もしないで、父の私にまでもこのように花みつの讒言を聞かせるのだ。」と残念に思いながらも、「もしかしたら、この女房の嘘ではなく、本当にそのような事があるかもしれない。」と思って、花みつを強引に呼び下らすのも、別当の機嫌を損なうことになろうと、月みつを呼んで事の事情を糺そうとお思いになって、手紙を遣わした。手紙には、「月みつだけ山を下りなさい。花みつは改めてこれから迎えを上り遣わせよう。」と書いてあった。

 花みつは心中、「さては父上もきっと心変わりなされたに違いない。私は兄なのでまずは私を先に呼び寄せて下らせるはずであるのに、月みつだけを呼びなさるとは、思いもかけない事だ。」と涙ぐみなさるのを、月みつはご覧になって、「私共が父上の元へ参って、兄上の事もよきように申して、今日のうちにでもお迎えを上らすようにいたしましょう。」と言って出て行きなさるので、「羨ましいことよ。月みつは弟であるのに、母親がいらっしゃるので、父上の取り扱いも丁寧で、里へ下がることだなあ。父の御前ではよきように頼むぞ。」と言って以前からいた部屋に閉じこもって、涙を袖に包みなさってうつ伏していらっしゃった。

 月みつも名残惜しげにしばらくは輿にも乗らず、同宿を近づけて、「花みつ殿をお慰め下さい。私が父上にお目にかかったならば、よいように申し上げて、どのような御不興でも、我が身に代えて御機嫌をお直し申し上げましょう。」と無邪気におっしゃる月みつ殿のお気持ちこそありがたいことである。

 月みつが急いで里へ下りなさると、岡部殿はお会いになって、「もう下ってきたのか。この数年会わない間に美しく成人したのはうれしいことだ。さすがに山育ちという事で、色は白く上品で物言い人当たりに至るまで、我が子とも思われない。花みつも幼い頃から一際美しかったので、いよいよ立派に成人しているだろうな。」と涙を抑え、「どうして別当は勘当なさったのか。すぐにでも参上し、別当の御前に伺うことも許してもらって、面会したいものだ。」と思って、再び月みつを連れて書写山へ上りなさった。

 別当は出てきてお会いなさり、様々にもてなしなさるが、あたりを見るに、同じような稚児は並び居るが、花みつは見えなかった。岡部が心中思うに、「きっと別当の勘当は深いのだろう。私がごくまれに伺ったことであるから、大概の勘当は許して面会させてくださるだろうに、部屋に押し込めておきなさるとは恨めしいことよ。」そうはいっても、師匠が諫めていなさるのを、不躾にお許しになって会わせてくださいとは言いづらく、こぼれる涙を押しとどめて世間話ばかりをするのであった。別当もまた岡部殿が不機嫌そうで、花みつの事を一言もおっしゃらないので、言い出すこともできないで、花みつの部屋へ立ち寄って、「花みつよ御身は本当に父上の不興を買っているようだ。しかしながら今すぐにでも、事情を説明して誤解をお解きなさい。不安にお思いにならないで。」と慰めの言葉をかけて座敷に戻りなさる。

 花みつ殿は何もおっしゃらず、ただ、「よろしいように(なさいませ)。」とだけ言って障子の陰に隠れていて、遠くから父上を御覧になって、恨めしくも懐かしくもあり、とめどなく涙をお流しになるのであった。

 岡部は思いに堪えかね、「今は申しましょう。ここに急いで上ったのは、花みつに会いたくて参ったのです。法師の役目としてせめて一言でも別当殿、ご説明ください。それについてはどのようなお怒りがございましても、お許しを請い申し上げるのに。何もおっしゃらないとは、どれほど重大な咎を花みつは犯したのでしょうか。」と言おうかと考え込んで、顔色も普段とは違って、心浮かない様子なので、別当はその態度を見て、「いやいや、岡部殿は機嫌が悪そうである。不躾に言い出してもまずいことになりそうだ。」とお互いに心を隔てて、その日を空しく送りなさった。それが長い別れの初めだとは、後になって思い当たる事だった。

 岡部は心中、「ここで言い出すよりは、とりあえずは帰って改めて手紙で申し上げてみよう。」と思ってお帰りになる。花みつ殿は、さすがに父が恋しく、妻戸の陰に寄り添うように立って、父が帰るのを見て涙を流しなさっていると、岡部も気付いて花みつに会おうと立ち戻って見る。互いに目と目を見合わせて、「おうい花みつ。」と呼びかけようと思うが、「そうはいっても師匠の勘気に当たった者をこの岡部が呼び出すとしたら人は怪(け)しからぬことだと思うだろう。」と思い直して何もなかったようにお帰りになった。(これが今生の別れになるとは・・・)

 花みつは心の中で、「私は生きていても甲斐のない身であるなあ。愛してくださった母には先立たれ、一人存命である父には憎まれ、師匠にも嫌われ、誰にも好意を持たれずただ生きていて、人に爪弾きにされるのも口惜しいことだなあ。」としばらくは沈みながらうつ伏していなさったが、どのようにお思いになったのだろうか、召し使っていた松王という童を呼んで、「お前は大夫殿と侍従殿の坊に行って、ちょっと申し上げたいことがあるので、今すぐにお出でいただけませんかと伝えよ。」と申しなさると、松王は二人の坊へ参って、この事をかくと伝えた。

 二人の僧は承知して、何事だろうと長絹の衣に大口袴を着て、なぎなたを携えて急いでやって来ると、花みつ殿は、「お聞きになって早くもお出でなさるとは嬉しいことです。今宵の美しい月を一人で眺めるのは残念です。三人で御堂の縁で一晩中眺めていたいと思うのですがいかがですか。」とおっしゃると、二人の法師は、「それはまことに風情ある事でございます。」と言って三人連れだって出かけなさった。

 夜が更けて人も寝静まった後で、花みつは涙を流しながら月を見る。袖は涙の露に濡れて月が映る程である。二人の法師は、「これはこれは、どうしてそのように涙にくれる姿を見させるのですか。心の中にお思いになていることがありますならば、包み隠さずお語りなされ。」と申し入れると、花みつは涙を抑えて、「生きるがつらいのはこの世の習い、私だけが不幸を嘆くべきではないのでしょうが、よくよく考えて見ると私ほど悲しい身の上はないと思います。父ぬは不興を買い、師匠にも憎まれ、生きていても仕方ない辛い身の上で、人々と語り明かすのも今宵限りと思ったので、涙も止むひまもないほどなのです。私が亡くなってしまっても死後の弔いをお願いいたします。」と言うので、二人の法師は、「これは不吉な事です。たとえ父上が不興をお示しになったとはいっても、それは一時の戒めであって、どうしていつまでもお許しにならないことがありましょう。また、別当がどうしてあなたの事をお憎みなさっているでしょう。そもそも学問の修養では、優れているものに対してはより厳しく諫めるのが世の常です。『ひたすら学問にはげんで立派な学匠になってほしい。』という御心で、父上はわざと不満そうな態度を取っているのでしょう。自分だけがつらいと世を恨みなさるのは愚かな事ですよ。」と様々になだめるので、花みつ殿はうれしそうにして、「それはそうと御身たちにお願い申したい事があります。かなえていただけますか。」とおっしゃると、「たとえ『我々の命がほしい』という仰せであっても、どうして拒みましょうぞ。包み隠さずお話しください。」と言うと、「決して人のお語りなさるな。この事がもし漏れ聞こえてしまったならば、草葉の陰でお恨み申し上げますぞ。」とよくよく口止めしなさった。

下巻

 しばらくして花みつ殿は、「言い出すにつけても、それぞれのお思いになる事を考えると、恥ずかしくは思いますが、私が今父上に憎まれていることをつくづくと思うと、父の寵愛が月みつに変わった事は無念です。私にとって月みつは仇のようなものです。どうか月みつを討ってはくださいませぬか。私にとってこれこそ何よりもうれしい事です。」とおっしゃるので、二人の法師は茫然として、どうにも返事ができず、困惑に赤面していたのだった。

