religionsloveの日記

室町物語です。

松帆物語⑤ーリリジョンズラブ8ー

その5

 この事を聞いて侍従は耐え難く思い、

 「私のせいで罪もない人に辛い目を見させているのは悲しい。今にも駆けつけてその淡路島の波音や風の声を一緒に聞きたい。」

 と嘆き悲しんだが、一通の手紙さえ交わすこともできなかったので、もどかしい思いであった。

 宰相は都を後にする際に、どうにかつてを得て侍従に文を書き送った。こっそり見ると、思いがびっしりと書き付けられている。

  流れ木と身はなりぬとも涙川君に寄る瀬のある世なりせば

  (流れ木のような流罪の身となっても、涙の川にこの流木があなたに打ち寄せる浅    

  瀬があるのであればわたしも救われるのでしょうが。)

 係累が及ぶのを避けるためか、あからさまには書かれてはいない。

 このようなわけで大将の好意もかえって恨めしく、薄情な振る舞いに思えたので、どうしても打ち解ける事は出来ず、気が塞ぐばかりで果ては病気がちにとなった。左大将は侍従のために玉の臺に竹筵を引いて涼風を呼ぼうなどと興趣を凝らすが、心は冷めるばかりでただもう物思いの中で弱っていくのである。それなのに侍従が宰相を思って弱っているのだとは気付かないで、「物の怪などがとりついたのだろうか。」と祈祷などを試みるが、効果などあるはずもない。容体は変わらず、病状はさらに悪化するように思われたので、侍従の母は我が子を思いやって様々な理由を付けて里に下がらせた。

 さて、宰相の島流しにも岩倉に留まった伊予という法師がいた。宰相に最も近しく仕えていた法師である。里に下がった侍従は、秘かに呼び寄せて病床近く、

 「宰相様が、私のせいで遠島されたと聞きました。悲しみの余りこのように患う身となってしまいました。あなたもさぞ私を恨めしく思っていなさることでしょう。」

 と涙に咽びながら言うと、聞く方も言いようもなく悲しい気持ちで、

 「このように宰相の君をお思いになっているのはありがたい限りです。お恨みなど決していたしません。」

 などと言いながら夜が更けていくと、更に枕元に呼び寄せ、誰にも聞かれないように囁いて、

 「どうにかして私をこっそり宰相のいなさる淡路島へ連れて行ってください。もし露見して罪に当たるのであれば、宰相様と一緒にその島で過ごすならば、かえって願いが叶う事でしょう。」

 と言うので、

 「お情けは申し訳ないほどでございますが、そのお考えはまことに幼いものでございますよ。侍従様がもし淡路に赴きなされたなら、隠しおおせるものではございません。たちどころに大将殿がお聞きになって、さらに怒りが増して、より重い罪を科されるでしょう。慕う気持ちがあるのなら、とりあえず文をお書きなさいませ。私がどうにかしてこっそりお届けしましょう。」

 と説得するが、なおも変わらず涙ながらに同様な事を訴えるので、その愛情の深さに感じ入って、つくづくと思い、「お慕いする宰相に死に遅れて思いに任せないこの世に生き永らえるのは私としても本意ではない。また、この人がこのように訴えるのを拒むことも辛い。もとより命が惜しいというようなたいした身ではない。世間でどのような悪評が立ってもどうという事ないだろう。ならば、この若君を連れて行ってもう一度対面させよう。」と思った。そして、

 「左大将殿をたばかる手立てがあります。大将殿へも御母上にも文をお書きください。『罪のない人を私なせいで遠国へ流適させた遺恨、もう心をこの世にとどめることもありません。私は身を投げます。』としたためなさい。縁起でもない事ですが、このように書いたなら疑われる事はないでしょう。」

 などとかしこまった態度で申すので、その配慮に嬉しくは思うが、

 「母上がの嘆きなさって病気にでもなったらどうしましょう、それだけはつらいことです。」

 と言い返すと、

 「それは後で密かに、心こめて打ち明ければ納得してくださるでしょう。」

 などと言うので、「そうか。」と思って一方では宰相に会える当てがついたことに胸躍るのであった。

 

原文  

 これを聞くにも侍従は耐へ難く、「我ゆへ咎なき人の憂き目を見るらんも悲しく、かの島の波風をも共に聞かばや。」とぞ嘆かれける。互ひに一下りの消息も給(た)ぶべきやうなければ、おぼつかなし。

