religionsloveの日記

室町物語です。

花みつ⑥ー稚児物語3ー

下巻

その3

 大夫・侍従はそ知らぬふりをして傍らでこっそりと、「ああ花みつ殿が幼かった時から愛おしく思っていたので、無道な事も承知したせいで、思いもよらずこの人にたばかられて、我々が自ら手を掛けたとは無念。こうして悩んでいても苦しいばかりだ。さあ急いで後追いして、死出の山・三途の川のお供をいたそう。」と相談し、二人とも決意して、別当の御前に参って申すには、「お嘆きになるのをやめて暫くお聞きください。過ぎにし夜に、花みつ殿が我ら二人を誘って如意輪堂へ月を眺めに行かれたのですが、夜が更けて我ら二人に、『お願いする事があります。』と言われたのです。法師の身でどうして稚児殿に、『承知できません。』とは申せましょうか。『あなたのためなら命さえも差し上げましょう。』と申し上げると、『それならば弟を討ってほしい。』とおっしゃったのを、『これはなんとも、もっての外の事です。』と申し上げると、『それならば私は死んでしまいます。』とおっしゃったので、それ以上は説得することもできず了承いたしました。このような驚くべきことになろうとは無念です。いまや命を惜しむこともございません。お供申し上げよう。」と言い捨てて、大庭に躍り出て、「近寄れ大夫。」「侍従。」と呼び合って脇差をするりと抜いて刺し違えようとするのを、月みつが続いて走り下りて、二人の中に分け行って、「おのおのが御自害なさるのならば、それは私のせいです。私とても死を免れることはできません。またとない兄弟に先立たれて、どうして命が惜しい事でしょう。しかし、自ら命を絶たずにこれほどのはかりごとをめぐらして、人々の手にかかろうとなさったのも、ひたすら後生の弔いをお願いしたかったからではないでしょうか。あなた方が御自害なさったならば、花みつ殿が今現在、修羅道で苦しんでいるのを誰が救うというのですか。後生を弔うためにも御自害は思いとどめてください。」と制止するのもけなげである。

 こうしているうちに人々も集まって、ようやく自害をやめさせた。

その4

 別当は、「この人は、前世の報いが逃れ難くてこのようになりなさったが、それに付き従って二人めいめい命を失うのは愚かである。二人の事を花みつ殿の忘れ形見と思いますから気をお静めなさい。」とおっしゃって抜いた刀に取りつきなさると、「このように生きながらえて、ありあまるほど世間の噂になるのは恥ずかしいのですが、亡き跡を供養するために残しておく命でしょうか。」と思って自害を思いとどまった二人の心中はやるせないものであった。

 このままにしてはおけないので、まず死骸を埋葬しようと、最期の衣を着せ変えなさると、肌身離さず持っているお守りのような手紙がいくつかあった。

 まず、「別当殿へ」と書いてあるのを見ると、

   「幼少の時より今に至るまで、御恩でないことは一つもありませんでした。もっ

  ともっとこの世に残り留まって、師匠の後生を弔い申し上げる事こそ、師弟として

  の本意でございましょう。この世のつらさに負けて先立ち申し上げ、礼儀に背く事

  は、永劫の患いですが、致し方ございません。」

 とあって、末尾に、

  ははちりて梢寂しき春過ぎて花恨めしき心地こそすれ

  (葉々が青葉のうちに散って梢が寂しい春が過ぎて桜の花は恨めしい気持ちがしま

  す。母が死んで花みつも恨めしく思っています。)

  類ひなく月をぞ人の眺むらん花は仇なるものと思へば

  (人々は月を類なく素晴らしいものだと眺めるでしょう。永遠に光る月とは違って

  花はすぐ散る仇なものだと思えば。死んでいく花みつよりも、月みつの方を素晴ら

  しいと人々は思うでしょう。)

  久方の天霧(あまぎ)る雪に名をとめて散る花みつと誰か言はまし

  (空一面に舞い散る雪に名前を留めて、その雪を「散る花が満ちている」と誰か言

  うだろうか。誰かが記憶にとどめていて「散った花みつ」とでも言うだろうか。)

 とあった。また、「太夫・侍従殿」と書いてある手紙には、

   「お二人の御手にかかって安くも命を捨てる事が出来たのは、返す返す、冥土黄

  泉へ行く闇路も晴れる心地がして、今はの際の思い出となったと思います。私の事

  を軽蔑なさらず、なお不憫だとお思いになるならば、亡き跡を弔っていただきたく

  思います。」

 とあって、

  二つがな一つは命残し置き君が情けを思ひ知らせん

  (二つあったらなあ。一つの命は残しておいてあなた方の情けを皆に思い知らせよ

  うに。)

 また、「月みつ方に」とある手紙には、

   「このようになってしまうと、二人といない兄弟の事ゆえ、きっと寂しく思って

  いらっしゃるだろうと、そればかりが気がかりです。そうはいっても、「逢うは別

  れの道」「生は死の基」と言います。仕方ない事です。どのような宿縁で兄弟とし

  て生まれ、その甲斐もなく死に急ぐ我が身の事をどのようにお思いになるでしょ

  う。後世でも二人に契りが朽ちないならば、きっと尋ね逢いましょう。お名残り惜

  しゅうございます。」

 とあって、

   花の雲風に散りなば月ひとり残らん後ぞ思ひ置かるる

   (雲のように覆う花が散ったならば月が一人残るでしょう。そうなった後が気が

   かりです。花みつが死んだ後の月みつが気がかりです。)