 その時花みつ殿は、「そうでしょう。初めから御承諾なさらないだろうと思っていましたが、命であっても差し上げましょうと言われたので、大事の事を語り出したのですが、無念のことです。きっと人にも漏らすでしょう。そうすれば山中に噂が広がり、弟を討とう企てした者よと指弾され、父にもまた漏れ聞こえたならば、どのような責めに遭うでしょう。このように打ち明けたならば、とても命を永らえられそうもありません。どこかの川淵へ身を沈めましょう。」と恨み言をいうので、二人は、「まことに我々が引き受けなければどんな事態になるだろうか。こうなったら引き受けるしかあるまい。」と思い、目と目を見合わせ、「こうなったのはまことに月みつ殿がいらっしゃったせいですので、私たちがやすやすと討ち取ったならばその後は、御身も心穏やかで、父君も花みつ殿を大切に思いなさるだしょう。よくぞ御決心なさいました。」と励ますので、花みつは嬉しそうに、「ということは御承諾なされたのですね。きっと思慮のない無茶な事だとお思いになっているだろうと、御心の内を推察しますと恥ずかしい事です。賢才の弟を討って、自分はこの世に生きようとはあさましい心だとは思います。さりながら、恨むべきものを恨まないのは後世の障りとなる、とも申しますので、討ち取った後は亡き跡を弔ってやりましょう。」とおっしゃるので、二人の人は、「それではどのようにしてその人を討つのですか。」と申し上げると、「無慙な事に私はこのように悪心を抱いているが、月みつは弟ではあるが健気で、私が母上と死に別れた後は、ことに睦まじく常に私の部屋にやった来て、様々に慰めてくれました。きっと今宵もやって来るでしょう。その時に私は隠れていて逢わずに帰しましょう。その時に討ちなされば何の問題もございません。」とおっしゃるので、二人の法師は、「まことにもっともな計略です。」と言って、十分に示し合わせて、夜も明けたので面々帰っていった。

 その日が暮れるのはあっという間で、次第に約束の時分になっていったので、二人の法師は打ち刀を脇に隠し持って、花みつ殿の部屋の前にある木陰に立ち隠れて、今や今やと待っていた。

 十六日の事であったので、暮れなずむ夕闇に、月がほのぼのと射して出るころに、十四五歳ほどの稚児が紅の袴をはいて、薄絹を髪にかけて、月を背後にして歩んでいなさる。二人はこれを見て、「ああ、法師の身として人と睦まじくなる事は筋の通らないことだ。花みつ殿に頼まれなければ、これほどに艶やかな稚児を討とうと思うだろうか。そうはいっても花に変えて月を見るように、花みつ殿に変えて月みつ殿をまたも見ては未練が残る。」と思い切って来るのを待っていたが、今や今やと思ううちに、しばし時は過ぎて行った。

 侍従は、「時が過ぎると悲しさも余計募るので、私が走りかかって抱き止めた所を、大夫よ、ただ一太刀に刺し殺しなされ。」と言ってまさに駆け出そうとしたが、余りのつらさにとどまって、その後ろ姿を見ていると、「ひどく露に濡れそぼっている月みつが西の山の端に消えていくのに、その月の光を妨げるように浮雲がかかるごとく討手があろうとは知らないで、死出の道に入りなさりことだ。」といたわしく思える。まことに兄弟であって花みつ殿によく似なさっている事が気の毒で、殺そうとしていたことも忘れて、ただ涙に暮れていた。

 稚児はこのような状況は知らず、しずしずと縁に上がり、蔀に寄り添って、優雅な声で、「もしもし、花みつ殿。」とニ三度呼びなさったが、中からは答える者はいない。稚児は暫く佇んでいなさって、「どこへ行かれたのか。」と独り言ちて帰りなさろうとした所を、大夫が走り寄ってむんずと抱いて押し伏せた。侍従も思い切って、腰の刀をするりと抜いて、肘の関節のあたりを二太刀激しく刺して突き捨て、急いで逃げ帰り、「ああ辛いことだなあ。法師の身で稚児を殺すことなど、先にも後にもこれが初めだろう。」と深く嘆息している所に、暫くして、「これはどうしたことだ。月みつ殿が殺されなさった。」と騒ぎが起こって人々が集まっているのを聞き、「我ら二人の仕業であるのに。」とひどく切なく思い聞いている所に、また騒然として言っているのは、「いやこれは花みつ殿ではないか。いかなる者の仕業であろう。」と大声で叫んでいる。大夫・侍従はこれを聞いて、「我々は月みつ殿を討ったというのに、この明るい月夜に見分けることもできないとは愚かな事だ。」としばらく部屋にいたが、「どれほどか大夫・侍従は嘆くであろう。この者たちは影のように身に添っていたのに、今宵に限ってどこへ行ってしまったのだろう。」と口々に言うので、胸騒ぎがして走り出て、「どうしたのですか。」と尋ねると、「いや、花みつ殿を何者だろうか、たった今ここで刺し殺したのだが、別当の御坊へご遺骸を引き取りなさったのだ。」と申したので、余りに不思議で行って見ると、狭い部屋で別当は花みつの頭を膝に載せて、「ああ、十歳の、春の頃から岡部殿からお受けいただいて十六の今に至るまで、三日として里に帰らせずに、慈しみ申し上げていて、母御前が亡くなっていなさっていたので、法師にしてこの寺を譲り、菩提をも弔わせようと思っていたのだが、どの人の仕業で、この花みつを殺したのか。老い衰えている我を残して先立ちなさるは恨めしいことだよ。」と声も惜しまず泣きなさる。

 月みつ殿も、死んだ兄に取りついて、「どうして花みつ殿、私を一人この世に留め置き、どうなれとどこへお行きなさるのか。今日先立たれて、この先いつの世にか会いましょうぞ。」と悶え恋しがりなさると、大夫も侍従も呆然として何も言うこともできず、死骸の側に寄り添って嘆くばかりであった。

 大夫・侍従はそ知らぬふりをして傍らでこっそりと、「ああ花みつ殿が幼かった時から愛おしく思っていたので、無道な事も承知したせいで、思いもよらずこの人にたばかられて、我々が自ら手を掛けたとは無念。こうして悩んでいても苦しいばかりだ。さあ急いで後追いして、死出の山・三途の川のお供をいたそう。」と相談し、二人とも決意して、別当の御前に参って申すには、「お嘆きになるのをやめて暫くお聞きください。過ぎにし夜に、花みつ殿が我ら二人を誘って如意輪堂へ月を眺めに行かれたのですが、夜が更けて我ら二人に、『お願いする事があります。』と言われたのです。法師の身でどうして稚児殿に、『承知できません。』とは申せましょうか。『あなたのためなら命さえも差し上げましょう。』と申し上げると、『それならば弟を討ってほしい。』とおっしゃったのを、『これはなんとも、もっての外の事です。』と申し上げると、『それならば私は死んでしまいます。』とおっしゃったので、それ以上は説得することもできず了承いたしました。まさかご自身が身代わりになって殺されようと望んでいたとは。このような驚くべきことになろうとは無念です。いまや命を惜しむこともございません。私どももお供申し上げよう。」と言い捨てて、大庭に躍り出て、「近寄れ大夫。」「侍従。」と呼び合って脇差をするりと抜いて刺し違えようとするのを、月みつが続いて走り下りて、二人の中に分け行って、「おのおのが御自害なさるのならば、それは私のせいです。私とても死を免れることはできません。またとない兄弟に先立たれて、どうして命が惜しい事でしょう。しかし、自ら命を絶たずにこれほどのはかりごとをめぐらして、人々の手にかかろうとなさったのも、あなた方にひたすら後生の弔いをお願いしたかったからではないでしょうか。あなた方が御自害なさったならば、花みつ殿が今現在、修羅道で苦しんでいるのを誰が救うというのですか。後生を弔うためにも御自害は思いとどめてください。」と制止するのもけなげである。

