religionsloveの日記

室町物語です。

幻夢物語⑧-リリジョンズラブ3-

 その2

 次の年の三月十日、その日は花松殿が亡くなった日なので、幻夢は奥の院に参詣して、御影堂の前で一心に念仏し、「花岳聖霊ないし自他法界 平等利生(花覚の霊位及び法界すべての衆生を等しく利益し給え)」と供養していますと、粗末な身なりの二十歳ほどの墨染めの衣をまとった法師が、同じように参詣してきまして、後生一大事を祈っています。

 「ああ、立派なことだ。まだ年若く見えるのに、これほどにまで後生を恐れて祈るとは素晴らしいことだなあ。」

 と感心していましたが、辺りに人がいないと思ったのでしょうか、ひとりごちておりました。

 「この世は無情であることよ。去年の今夜、親を討たれてその場で仇を討ち返したのも、夢のように思われる。それにしても、仇とは言いながら、あの稚児の面影は忘れられない。ああ、不憫なことよ。」

 と言って、涙を流しながら念仏を唱え続けているのです。

 幻夢はこれを聞いて不思議に思い、

 「そこにいらっしゃる御僧よ、あなたはどのような因縁で出家し、本国はどこの人なのですか。発心のいわれを窺いたく思います。

 畏れ多くも厚かましくもごさいますが、世を厭って出家したからには、何事をも残らず打ち明けるのがよろしいかと存じます。」

 と言いますと、

 「愚僧は下野の住人、小野寺右衛門尉親任と申す者の子、小太郎親親次と申す者でございます。十九歳になりました。

 実は去年の今夜、同じ国の住人、大胡左近将監の息子、花松丸と申す稚児に、親任は、親の仇として討たれてしまったのです。私はその折、他所におりましたが、このことを聞いて急ぎ走り行き、仇は遥か遠く落ち延びて居たのですが、追いかけて討ち取ったのでございます。

 その時は、ひどく喜んだのですが、次の日死骸を見ると、年は十六歳ほどの、実に美しい稚児であり、余りに痛ましかったのでした。

 「悲しいことだ。もし武士の家に生まれなければ、このようなことにはならなかったのに。

 私は思ったのです、この世は電光朝露の如く、実に夢のようなものです。この憂き世を厭って捨てねばなるまい。きっとこの花松丸は仏道に導いてくれる善知識に違いない。されば、親の供養と稚児の菩提、両方の弔いをしよう。と思って、その夜の内に故郷を捨ててこの山に上り、元結を切って、ひたすら念仏をして、西方浄土を心がけておりました。」

 今夜はその人らの討ち死にした夜で、ここで妄念を断ち切って、悟りの境界に入るよう祈っている旨を詳しく語るので、幻夢もすっかり涙にくれるのでした。

 少僧は言います、

 「このつらい世には、悲しいことは多いとは申しながら、類ない話ですので、涙を流すことはもっとものことです。それにしても、このように深く嘆くのは不思議に存じます。何かご事情があるのでしょうか、気にかかります。

 私はあなたの仰せに従って、懺悔は滅罪であると思い、ありのままに申し上げました。あなたも発心の所以をお語りなさってはいかがですか。」

 と言いますと、

 「申すも恥ずかしいことですが、『普賢観経』には、『懺悔をすれば六根が清浄される。』と書かれています。懺悔といっても様々あるでしょうが、この私の懺悔こそ、有相(うそう)の懺悔ともいうべきものでしょう。世にも珍しい懺悔でしょうか。ありのままに申し上げましょう。」

 と言って、一昨年の冬に花松殿を見染めて以来、暁の別れ、発心して修行する今に至るまでの事を、語り続けます。

 二人の僧は向き合って、互いに涙にむせんでいるのでありました。

 ある書物に、「念が起こるのを病とし、その念に執着しないのを薬とする。」とあります。二人は、遥か昔から流転し続ける中で生得した己らの業因を懺悔して再出発したのです。

 それ以後は、互いが互いの師範となって、称名念仏し、西方浄土へ赴く(入寂する)時も同じく上品の蓮台に乗り、一緒に七重宝樹の木の本に行こうと語り合いました。

 多生曠劫宿縁でありましょうか、大原の幻夢は七十七歳、下野の入道は六十歳の時、端座合掌して、十遍称名念仏すると、虚空から花が降り、雲間から音楽が聞こえ、阿弥陀三尊が来迎し、光明があまねく十方世界を照らして、かねてからの願いであった往生を速やかに遂げたという事です。

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原文

 かくて次の年の三月十日、今は花松殿はかなくなり給ひし日なれば、幻夢、奥の院に参り、*御影堂の前にして、一心に称名し、「*花岳聖霊 乃至 自他法界 平等利生」と回向して居たる所に、年の程二十ばかりの法師の、墨染めの衣のあさましく姿にて、誠に後生一大事を思ひ入りたるけしきなるが、同じく参りたり。