 かの宰相都を別かるるとて、いかなる便りをか求めけん、文書きておこせたり。忍びて見れば、書き付けたる言の葉多し。

  *流れ木と身はなりぬとも涙川君に*寄る瀬のある世なりせば

 *そこはかとなく書きたり。

 かかりければこの大将の御心も恨めしく、*情け後れて思へば、打ち解け奉る事もなし。果て果ては悩ましくて、*玉楼展簟の清風も心に付かずすさまじく、ひたぶるに*ながめがちにて衰へゆけば、かの人を思ふ故とは知らせ給はで、物の怪にやとて祈りなどせさせ給へど、験あるべきならねば、*同じ様に患ひて弱るやうに物せられしかば、母君悲しみて様々に申して罷でさせ侍りぬ。

 さて、かの岩倉に留まりたる伊予といふ法師を、忍びに呼び取りつつ、床近く候らはせて、

 「かの宰相の、我が身ゆへ遠き島へと聞き*給ふれば悲しくて、かく心地も患ふなり。*そこにいかにまろを恨めしく思ひ給ふらん。」

 と涙に咽びつつのたまへば、聞く心地いはんかたなく悲しくて、

 「かく思はせ給ふこそ、よに類なく侍れ。なにかは恨み奉るべき。」

 など言ひつつ夜も更けゆくに、なほ枕の元に引き寄せ、囁き給ふやうは、

 「いかにもして宰相の居給へる島へ忍びて我を誘ひ給へ。聞こえありて罪に当たり侍らば、もろともにその島にて送らんこそ、願ひかなふ心地はせめ。」

 とのたまへば、

 「あはれに忝くは思ひ侍れど、まことに稚けなくおはします御心にてこそ、かくはのたまへ。かの淡路へ渡らせ給ひたらば、隠れも侍らじ。やがて大将殿聞かせ給はば、なほ憎しとてこれより勝る罪にも当たり侍るべし。御志あらば文書きて給へ。いかにも忍びて持ちて罷らん。」

 と言ふに、なほ同じ様にうち嘆きつつのたまへば、あはれにも不思議にも覚えて、つくづくと案じ居たるが、思ふやう、「この宰相に我も遅れて心ならぬ世に永らふるも本意なし。また、この人のかくのたまふも否み難し。もとより惜しからぬ身なれば、世に聞こえありともいかがせん。さらば、伴ひて今一度対面せさせ奉らん。」と思ふ心あり。

 さてこの法師申し侍るやう、

 「*我が君を謀(たばか)り申すべきやうあり。大将殿へも御母上にも文書かせ給へ。罪なき人を我ゆへ遠き国へ遣はされたる恨めしさ、とにもかくにも世に心も止まり給はねば、身を投げ給ひたる由申させ給へ。由々しき事なれども、さも侍らば*正されも侍らじ。」

 など*容体つきづきしく申せば、嬉しく思せどまた打ち返し、

 「母の嘆き給ひて心地も患ひ給はばいかがせんなど、これのみぞ悲しき。」

 とのたまへば、

 「それは後に忍びて、御心一つに知らせ給はば慰め給ふべし。」

 など言へば、「げにも。」と思ひつつ嬉しかりけり。

 

(注)流れ木=浮木。流人のたとえ。

   寄る瀬=流れ着く浅瀬。転じて拠り所、よるべ。

   そこはかとなく=勘気が侍従に及ぶのを恐れてぼんやりと書いたのか。

   情け後れて=情愛に乏しい。思いやりがない。 

   玉楼展簟の清風=「玉楼展簟」という熟語は確認できない。簟は竹で作った筵で

    夏に涼むために用いられた。「玉の御殿で竹筵を展べて清風に涼もうとして

    も」の意か。

   ながめがち=物思いがち。

   同じ様に=以前と変わらず。

   給ふれ=下二段活用なので謙譲語。

   そこに=お前は。

   我が君=左大将の事。なぜ「我が」君なのか。

   正され=真偽を検証する事。そのような遺書を書けば疑われないだろう、とのこ

    とだが、我々の感覚では調査検証するだろう。

   容体つきづきしく=その場にふさわしい態度で。