 こうしているうちに人々も集まって、ようやく自害をやめさせた。

 別当は、「この人は、前世の報いが逃れ難くてこのようになりなさったが、それに付き従って二人めいめい命を失うのは愚かである。二人の事を花みつ殿の忘れ形見と思いますから気をお静めなさい。」とおっしゃって抜いた刀に取りつきなさると、「このように生きながらえて、ありあまるほど世間の噂になるのは恥ずかしいのですが、亡き跡を供養するために残しておく命でしょうか。」と思って自害を思いとどまった二人の心中はやるせないものであった。

 このままにしてはおけないので、まず死骸を埋葬しようと、最期の衣を着せ変えなさると、肌身離さず持っているお守りのような手紙がいくつかあった。

 まず、「別当殿へ」と書いてあるのを見ると、

   「幼少の時より今に至るまで、御恩でないことは一つもありませんでした。もっ

  ともっとこの世に残り留まって、師匠の後生を弔い申し上げる事こそ、弟子として

  の本意でございましょう。この世のつらさに負けて先立ち申し上げ、礼儀に背く事

  は、永劫の患いですが、致し方ございません。」

 とあって、末尾に、

  ははちりて梢寂しき春過ぎて花恨めしき心地こそすれ

  (青葉のうちに葉々が散って梢が寂しい春が過ぎて桜の花は恨めしい気持ちがしま

  す。母が死んで花みつも恨めしく思っています。)

  類ひなく月をぞ人の眺むらん花は仇なるものと思へば

  (人々は月を類なく素晴らしいものだと眺めるでしょう。永遠に光る月とは違って

  花はすぐ散る仇なものだと思えば。死んでいく花みつよりも、月みつの方を素晴ら

  しいと人々は思うでしょう。)

  久方の天霧(あまぎ)る雪に名をとめて散る花みつと誰か言はまし

  (空一面に舞い散る雪に名前を留めて、その雪を「散る花が満ちている」と誰か言

  うだろうか。誰かが記憶にとどめていて「散った花みつ」とでも言うだろうか。)

 とあった。また、「太夫・侍従殿」と書いてある手紙には、

   「お二人の御手にかかって安くも命を捨てる事が出来たのは、返す返す、冥土黄

  泉へ行く闇路も晴れる心地がして、今はの際の思い出となったと思います。私の事

  を軽蔑なさらず、なお不憫だとお思いになるならば、亡き跡を弔っていただきたく

  思います。」

 とあって、

  二つがな一つは命残し置き君が情けを思ひ知らせん

  (二つあったらなあ。一つの命は残しておいてあなた方の情けを皆に思い知らせよ

  うに。)

 また、「月みつ方に」とある手紙には、

   「このようになってしまうと、二人といない兄弟の事ゆえ、きっと寂しく思って

  いらっしゃるだろうと、そればかりが気がかりです。そうはいっても、「逢うは別

  れの道」「生は死の基」と言います。仕方ない事です。どのような宿縁で兄弟とし

  て生まれ、その甲斐もなく死に急ぐ我が身の事をどのようにお思いになるでしょ

  う。後世でも二人に契りが朽ちないならば、きっと尋ね逢いましょう。お名残り惜

  しゅうございます。」

 とあって、

   花の雲風に散りなば月ひとり残らん後ぞ思ひ置かるる

   (雲のように覆う花が散ったならば月が一人残るでしょう。そうなった後が気が

   かりです。花みつが死んだ後の月みつが気がかりです。)

 さて、里への手紙と書かれたものには、

   母上に死に別れてこの方、羽のない鳥のような心地がして、日々を過ごしていま

  したが、別当の御心に背くのみならず、頼みと思っていた父にも不興を買い、誰を

  頼りに月日を送り申し上げましょうか。専ら、「憂き世に生きていてもどうしよう 

  もない。」と思って、身を亡き者にしようとする事は、きっと恨めしく思うでしょ

  う。師匠に不平を言い、父を恨み申し上げる心中は、どれほどか罪深い事でしょ

  う。私の事を思い出されるならば、その時々は後生を弔いなさってください。

 と書き留め、

  惜しまれぬ深山の奥の桜花散るとも誰かあはれとは見ん

  (惜しいことだと思う。深山の奥の桜の花はたとえ散っても誰があわれと見るだろ

  うか。私、花みつが死んでも誰も悲しまないでしょう。)

 と書かれていた。

 「きっと里への恨み、別当への恨みが抑えきれなくてこのように亡くなったのだなあと思われます。」と人々はひどく悲しみを催した。そうして、この手紙をこしの坊に持たせて、急いで里へ下向させた。

 岡部殿にこの事を申し上げると、意外な事と、さあどうしたものかと茫然としていなさったるばかりであった。暫くして涙を抑えて、「情けないことだ、私は凡夫のあさましい身であることよ。このようにさえ思っているとは夢にも気付かず、昨日を過ごした(花みつに会わずに帰った)とは愚かな事よ。神仏にお願い申し上げて儲けた子を、どうして勘当しようか。たとえ勘当しても、もし花みつの母がこの世に生きているならば、ここまで嘆くことはなかろうに。母はきっと草葉の陰でも私を恨めしく思っているだろう。」と今までや過去を嘆くほどは、見聞きする人で哀れだと思わぬ人はいなかった。

 さて、こしの坊が暇乞いをして立とうとすると岡部は、「私も山へ参って変わり果てた姿をもう一度見申し上げよう。」と言って馬にも乗らず徒歩で寺に上り、花みつの死骸に取りついて、顔を押し当てて引き起こし、「何と恨めしい我が子よ。まだ幼い者であるので、学問に身が入っていなくて、別当のお気に召さなかったのかと気がかりであったのだ。それで京から下って、説得して行いを改めさせようと思ったのだ。しかし、師匠をさしおいて親の身で悪しき子をよき様になそうと説得するのも、人聞きがどうかと思うにつけ、呼び出しもしなかった。ところがそれを勘気が強いと思ったのだろう。恨みが募ってこのような事になってしまったのか。このような心であったとは全く知らず、昨日会わなかったのは後悔が残る事だ。年月が流れてもお前の母上を忘れる事がなかったのは、お前がこの世に生きていたからであったのだ。年老いた父をどうなれと思ってどこへ行こうというのだ、花みつよ。父も一緒にというならば、どうして命を惜しもうか。私もあの世に連れて行けよ。」と言って嘆きなさるのももっともな事である。このありさまを見聞く人は、貴賤を問わず袖を濡らさぬものはいなかった。

 しかし、このままにしてもいられないので、野辺送りをして火葬しなさった。月みつ殿は兄の白骨を拾い収めて、大夫・侍従を連れてどこへともなく行方をくらましなさった。別当も、この浮き世に暮らすのも詮無いことだと思って、さらに山深い所に篭居なさった。

 そうしているうちに、岡部殿も、花みつとは死別し、月みつとは生き別れ、それぞれに思いを重ねて、栄華を振り捨てて、元結を切って遁世し、子供たちの行く末を念じて、別当の住みなさる庵室で心を澄まして修行し、峰に上っては薪を拾い、谷に下りては閼伽水を汲み、朝夕、仏前の香に身を染めて、来し方行く末を静かに思うのであった。

 というわけで、この岡部某は武勇の達人として肩を並べる人もなく、天下に名を知られた人であって、政治の道に忙しく、仏道への信心は薄かったが、一心に正直に努め、神仏に祈りなさったことにより、仏が仏道に導く方便として、仮に花みつを授けなさったのだ。その思いもよらぬつらい別れや嘆きによって、武家の棟梁であった人が、このように善人になりなさった事は、まことにありがたい次第である。

 一方、大夫・侍従・月みつ殿の三人は、高野山へ上って花みつ殿の後世を弔った。ありがたいことである。それにしても、月みつ殿は幼い時から大勢の衆徒たちに付き添われ、余計な風にも当てさせまいと大切にされ、ぜいたくに暮らしなさっていたが、いまや狐や狼、野干を友として、峰の花を摘んで、谷の閼伽水を汲んで仏前に供え、亡き人を思い出す暁は、墨染めの衣が涙で乾くことなく、三人で語り合って心を慰め、心を澄まして学問に取り組み、大学匠の名声を博して、庶人を導き、六十三歳で大往生を遂げなさった。じつにたぐいまれな善知識で、その死を惜しまぬ人はいなかったということである。