原文

その3

 大夫、侍従はさらぬ体にて傍らに忍び、「さても幼(いとけな)き時より愛ほしく思ひ奉りしにより、わりなき事をも了承しつるに、思はざるにこの人に謀(たばか)られ、我らが手にかけ殺したる事の無念さよ。かくて思ふも苦しければ、いざや急ぎ追つつき、死出の山・三途の川のお供申さん。」と二人とも思ひ切り、別当の御前に参りて申すやう、「嘆きを止めて暫くものを聞き給へ。過ぎし夜、花みつ殿我ら二人を誘ひて*によいもんたうへ月を眺めに行き給ふが、夜更けて我二人に、『しかじか頼まん。』とありしかば、法師の身にて児に、『頼まれ申さじ。』とはいかで申すべき。『御ためならば命なりとも参らせん。』申せし時、『さらば弟を討ってくれよ。』とのたまひしを、『こはいかに。*もつたいない事。』と申しければ、『身をなきものとなさん。』仰せられし上は、力及ばず了承申して候へば、かかるあさましき事を見るこそ口惜しけれ。今は何に命の惜しむべき。お供申さん。」言ひ捨てて、大庭に躍り出でて、*「寄れや大夫。」「侍従。」とて、脇差をするりと抜き、刺し違へんとしたりけるを、月みつ続いて走り下り、二人が中へ分け入り、「面々御自害候はば、我々とて逃るまじ。またもなき兄弟を先に立てて、何に命の惜しかるべき。これほどのはかりごとをめぐらして、人々の御手にかかり給ふも、一向に後生を頼み申すべきためにてこそ候へ。御自害候はば、花みつ殿のただ今の修羅の苦しみをば、誰か助け候べき。ただ思し召しとどまり給へ。」ととどめ給ふぞあはれなれ。

 かくするほどに人々多く集まりて、暫く自害をとどめけり。

(注)によいもんたう=「花月」は「によいりんたう(如意輪堂)」。「月花」では

    「ねういんもんたう」。書写山円教寺は西国33観音霊場の27番札所で、如

    意輪観音を安置した「摩尼殿」があり、如意輪堂とも呼ばれる。

   もつたいなき=もってのほか。畏れ多い。

   「寄れや大夫」=大夫の方が年長なら、呼びかけは逆の方が自然であるが、あま

    り深く考えていないのかもしれない。

その4

 別当のたまひけるは、「この人こそ、先の世の報ひ逃れ難くしてかやうになり給ふとも、それにつきて面々二人命を失はんも愚かなり。花みつ殿の忘れ形見とも二人を見侍らんに、静まり給へ。」とて抜きたる刀にとりつき給へば、「かくて永らへんも、*人口(ひとぐち)に余らん事も恥づかしく侍れども、御跡*孝養(けうやう)のために残し置く命なれ。」とて自害をとどめける二人が心の内、やるかたなき思ひなり。

 かくてあるべきならねば、先づ御死骸を*隠さんとて、*さいこくの衣(きぬ)を着せ替へ給ふに、肌の守りに御文どもあり。

 まづ別当殿へとあるを見れば、

   「幼少より今に至るまで、御恩ならずと言ふことなし。

  もっとも残りとどまり後生をも訪ひ奉らんこそ、師弟の本意にて候へども、世の憂

  きに従ひ、先立ち申し礼儀を背く事、*生生世世の虞れにて候へども、力なき事に

  て候。」

 とて、奥にかくなん。

  *ははちりて梢寂しき春過ぎて花恨めしき心地こそすれ 

  *類ひなく月をそ人の眺むらん花は仇なるものと思へば 

  *久方の天霧(あまぎ)る雪に名をとめて散る花みつと誰か言はまし 

 また、大夫・侍従殿とある文には、

   *一向とても捨つる身の御手にかかり候事、返す返すも冥土黄泉の闇路も晴るる

  心地して、最期の思ひ出でと思ふなり。なほあはれと思し召さば、跡を弔ひて給は

  れ。

 とて、

  *二つがな一つは命残し置き君が情けを思ひ知らせん 

 また、月みつ方へとある文には、

   かやうになり候へば、またもなき兄弟にて、さこそ寂しくおはしまさんずらん

  と、それのみ心に懸るなり。さりながら*会ふは別れの道、生(しやう)は死の基

  (もとゐ)、力及ばぬ事どもなり。いかなる宿縁にて兄弟と生まれ、その甲斐もな

  く世を急ぐ我が身の程、いかばかりとか思し召す。必ず後の世にても契り朽ちせず 

  ば、訪ね会ふべきなり。御名残り惜しくこそ候へ。

 とて、

  *花の雲風に散りなば月ひとり残らん後ぞ思ひ置かるる 

(注)人口に余らん=ありあまるほど世間の噂になる。

   孝養=供養。 

   隠さん=葬る。埋葬する。

   さいこく=「月花」では「最期」。「最期」か「先刻」か。

   生生世世=永劫。

   ははちりて・・・=「葉々が散って」と「母が散って(死んで)」を掛ける。

    「花」は「桜の花」と「花みつ」。葉が散って春が過ぎるのは不自然だが、誕

    生を祈願した七日の夢(「花みつ」では岡部の妻、「月花」では岡部も妻も) 

     に花はすぐ散り、青葉もすぐ散ったとある。それが伏線となっているのだろ

    う。「花月」では青葉は散るとまで書かれてはいない。

   類ひなく・・・=はかない花(みつ)よりいつまでもある月(みつ)を頼もしく

    人びとは思うであろう。

   久方の・・・=「久方の」は「天」の枕詞。「梅の花それとも見えずひさかたの

    あまぎる雪のなべて降れれば)古今集・冬334)」。「天霧る」は空が霞み

    渡る。空一面にどんよりと曇る。

   一向とても=「ひたすらどうしても」か。わかりずらい。

   二つかな・・・=命が二つあったなら残した方の命であなたの情けを皆に知らせ

    よう。

   会ふは・・・=「会うは別れの始め」「生は死の始め」という諺。