 「あな、あはれなり。未だ年の程も若く見ゆるに、かほどまで後生を恐るる事、ありがたき事かな。」

 と思ふ所に、辺りに人なしとや思ひけん、独り言に言ふやう、

 「憂き世の習ひ、定めなきことかな。去年の今夜、親を*討たせて、当座に仇を討ちしも夢ぞかし。仇とは言ひながら、児の面影忘れ難し。あな無残や。」

 とて、涙を流し、念仏を申して居たりける。

(注)御影堂=開山、開基の像を安置した堂。開山堂、祖師堂とも。

   花岳聖霊=竹林房の位牌には{花覚聖霊位」と書かれていた。

   討たせて=討たれて。この「せ」は使役ではなく、「軍記物語」に見える受身。

 幻夢、これを聞きて不思議に思ひ、

 「それにお渡り候ふ御僧は、いかなる因縁にて出家し、本国はいづくの人、発心のいはれを承りたく候ふ。*憚り入りて候へども、世を厭(いど)ふ上は、何事も残さず懺悔し給ふべし。」

 と言ひければ、

 「愚僧は、下野国の住人、小野寺右兵衛尉親任と申す者の子、小太郎親次と申す者にて候ふ。生年十九になり候ふ。

 去年の今夜、同じ国の住人、大胡の左近の将監が四則演算、花松丸と申す児のために、父親任は親の仇にて候ふゆへ、終に討たれぬ。それがし折節他所にありしかども、このことを聞き、急ぎ走り向かひ、仇遥かに落ち延びたりしを追ひかけ、討ち取り候ふ。

 その折節は大いに喜びしが、次の日死骸を見れば、年二八ばかりなる児、よに美しき顔ばせ、余りに痛ましき有様なり。

 『あはれなるかな。*弓馬の家に生まれずば、かかる憂きことも見まじきものを。今生は*電光朝露、誠に夢の間なり。何ぞ憂き世に厭(いど)はざらむや。これ*善知識なるべし。

 かつは親の教養、かつは児の後世を弔はばや。』

 と存じて、ただ一筋に思ひ切り、一心に弥陀を念じ、西方を心にかけ侍り。」

 今夜はかの人々の討ち死にの夜にあたり候ふ間、ここにて*断魂の仏果を祈る由、詳しく語りければ、幻夢も惜しまず泣き居たり。

(注)憚り入りて・・・=(大)(史)はこの前に、「と言ひければ、小僧聞きて」と

    入り、以下を少年僧が言ったこととしている。その方が自然な感じがする。た

    だ、「上」でも、翌日連歌をしたいから一泊逗留を伸ばせというなど、やや厚

    かましい人物として造形しているのかもしれない。

   弓馬の家=武士の家。

   電光朝露=はかなく消えやすいことをたとえて言う語。

   善知識=教えを説いて仏道に導いてくれる人。

   断魂の仏果=「断魂」は断腸の意味だが、ここでは、この世への思い、未練を断

    ち切る、の意か。「仏果」は菩薩の究極の成道の地位。悟りの境界。仏地。全

    体として、精霊がこの世への未練を断ち成仏することを祈る、の意か。

 かの僧言ふやう、

 「憂き世のことはあはれ多しと申すながら、たぐひなき物語なれば、涙を流し給ふは理なり。さりながら、かやうに深く嘆き給ふこと不思議に侍り。いかなる御事ぞや。*おぼつかなく侍り。我らは仰せに従ひ、懺悔滅罪と存じ、ありのままに申し侍りぬ。御身も発心のゆゑをとく語り給へ。」

 と言ひければ、

 「*かたはらいたき申し事にて候へども、『*普賢観経』には『懺悔六根浄』と述べ給へり。その外懺悔においては様々ありと言へども、今この懺悔は*有相(うそう)の懺悔と言ふべし。これありがたき懺悔ならむ。ありのままに申さん。」

 とて、をととしの冬、花松殿を見染めしより、その暁別れし発心修行、今に至るまでの事ども、語り続ければ、二人の僧向かひ居て、互ひに涙にむせぶ有様、たとへて言はん方もなし。

 されば、*ある書に、「念起こるを病とし、継がざるを薬とする。」と。*過去遠々の生死の業因をば懺悔しぬ。

 今より後は互ひに師範となりて称名念仏し、西方往生の時も*上品(じょうぼん)の*蓮(はちす)の台(うてな)に契りを結び、同じ*七宝樹の本に至り申さんとて語らひける。

 *多生曠劫の宿縁にや、大原の幻夢は七十七、下野の入道は六十歳にて、端座合掌し、*十念成就して、虚空より花降り、音楽雲に聞こえ、弥陀三尊来迎し給ひ、光明あまねく十方世界を照らして、速やかに往生の素懐を遂げけるとぞ。

挿絵。

(注)おぼつかなく=気がかりで。

   かたはらいたき=恐縮である。気が引ける。

   普賢観経=仏説観普賢菩薩行法経。観普賢経。法華三部経無量義経、妙法蓮華

    経、観普賢)の結経とされる。普賢菩薩を観ずる方法と、六根の罪を懺悔する

    法、及びその功徳が中心内容。

   有相=有為。無常のこの世、の意か。

   ある書=未詳。禅家の言葉に、「念起こる、これ病なり。継がざる、これ薬な

    り。」とあるという。

   過去遠々=はるか昔。現世を超えた昔。

   上品=人の往生を上中下に分けた最上位の往生の仕方。(大)(史)「上品上

    生」。上品上生は往生を九品に分けた最上位。

   蓮の台=極楽往生したものが座る蓮台。

   七宝樹=(大)(史)「七重宝樹」。極楽浄土にあるという七宝で飾られている

    木。

   多生曠劫=多くの生死を繰り返して久遠の時間を経ること。

   十念成就=①十種の思念を行う修行法を完成させ。そうすれば安らかに死を迎え

    られる。②十遍念仏を唱えて。