 この物語を見聞きする人は、よくよく悪心を払いつつ、後生を願いなさりなさい。

  世の中は咲き乱れたる花なれや散り残るべき一枝もなし

  (世の中は咲き乱れた花であろうか。散り残るような花は一枝もない。すべてのも

  のは花と散ってしまうのである。)

原文

上巻

 昔、播磨の国*赤松殿の御内に、岡部の某といふ人あり。

 さして*旧功の人にてはなかりしかども、器量才覚世に優れたるによつて、*播磨の国半国の守護代を預かり、その家富貴(ふつき)なり。庶人の敬ふこと限りなし。されば心にかなはぬを憂世の習ひ、かかるめでたき中にも一人の子を持ち給はず。これのみ夫婦の思ひとなれり。

 岡部心に嘆き給ふは、「我が身盛りなる時こそいみじく暮らすとも、年老いぬかん身の果て、いかになりなん。あさましや。他人の子を養ふ事も後の世までの頼りとはなり難し。昔よりも神仏に申せばかなひけると承る。大願を立てて*申し子をせばや。」と思し召し、我が身を清め、女房は所の*内神に七日籠り、岡部は*書写山に参りて、ただこの事を一心に祈り給ふ。

 女房、七日に満ずる夜の*夢に、蕾める花を賜ると見て、さては所願成就の思ひをなし給ふ。されどもされども、*青葉にて散るを夢に見れば、成人まで我が身に添ひけん事あるまじきかと、心細く思ひながら、喜び*還向(げかふ)し給ふ。

 岡部殿の御夢想には、盛りなる花を賜ると見るに、これもやがて風に誘ふと見えければ、後いかがと心にかかり、還向し給ひけり。

 さて、ほどなく女房懐妊し給ひ、月日のいたはりもなく、男子を儲け給ふ。岡部も女房も喜び給ふ事限りなし。御夢想によそへて御名をば「花みつ」殿と名付け、あまたの*めのとをいつきかしづき育て給ふ。赤松殿を始め奉り多き朋輩たちにいたるまで、「*おいの果報とはかかる事なるらん。」と面々に祝ひ給ふ事限りなし。

(注)赤松殿=「花月』「月花」では「赤松の妙善律師」。妙善律師は赤松則祐、南北

    朝時代の武将。

   旧功の人=長年にわたって仕えている人。「花月」では「新参(しんざ)とは申

    しながら」。

   播磨の国半国の守護代=「花月」では「播磨の国西八郡の守護代」、「月花」で

    は「播磨の国の守護」。

   申し子=神仏に祈願して授かった子。

   内神=屋敷内に祀る神。「花月」では「法華堂」。「月花」では「法華寺」。

   書写山=播磨の国にある山。天台宗円教寺があり、西の比叡山と呼ばれる。

   夢=「花月」では夢の内容が夫婦逆。「月花」では、「蕾が若葉となって風に散

    る」までをまとめて、夫婦同じ夢を見たとする。

   青葉にて散る=後後の和歌の伏線。

   還向=寺社の参拝から帰ること。下向。

   めのと=女性の乳母や、男性の養育係の傅。

   おいの果報=「老いの果報」か。または「老いの家宝」か。

 その年も過ぎ、やうやう花みつ*二歳の春の頃、赤松殿岡部を召して仰せけるは、「今年は*大番の役に当たれり。御身の知るごとく少し所労の身なれば、はるばる上る事、いかがと思ふなり。某(それがし)が名字を名乗り三年の御番を務めよ。」のたまへば、岡部、*時の面目身に余り、忝しとて急ぎ都へ上り給ふ。

 しかるにある人申されけるは、「中々の在京の内、一人暮らし給はんも徒然(つれづれ)なるべし。」とて御目容貌(みめかたち)優なる女房を参らせけり。岡部も*岩木の身ならねば、語らひそめし睦言は、浅からずこそ聞こえけれ。これも先世の契りにや、ほどなく懐胎して玉のやうなる男子産めり。岡部心に思ふやう、「書写へ参りて御夢想を得て帰りしは、この子の事なるべし。」とありがたくも思ひ給ふ。おりしも九月十三日夜のことなれば、その夜の月になずらへて、「月みつ」とこそつけ給ふ。

 大番も過ぎければ、月みつの母をも具して下り、とある所に隠し置き、この由御台所にのたまひければ、御台聞し召し、「あらうれしや。花みつ一人にてよろづ頼りなく候ひしに、弟の出できけるこそうれしけれ。よそにて育てんもおぼつかなし。」とて月みつをも呼び取りて、我が子よりもなほいとほしみて、花よ月よと育て給ふ。月みつの母は、世の誹りの慎ましさに、かすかなる住まゐにて、ただ折々のおとづれのみにてぞ暮らしける。

 かくて月日重なり、花みつ十歳、月みつ九つの年、岡部思し召しけるは、「かれら*きやうをかく徒(いたづら)に置くことも由なし。書写の山へ上せ、学問をさせん。」と思ひ、まづ花みつばかりをして書写へ*上り給ふ。

 *別当出で会い給ひ、色々様々にもてなし給ふ。酒三献過ぎて岡部殿の杯を別当に差し給ふ。別当杯たうたうと御受けあれば岡部*たまふ。「ただ今の御肴には何にても御所望の事侍らば、かなへ参らせん。」とありければ、別当仰しけるは、「老僧の身に何の所望も候らはず。この花みつ殿を某に預け*給ふ。後見申したく候ふ。」とのたまへば、もとより岡部もその心のことなれば、「いとやすき事なり。」と了承し、互ひの喜びこれに過ぎたる事はなし。

(注)二歳=数え年であるから生後数か月。

   大番の役=大番役は平安・鎌倉時代の内裏と院御所の警護役。南北朝時代にはま

    だ存在していたが、後廃れてようである。制度として3年は長い感じ。別の賦

    役を大番といったのか。

   時の面目=その時の名誉。「花月」では主君の名字「赤松」を名乗ることができ

    るのを面目であるとする。

   岩木の身=岩石や木のような感情を持たない身。

   きやう=兄弟か。

   上り=「上らせ」であるところ。

   別当=一山の寺務を総裁する僧官。また、これ以後の描写は「花月」「月花」と

    もに「花みつ」よりかなり詳しい。

   たまふ=「賜ふ」または「のたまふ」か。

   給ふ=「給へ」か。

 やうやう日も暮れければ、互ひに暇乞ひして花みつにのたまふ。「今日より汝はこれに留め置くなり。別当の御心に違はず、よきに学問して父が名をも上げ、その身の徳をも心に入れよ。月みつをもやがて上すべき。」とて帰らせ給ふ。

 *月みつこの由を聞きて、「うらやましな。兄御前は山へ上り給ふに、何とて我をも上せ給はぬ。」とかこちければ、岡部聞き給ひ、「優しくも言ひけるものかな。未だ幼ければ寂しき山住みもいかがと思ひ、まづ花みつばかり上せけるに、*おとなしくも学問せんと言ふこそうれしけれ。」とて、これも連れて上られける。別当いよいよ忝しとて、心を添へて置き給ふ。

 人々申しけるは、「あはれ別当は果報の人かな。守護代の公達を兄弟まで預かり給ふ。うらやましや。」と思はぬ者こそ*なかりけり。

 さる間、この児たち盛りになり給へば、容顔美麗にし、*霞匂ふ花の香の風に乱る*あをやのいとたをやかなる御姿、まことに*観音・勢至の化身かと、智慧・才覚は世に優れ一を聞きて十を悟り、ことに情けの色深くこころざしの優れければ、書写三百坊に衆徒(しゆと)の数はおよそ千余人と聞こえしが、一目見る人は言ふに及ばず、聞き伝ふる人ごとに、この児たちに心を懸けぬ人もなく、「いかにもして睦び近づきて*御経の一偈をも伝へん。」と思はぬ者もなし。

 ことに別当の御心浅からず、学びの窓に向かひ給ふ。

(注)月みつ・・・=「花みつ」では月みつの申し出で書写山に上らせたとあるが、

    「花月」では岡部が月みつの母の心情を思いやって月みつをも上らせた、とあ

    り、「月花」では月みつを思いやって上らせたとある。

   おとなしくも=おとなびて。一人前のように。

   なかりけり=「なかりけれ」とあるべきところ。

   霞匂ふ・・・=美女の形容で「花顔柳腰」という四字熟語がある。二人の美しさ

    を美女の形容で描いている。

   あをや=「青柳」か。青柳なら縁語として「いと」(糸・いとの掛詞)にかか

    る。

   観音・勢至=阿弥陀仏の脇侍である菩薩。

   御経の一偈=天台宗の主要経典「法華経」の偈文の一節、という意味であろう。

    お経を捧げることが親愛の情を伝えることになるのか?「法華経譬喩品」に

    「乃至不受 余経一偈(大乗経典以外の経典は一偈も受け入れてはいけな

    い)」とある。

 ここにものの*あはれを止めしは、花みつ殿の母上、ただかりそめの風邪の心地とのたまひて、仮の枕に臥し給ふ。岡部嘆き給ひ色々薬を与えへ、神をかこち仏を祈り養生し給へども、*無常の風は防ぐに頼りなく、次第次第に弱り給ふ。

 今はかなはじと見えし時、枕元に寄り添ひて、「うらめしの人の有様や、何とてさやうに弱り給ふぞや。あの幼(いとけな)き子供の先途をも見届けんとは思しめさすや。思しめすことあらす、包まずのたまへ。」とありければ、御台枕をそばだてて、「我はかなくなるならば、花みつが嘆かん事こそ悲しけれ。月みつとても同じ兄弟がごとく思ひければ、明日より月みつが母を呼び入りて、我がごとくに供へ、二人の者を育てさせてたび給へ。余の人に*なれ給ふ事、ゆめゆめあるまじ。これより言い置く事もなきぞ。」とて、眠るがごとく失せ給ふ。兄弟の人々も山より下り、嘆き給ふ。その中にも花みつの御心たとへんかたもなかり。

 さて、あるべきならねば泣く泣く御後を弔ひ、やうやう七日も過ぎにければ、御台所の御遺言に任せて、月みつ殿の母を館に呼び入りたてまつり、御台所と定め給ふ。いつしかかすかなる住まゐを引き替へて、いまさら栄華と栄へ給ふ。「盛者必衰、*栄枯地を変ゆる」とは、かやうの事をや申すべき。

 かかる所にその頃、京都の*騒がしき事ありて、赤松殿都へ上り給へば、岡部も御供に参り、*中々在京し給ひける。その後にまことならぬ親の恨めしさは、月みつにのみ衣(きぬ)・小袖を調(ととの)へて朝夕の見舞ひも繁かりしが、花みつ殿をば仮に訪ひ給ふ事もなし。

 岡部は都にありながら、つくづくと心をめぐらし、「無慙や、花みつは母に遅れて頼りなき上、我さへ久しく京都にゐて、さこそよろづ*事足らはじ。」と思ひ、*年の暮の小袖を調へて、「これを花みつが方につかはせ。」とありければ、女房この文を見て、「我が子には何とも*訪れもし給はで、花みつが事ばかり細々と書き給ふ、うらめしさよ。」とて、やがて文を書き直し、月みつ方への小袖なりとて寺へ送り給ふ。

 花みつはいとど物憂く悲しさに、母の事をのみ嘆き、学問もさらに身に添はで、嘆き暮らし給ふなり。

(注)あはれを止めし=悲しみや不幸を一心に受けた。

   無常の風=風が花を散らすことから、人の命を奪うこの世の無常を風にたとえて

    いったもの。

   栄枯地を変ゆる=栄枯の状況が以前と逆転する事。

   中々=「中途半端に、どっちつかずに」の意。「国元に未練を残して」というニ

    ュアンスか。

   騒がしきこと=争乱。

   事足らはじ=不自由であろう。

   年の暮の小袖=正月の晴れ着用の小袖。

   訪れ=手紙。

 別当を始め人々思ひけるは、「いたはしや。花みつ殿は母に遅れ給へば、いつしか父さへ心変はりて疎(おろ)かに見え給ふ上は、まづ月みつ殿こそ思ひ子なれ。」とてもてなし給ふも理なり。

 やうやう京都鎮まりて、岡部下り給ひ、「花みつは成人しけるかや。月みつはいかに。」と問ひ給へば、継母のたまふ。「兄弟ながらおとなしくなりけるが、花みつはこのほど、学問を怠り野山を家として別当の坊にも一夜とさらに寝ず、*若同宿を伴ふ故、別当御勘当の由を承る。我とても疎かには思はぬに、かかる事を聞くも恨めしく候。」とて、涙を流し給へば、岡部聞き給ひ、「さればこそ、まことならぬ親なれば、我にだにかかる事を聞かするよ。」と恨めしく思ひながら、「もしまた然様の事もやありなん。」と思ひ、*押して呼び下さんも別当の心を破るなれば、月みつを呼びて事の由を問はんと思し召し、御文を遣はされけるに、「月みつばかり下るべし。花みつはまたこれより迎ひを上すべき。」あり。

 花みつ心に思し召しけるは、「さては父も御心の変はりける事の疑ひなし。我は兄なれば先づ呼び下し給ふべきに、月みつばかり呼び給ふ事の不思議さよ。」と涙ぐみ給へば、月みつこの由を見給ひて、「我々参り御身の事をもよきやうに申し、今日のうちに御迎へを上せ申すべき。」とて出で給へば、「うらやましやな。月みつは弟なれども、母のましませば、父の御もてなしもいみじく、里へ下り給ふかや。*御前をよきやうに頼むぞや。」とて、ありし部屋に立ち籠りて、涙を袖に包み給ひて、うち臥してこそおはしけれ。

 月みつも名残惜しけ゚に、しばし輿にも乗らずして、同宿を近づけて、「花みつ殿を慰めてたび給へ。父の御目にかかりなば、よきに申していかなる御不興なりとも、わが身に代へて申し直し候はん。」と何心もなくのたまふ月みつ殿のこころざしこそありがたけれ。

(注)若同宿=若い同僚の僧。後で出てくる太夫・侍従であろう。

   押して=無理に。

   御前=貴人の事か、対称の代名詞。婦人に多く使われるので継母かとも、話し相

    手の月みつともとらえられるが、ここでは「父御前によきように申し上げてく

    れ」の意だろうか。

 急ぎ里へ下り給へば、岡部殿御覧じて、「早くも下りけるぞや。この年月見ざるその暇に美しく成人しけるこそうれしけれ。さすが山育ちとて色白く、*尋常にて物言ひ*さし合ひに至るまで我が子とも思はれず。花みつも*幼立ちも一際美しくありつれば、いよいよ成人してやあるらん。」と涙を抑へ、「何とて別当は勘当し給ふぞや。早く参りて、別当の御前をも許し、相見ばや。」と思ひ、また月みつを連れて書写の山へぞ上り給ふ。

 別当、出で会ひ給ひ、様々にもてなし給ふが、あたりを見れども同じやうなる児は並び居けれども、花みつは見えざりけり。岡部心に思し召しけるは、「さては、別当の深き勘当と覚えたり。我たまたま参りたる事なれば、大方の勘当をば許し給はんに、押し込めて置き給ふ事の恨めしさよ。」さればとて、師匠の諫め給ふ事を、卒爾に許し給へと言ひ難ければ、こぼるる涙を止め、浮き世の事をのみ語り給ふ。別当もまた、岡部殿の不興なれば、一言ものたまはねば、言ひ出だす言葉もなくして、花みつの部屋へ立ち寄り、「御身まことに父の不興と見えたり。さりながらただ今のほどに、言ひ直して参らすべし。心安く思し召せ。」と慰め置きて座敷に出で給ふ。

 花みつ殿はとかくの事ものたまはず。ただ、「よきやうに。」とばかりのたまひて、障子の陰に隠れ居て、余所ながら父を見給ひて、恨めしくも懐かしくも、いとど涙を催し給ふ。

 岡部、思ひに堪えかね、「今は申すべきや。これへ急ぎ上る事も、花みつが見たさにこそ参りつれ。*法師の役にはせめて一語なりとも別当ののたまへかし。それにつきていかなる不興なりとも、申し許すべきに、何とも仰せられぬこそ、いかばかりの咎をかしつらん。」案じ給へば、顔の色も違ひ心も浮かぬ風情なれば、別当見給ひて、「いやいや、岡部殿の気色悪しく見えければ、卒爾に申し出だして悪しかりなん。」と、互ひの心の隔てにて、その日を空しく送り給ふ事、長き別れの初めとは後にぞ思ひ知られたり。

(注)尋常=目立たなくてなんとなく品がよいこと。

   さし合ひ=人当たり。

   幼立ち=幼い頃の成長の様。

   法師の役=原文「ほうしのやく」。とりあえず漢字を当てて解釈したが、「法師

    の役」という用例は未見。

   ※ 花みつは父が自分を嫌いになったと誤解し、岡部は別当が花みつを疎んじて

    いるのだと誤解し、別当は岡部が、自分にも不興で、花みつに対しても何か思

    う所があるのだろうと誤解している。この心の綾が事態を悪い方へと進める。

 岡部心に思しけるは、「ここにて申し出ださんより、まづこのたびは、文して申し見ばや。」と思ひ、帰らせ給ふ。花みつ殿、さすがに父の恋しさに妻戸の陰に立ち添ひて帰り給ふを見て、涙を流し給へば、岡部もこの者を見るとて、立ち戻り見給へば、互ひに目と目を見合はせて、「いかに花みつ。」と言はんと思へども、「さすがに岡部が師匠の気に違ひたる者を呼び出ださんも、人の怪しめん。」と思ひて、さらぬ体にて帰り給ふ。

 花みつ心の中に、「ありて甲斐なき我が身かな。愛ほしみ給ひし母には遅れ、一人ある父にも憎まれ、師匠にも悪しく思はれ、何のよしみありてか永らへ、人に指を指されんもも、口惜しさよ。」しばしば臥し沈み給ふが、いかが思し召しけん、召し使ひける松王といへる童を近づけて、「汝は*大夫殿と侍従殿に行きて、ちと申したき事ある間、ただ今の程にお出であれ。」と申し給へば、松王二人の坊へ参り、この由かくと申す。

 二人の僧承り、何事やらんと*長絹の衣・*大口着て、なになた(なぎなた?)横たへ急ぎ来たりければ、花みつ殿、「聞こし召し早く来たり給ふうれしさよ。今宵の月一人眺めんも名残りあり。御御堂の縁にて夜もすがら月を見ばやと思ふはいかが。」とのたまへば、二人の法師、「それこそまことにおもしろく候はん。」とて、三人連れて出で給ふ。

 夜更け人静まりて後、花みつ涙を流し、袖の露に月の宿るばかりなり。二人の法師、「これは何故かやうに見えさせ給ふぞや。御心に思し召す事あらば、包まず語り給へ。」と諫めければ、花みつ涙を抑へ、「憂き世の習ひ、我のみ嘆くべきにはあれねども、よくよく物を案ずるに、それがしほどものの悲しき身はあらじ。父には不興せられ、師匠にも憎まれ、ありて甲斐なき憂き身なれば、人々と語らん事も今宵ばかりと思ふ故、涙の隙もなきぞとよ。なからん後をばよきに頼み奉る。」とありければ、二人の法師、「こは忌々し。たとひ父の不興し給ふとも、一旦の戒めなれば、などか許し給はざらん。又別当の何とて憎み給ふべき。それ学問の習ひには*さかしきは、なほ諫むる習ひなれば、『ただよく学問をして学匠ともなり給へかし。』との御事にて、父の不興し給ふなるべし。憂き身と世を恨み給ふこそ愚かなれ。」と様々になだめければ、花みつ殿うれしげにて、「さても御身たちに申したき事あり。かなへて給はらんか。」とのたまへば、「たとひ*命の御ようにも、いかが逃れ侍るべき。包まず語らせ給へ。」と言ひければ、「かまへて人に語らせ給ふな。この事漏れ聞こえなば、*草の陰にても恨み申さん。」とよくよく口をぞ固め給ふ。

(注)ありて甲斐なき=生き残っても甲斐がない。「とまる身はありて甲斐なき別れ路

    になど先立たぬ命なりけん(玉葉2340)」。

   大夫殿と侍従殿=花みつと親しい僧侶であろうが、なぎなたを持って参上するの

    はやや武に誇る存在だからであろうか。「月花」では「侍従」は「二条」であ

    る。

   長絹=長尺に織り出した絹布。

   大口=大口袴。長絹・大口とも若年の衣装のようである。

   さかしき=賢い。賢い者にはさらに𠮟責し、成長させようとする意図であろう。

    「さかしき」を「生意気だ」と取ることもできないではないが、それでは慰め

    にならない。

   命の御用=命が必要。「死んでくれ」という命令であっても。

   草の陰=草葉の陰。あの世。

下巻

 しばらくありて花みつ殿、「申し出だすにつけて、面々の御心の内恥づかしく侍れども、我今父に憎まるる事をつくづくと思ふに、月みつに思ひ変へられけると思へば無念なり。我がために仇なれば、月みつを討ってたび給へ。これこそ何よりもってうれしく侍らん。」とのたまへば、二人の法師あきれ果て、とかくの御返事も申さず、赤面してこそ居たりけれ。

 その時花みつ殿、「されば初めより頼まれ給はじとは思ひつれども、命なりとも給はらんと聞こえしにより、大事の事を語り出だして口惜しさよ。定めて人にも漏らし給ふべし。さあらば一山のうちにも聞こえ、弟を討たんと企みたる者よと指を指され、父にもまた漏れ聞こえなば、いかなる責めにか遭ふべき。かく申す上は、とても命を永らへんとも思はず。いかなる淵川へも身を沈めん。」と恨み給へば、二人思ふやう、「げにも頼まれずはいかなる事か出来なん。所詮頼まれ申さではかなはじ。」と思ひ、二人目と目を見合はせ、「これはまことに月みつ殿のおはします故なれば、やすやすと討ちて後は御身も心安く、父も大切に思ひ給ふべし。よくも思ひ立ち給ふかな。」と*勇めければ、花みつうれしげにて、「さては頼まれ給ふべきや。さこそ不得心なるものと思し召し候はんと、御心の内の*恥づかしさよ。*けんさいの弟を討ちて、我が世にあらんと思ふ心のあさましさよ。さりながら、恨むべきものを*恨みねば、後の世の障りとなると申し候へば、討ち取って後は、跡をば訪ふてとらすべし。」とのたまへば、二人の人、「さていかにしてかの人を討つべき。」と申しければ、「無慙やな。我こそかかる悪心を差しはさめ、月みつは弟なれども頼もしく、我が母上に別れし後は、ことさら睦まじく、常に我が部屋へ訪ね来たり、色々慰め申すなり。さだめて今宵も来たるべし。その時我は隠れ居て会はで返へさん所を討ち給はば、何の子細のあるべき。」とのたまへば、二人の法師、「げにもっともの謀(はかりごと)なり。」とて、よくよく示し合せ、夜も明けければ面々に帰りけり。

 その日の暮るるは*刹那のほどにて、やうやう約束の時分にもなりしかば、二人の法師用意しける*打ち刀脇に*かいこうて、花みつ殿の部屋の前なる木陰に立ち隠れ、今や今やと待ち居たり。

 十六日のことなれば、たそがれ惑ふ夕闇に、月は山の端よりほのぼのと射し出でけるに、十四五ばかりの児の紅の袴を着て、*薄絹髪にかけ、月を後ろにして歩み給ふ。二人これを見て、「あはれ、法師の身として人に睦ましきはあやなき事ぞかし。花みつ殿に頼まれずば、かくまで艶やかなる児を討たんと思ふべきや。されども、花には代えし月の影、またも見るこそ名残りなれ」と、思ひ切ってぞ待ちけるが、今や今やと思ふうちに、暫く時をぞ移しける。

(注)勇め=励ます。元気づける。「諫める」とひらがなで書くと同じなので混乱す

    る。

   恥ずかしさ=立派さ。感心である。

   けんさい=「現在」もしくは「健在」「賢才」か。

   恨みねば=恨まないならば。「恨む」は下二段活用で、「恨み」は未然形。「恨

    まない」は「恨まず」ではなくて「恨みず」となり、現在の五段活用とは違う

    ので戸惑う。

   刹那の程=あっという間。

   打ち刀=相手に内当てて切ることを目的とした刀。刺すことを目的とした腰刀よ

    りも刃渡りが長い。鍔刀。

   かいこうて=「掻き籠うて」か。包み隠しもって。

   たそがれ惑ふ=「暮れなずむ」の意か。用例が見つからない。

   薄絹・・・=ヴェールをかけて月光を背にするのは、自身が花みつと悟られない

    ための演出。「花月」「月花」では顔がはっきりとわかり、花みつかと思う

    が、稚児が花みつの部屋を叩き、留守だと思って帰るという演技をしたので、

    「これは花みつではなく、花みつを訪れたつきみつだろう。」と判断した、と

    いう設定である。「花みつ」の方が、月を背後にヴェールをかけている効果が

    表れているように思う。

 侍従言ひけるは、「時の移るも悲しければ、某走りかかり抱き止めん所を、ただ一刀に刺し殺し給へ。」とて、すでに走りかかりけるが、あまりに情けなさに、御後ろ影を見るに、「いとど露けき月みつの、消えゆく西の山端の、思はぬ方に*浮雲のかかるべしとは知らざるに、*無常の道に入り給ふ。」といたはしく見るよりも、げにも兄弟とて、花みつ殿の後ろ影によく似給へる事のいとほしさに、殺さん事をうち忘れ、ただ涙に暮れてぞ居たりける。

 児はかくとも知らず、しずしずと縁に上がり、蔀(しとみ)に立ち添ひて*優しき声にて、「なふ花みつ殿。」と二つ三つと呼び給へども、内より応ふる者もなし。しばし佇み給ひ、「いづかたへか行かせ給ふ。」と独り言して、帰り給はんとし給ふ所を、*大夫走り寄りむずと抱いて押し伏せたり。侍従も思ひ切りたりとて、腰の刀をするりと抜き、*肘の懸りを二刀刺して、かつぱと突き捨て急ぎ走り帰り、「あはれ、物憂きことどもかな。法師の身にて児を殺す例(ためし)昔も今もこれや初めならん。」と大息をつきて居たる所に、しばしありて、「こはいかに、月みつ殿の殺され給ふ。」と騒ぎ立って、人々集まりけるを聞き、「我ら二人が業なるものを。」といとどあはれに聞きける所に、また騒ぎ立つと言ひけるは、「いやこれは、花みつ殿にてありけるにや。いかなる者の仕業なるらん。」と呼ばはりければ、大夫・侍従これを聞き、「我らは月みつ殿をこそ討ちたるに、この月の夜に見定めぬ人々こそ愚かなれ。」と暫く部屋にありけるが、「いかに大夫・侍従が嘆かんずらん。この者どもは影身に添ふてありきしに、今宵しもいづくへか行きぬらん。」と口々に言ひければ、胸うち騒ぎ走り出で、「さていかに。」と問ひければ、「いや花みつ殿を何者やらん、ただ今ここにて刺し殺しぬるを、別当の御坊へ御死骸をとり給ひし。」と申しければ、あまり不思議さに行き見れば、一間所にて別当の膝に載せ、「さても十歳の春の頃より、岡部殿に請ひ受け十六の今に至るまで、三日とも里に置かずして、愛ほしみ奉りしも、母御前のなき人なれば、法師になしてこの寺を譲り、亡き跡をも弔れんと思ひしに、いかなる人の仕業とて、この花みつを殺しけるぞや。老い衰へたる我を残し先立ち給ふ。恨めしや。」と声も惜しまず泣き給ふ。

 月みつ殿も死したる*おに(兄)に取りつきて、「いかに花みつ殿、我を一人留め置き、何となれとていづくへか、行かせ給ふぞや。今日遅れ初め、またいつの世にかは会ふべき。」と悶へ焦がれ給へば、大夫も侍従もあきれ果て、とかくの事も言はずして、御死骸の側に寄り、嘆くより他の事ぞなき。

(注)浮雲のかかるべし=月の光を妨げるように妨害するもの。月みつを殺そうとする

    者の比喩か。

   無常の道=死出の道。

   優しき声=花みつの月みつになりすました演技。

   大夫・・・=打合せでは侍従が抱き止めて大夫が刺すことになっていたはずで、

    侍従が逡巡していたから、大夫が先に走り出したのか。両者を書くのに大夫が

    先になっているので、大夫の方が年長か。

   肘の懸り=肘の関節。

   おに=兄か。それとも「鬼」で死者を指すのか。

 大夫、侍従はさらぬ体にて傍らに忍び、「さても幼(いとけな)き時より愛ほしく思ひ奉りしにより、わりなき事をも了承しつるに、思はざるにこの人に謀(たばか)られ、我らが手にかけ殺したる事の無念さよ。かくて思ふも苦しければ、いざや急ぎ追つつき、死出の山・三途の川のお供申さん。」と二人とも思ひ切り、別当の御前に参りて申すやう、「嘆きを止めて暫くものを聞き給へ。過ぎし夜、花みつ殿我ら二人を誘ひて*によいもんたうへ月を眺めに行き給ふが、夜更けて我二人に、『しかじか頼まん。』とありしかば、法師の身にて児に、『頼まれ申さじ。』とはいかで申すべき。『御ためならば命なりとも参らせん。』申せし時、『さらば弟を討ってくれよ。』とのたまひしを、『こはいかに。*もつたいない事。』と申しければ、『身をなきものとなさん。』仰せられし上は、力及ばず了承申して候へば、かかるあさましき事を見るこそ口惜しけれ。今は何に命の惜しむべき。お供申さん。」言ひ捨てて、大庭に躍り出でて、*「寄れや大夫。」「侍従。」とて、脇差をするりと抜き、刺し違へんとしたりけるを、月みつ続いて走り下り、二人が中へ分け入り、「面々御自害候はば、我々とて逃るまじ。またもなき兄弟を先に立てて、何に命の惜しかるべき。これほどのはかりごとをめぐらして、人々の御手にかかり給ふも、一向に後生を頼み申すべきためにてこそ候へ。御自害候はば、花みつ殿のただ今の修羅の苦しみをば、誰か助け候べき。ただ思し召しとどまり給へ。」ととどめ給ふぞあはれなれ。

 かくするほどに人々多く集まりて、暫く自害をとどめけり。

(注)によいもんたう=「花月」は「によいりんたう(如意輪堂)」。「月花」では

    「ねういんもんたう」。書写山円教寺は西国33観音霊場の27番札所で、如

    意輪観音を安置した「摩尼殿」があり、如意輪堂とも呼ばれる。

   もつたいなき=もってのほか。畏れ多い。

   「寄れや大夫」=大夫の方が年長なら、呼びかけは逆の方が自然であるが、あま

    り深く考えていないのかもしれない。

 別当のたまひけるは、「この人こそ、先の世の報ひ逃れ難くしてかやうになり給ふとも、それにつきて面々二人命を失はんも愚かなり。花みつ殿の忘れ形見とも二人を見侍らんに、静まり給へ。」とて抜きたる刀にとりつき給へば、「かくて永らへんも、*人口(ひとぐち)に余らん事も恥づかしく侍れども、御跡*孝養(けうやう)のために残し置く命なれ。」とて自害をとどめける二人が心の内、やるかたなき思ひなり。

 かくてあるべきならねば、先づ御死骸を*隠さんとて、*さいこくの衣(きぬ)を着せ替へ給ふに、肌の守りに御文どもあり。

 まづ別当殿へとあるを見れば、

   「幼少より今に至るまで、御恩ならずと言ふことなし。

  もっとも残りとどまり後生をも訪ひ奉らんこそ、師弟の本意にて候へども、世の憂

  きに従ひ、先立ち申し礼儀を背く事、*生生世世の虞れにて候へども、力なき事に

  て候。」

 とて、奥にかくなん。

  *ははちりて梢寂しき春過ぎて花恨めしき心地こそすれ 

  *類ひなく月をそ人の眺むらん花は仇なるものと思へば 

  *久方の天霧(あまぎ)る雪に名をとめて散る花みつと誰か言はまし 

 また、大夫・侍従殿とある文には、

   *一向とても捨つる身の御手にかかり候事、返す返すも冥土黄泉の闇路も晴るる

  心地して、最期の思ひ出でと思ふなり。なほあはれと思し召さば、跡を弔ひて給は

  れ。

 とて、

  *二つがな一つは命残し置き君が情けを思ひ知らせん

 また、月みつ方へとある文には、

   かやうになり候へば、またもなき兄弟にて、さこそ寂しくおはしまさんずらん

  と、それのみ心に懸るなり。さりながら*会ふは別れの道、生(しやう)は死の基

  (もとゐ)、力及ばぬ事どもなり。いかなる宿縁にて兄弟と生まれ、その甲斐もな

  く世を急ぐ我が身の程、いかばかりとか思し召す。必ず後の世にても契り朽ちせず 

  ば、訪ね会ふべきなり。御名残り惜しくこそ候へ。

 とて、

  *花の雲風に散りなば月ひとり残らん後ぞ思ひ置かるる

(注)人口に余らん=ありあまるほど世間の噂になる。

   孝養=供養。 

   隠さん=葬る。埋葬する。

   さいこく=「月花」では「最期」。「最期」か「先刻」か。

   生生世世=永劫。

   ははちりて・・・=「葉々が散って」と「母が散って(死んで)」を掛ける。

    「花」は「桜の花」と「花みつ」。葉が散って春が過ぎるのは不自然だが、誕

    生を祈願した七日の夢(「花みつ」では岡部の妻、「月花」では岡部も妻も) 

    に花はすぐ散り、青葉もすぐ散ったとある。それが伏線となっているのだろ

    う。「花月」では青葉は散るとまで書かれてはいない。

   類ひなく・・・=はかない花(みつ)よりいつまでもある月(みつ)を頼もしく

    人びとは思うであろう。

   久方の・・・=「久方の」は「天」の枕詞。「梅の花それとも見えずひさかたの

    あまぎる雪のなべて降れれば)古今集・冬334)」。「天霧る」は空が霞み

    渡る。空一面にどんよりと曇る。

   一向とても=「ひたすらどうしても」か。わかりずらい。

   二つがな・・・=命が二つあったなら残した方の命であなたの情けを皆に知らせ

    よう。「がな」は願望の終助詞。

   会ふは・・・=「会うは別れの始め」「生は死の始め」という諺。

 さて、里への文とありしには、

   母上に別れしよりこの方、羽なき鳥の心地して、明かし暮らししに、別当の御心

  に違ひ参らせ候ふのみならず、頼み奉る父にさへ不興せられ、誰を頼りに月日を送

  り参らせん。憂き世にありても何かせんと思ふ心を先として、身を亡き者となさし

  事、さこそ恨めしくや思すらん。師匠をかこち父を恨み奉る心の中、いかに罪深か

  らん。思し出さん折々は跡弔ひてたび給へ。

 と書き留め、

  惜しまれぬ深山の奥の桜花散るとも誰かあはれとは見ん

 と書かれたり。

 「さてこそ里への恨み、別当への恨み、せんかたなきままに、かやうにはかなくなりける。と覚えたり。」といとどあはれを催しけり。さてこの文を、*こしの坊に持たせ、急ぎ里へ下しける。

 岡部殿にこの由申しければ、あまりの事にや、さていかにやいかにやとばかりにてあきれはてて居給ひけり。ややありて涙を留め、「うたての事や。凡夫の身のあさましや。かくまで思ふとは夢にも知らずして昨日を過ぎし事の愚かさよ。神仏に申して儲けし子を、何しに勘当すべきぞや。ただこれとても花みつが母、憂き世にあるならば、かくまで憂き嘆きはあるまじきものを。さこそ草の陰にても、我を恨めしく思ふらん。」と来し方行く末の嘆きのほど、見聞く人ごとに、あはれと訪はぬ人ぞなき。

(注)こしの坊=未詳。

 さて、こしの坊いとま申さんとて、立たんとすれば、「それがしも参りて変われる姿を今一目見参らせん。」とて、*徒跣(かちはだし)にて寺の上り、花みつが死骸に取りつきて顔さし当てて引き起こし、「恨めしの我が子や、未だ幼き者なれば、学問をも心に入れざるにより、別当の心に違ひぬるかとおぼつかなさに、京より下り、申し直さんと思ひしに、親の身として悪しき子をよき様に言ひ直さんも、人聞きいかが思ふにつき、呼び出ださざることを恨みて、かやうになりけるかや。かかる心のあらんとつゆほども知らずして、昨日見ざりし事の悔しさよ。母が事をこそ年月の過ぎ行くに従ひて忘るるひまもなき事も、御身憂き世にあるゆゑぞや。年老いつる父を、いかになれとていづくへ行くぞ。花みつ、父もろともにと言ふならば、などか命を惜しむべき。我をも連れて行けや。」とて嘆き給ふも理なり。このありさまを見聞く人、貴きも賤しきも袖を濡らさぬはなかりけり。

 かくてもあるべきならねば、野辺に送り煙となし奉りけり。月みつ殿も兄の白骨を取り、大夫・侍従連れて、行き方知らずになり給ふ。別当も憂き世の住まゐ詮無しとて、なほ山深く閉ぢ籠もり給ふ。

 さるほどに、岡部殿も栄華を振り捨て、花みつに死して別れ、月みつに生きて離れ、方々思ひを重ね、元結切り遁世し、子供が行方の*すてかたなさに、別当の住み給ふ庵室に*行ひ澄まし、峰に上りて薪(たきぎ)を拾ひ、谷に下り閼伽の水を掬ひ、朝夕香の煙に身を染めて、来し方行く末の有様を観じ給ひけり。さればこの岡部の某は武勇(ぶやう)の達者、肩を並ぶる人もなく、天下に名を著はせし人なれば、世の政道に暇もなく、仏道に心の薄かりしかども、一心に*しやうしきを守り、神仏に祈り給ふにより、仏の方便にて仏道に導かんそのために、仮に花みつを授け、思はざるに憂き別れ、その嘆きを*したいて武家の棟梁なりし人の、かやうに*善人となり給ふ事、まことにありがたき次第なり。

(注)徒跣=裸足で往来する事。

   すてかたなさに=見捨てることができないで、と言う意味か。「花月」は「やる

    かたなさに」。

   行ひ澄まし=仏道の戒めを守り心を清くして修行に励む。

   しやうしき=正直か。

   したいて=慕ひて、か。

   善人=因果の道理を信じて善い行いをする人。あるいは「仙人」で、山中で修行

    をする人か。

 さるほどに、大夫・侍従・月みつ殿三人は高野山へ上り、花みつ殿の御跡をぞ弔い給ふぞありがたき。さても月みつ殿は幼き時よりあまたの衆徒たちに*介錯せられ、あらぬ風にも当てじと栄華に栄へ給ふに、今は狐狼*野干を友として、峰の花を摘み、谷の閼伽水を取りて手向けとし、亡き人の事を思ひ出づる暁は、墨の衣干しかね、三人共に語り慰み、学問の窓に心を澄まし、大学匠の名を取り、庶人を導き、つひに六十三にして大往生を遂げ給ふ。まことに例少なき善知識、惜しまぬ人もなかりけり。

 これを見聞かん人々は、よくよく悪心を払ひつつ後生を願ひ給ふべきなり。

  世の中は咲き乱れたる花なれや散り残るべき一枝もなし g

(注)介錯=付き添って世話をする事。

   野干=狐に似た伝説上の悪獣。または狐の異名。