religionsloveの日記

室町物語です。

稚児観音縁起 全編ー稚児物語1ー

 「稚児観音縁起」「稚児今参り」「花みつ」は、稚児が登場する物語ですが、稚児と僧侶の恋愛譚ではありません。ですから「リリジョンズラブ」というサブタイトルを付けるのは憚られますが、広義には「稚児物語」でしょう。しかし稚児のありようは窺い知れるものですので、サブタイトルを変えて現代語訳を試みて紹介することにします。私の関心は稚児と僧侶の恋愛よりもむしろ、中世寺院の稚児や童子の存在そのものだからです。もしくは稚児や童子がどのように描かれているか、あるいはどのようなイメージが付与されていたか、だからです。

 「稚児観音縁起」は鎌倉時代末期成立かといわれる、縁起・絵巻物です。話も短く物語的展開も見られませんが、「秋夜長物語」を頂点とする「稚児物語」の先駆をなすものといえるでしょう。すでに「漁屋無縁堂」というサイトで「稚児観音縁起絵巻詞書 原文と現代語訳+語注」をなされている方がいるので、そちらをご覧になれば十分どのようなものかはわかるでしょうが、私なりの訳や注を試みたいと思います。

 

  昔、我が日本国の、大和の国長谷寺のほど近くに、たいそうご立派な上人がいらっしゃった。止観の道場では一念三千の観想を怠らず、五相によって仏身を成じようと勤修の床の上で深く加持に努める事幾年にも及び、仏法修行の功を積んでいた。その齢は六十有余になっていたが、親しく我が身に仕え心安く世話をしてくれて、仏法の跡を継いで、己の後生菩提の徳果を祈ってくれるべき弟子はいなかった。

 上人は倩(つらつら)己の仏縁に恵まれないことを嘆いて、長谷寺の観音に三か年の月詣でを思い立った。「観音様、どうか現世で心安く給仕し、後世には仏法の跡を継がせることができるような弟子を一人お授けください。」と願を立てたのである。

 やがて三年の願は満ちたが、そのご利益は現れず、仏弟子は現れなかった。上人は観音様を恨めしく思いながらも、さらに三月参詣した。文字通りの三年三月の長きに亘ったのだが、全く霊験は現れなかった。その時にかの上人は、我が身の宿業を恨んで、

 「抑も、大聖観自在尊(観音様)は極楽浄土では阿弥陀如来を継ぐもので、補陀落世界では主である方だ。大きな慈悲心をもって菩薩にとどまって衆生を救おうとする願いは深いものである。であるから等しくすべてを救おうという誓願を、我が身一人だけ不公平に扱いなさることはありえないことでだろう。月は万水を選ばず照らすのだが、濁っている水には影を浮かべない。観音大悲の月輪は清明であるとはいっても、衆生の濁った心には影を宿しなさらない。私自身の力が及ばず罪障の雲が晴れないから救われないのだ。悲しいことよ。」

 と言って、その暁は泣く泣く家路へ向ったが、尾臥と申す山の麓を過ぎていた時、十三四歳ほどの紫の小袖に白い練貫の衣を重ね着して朽葉染の袴をはいた少年が優美なたたずまいで立っていた。月の光に照らされたその容貌は実に美しく、竹の簪を挿して元結で束ねて後ろ髪を長く垂らし、漢竹の横笛をゾクッとするほど魅力的に吹き鳴らしている。居待ち月の明け方の露に濡れそぼっているその姿は、春の柳が風に乱れている様子よりもなお嫋やかに見るのであった。

 この上人はこれを見て、「魔物が変じたのだろうか。とてもうつつの事とは思われない。」と思ったが、それでも近寄って少年に語りかけた。

 「もしお若き方よ、まだ夜も深くてございますのに、このような山野にたった一人佇んでおられるとは尋常ではなく思われます。そなたはどのような方でいらっしゃいますか。」

 すると少年は答えて、

 「私は、東大寺の辺りでとある院家にお仕えしていた者ですが、ここのところ少々師匠をお恨み申し上げることがあり、夜更けのうちに足に任せて寺を飛び出したのでございます。さて、あなた様はどこぞにお住まいの方でしょうか。僧徒の情というものはしかるべき事でございましょう。ああどうか私をお連れくださって、中童子としてでもよろしいから召し使ってはくださいませぬか。お願いいたします。」

 と申すので、この僧は喜んで言った。

 「そなたにもきっと深い子細があるのでしょう。細かい事情は今は聞かない事にしましょう。このまま私についてきなさい。」

 と自分の宿坊へ連れていったのである。

 上人は、一方ならず喜んでこの稚児を召し使い、日々を過ごしていたが、不思議にも稚児を捜し訪ねてくる者は誰もいなかった。この少年の振る舞いはことごとく上人の心にかなうばかりでなく、詩歌管弦にも並ぶ者ないほど優れていた。これはまさに観音様の御利益であろうと喜ぶうちに年月は流れていった。ところが三年が過ぎた春の暮、俄かにこの稚児が病に冒され苦しみだした。身体は日々に衰え、もはや万が一にも助かりそうもないほどに重篤となった。稚児は上人の膝を枕として、手に手を取り合って、顔に顔を近づけ今生の別れを惜しみ合う。稚児の遺言はまことに切ないものであった。

 「ああこの三年というもの、お上人様のお部屋に満ちるほどのご慈悲の内に日々を暮らし、褥に溢れるほどのご加護の下で夜々を明かし、朝夕に慈しみの教えを受けたことは、いずこに生まれ変わっても忘れる事はないでしょう。 老いも若きも命に定めはないというのが世の習いとは言いましても、もし私が生きながらえてお上人が先立たれましたならば、後々のご供養をも生きている限りはいたしたいと存じておりました。その思いも空しく違えて、先立ち申し上げる事は悲しい限りです。『師弟は三世の契り』と申します。後の世でもまた師弟としてお逢いいたしましょう。

 もしも、我が身が息絶え魂が去ってしまっても、墓所に埋葬しないでください。野辺で火葬の煙ともしないでください。そのまま棺の内に収めて、持仏堂に安置して五七日の法要が過ぎてから蓋を開けてご覧になってください。」

 と言いも終わらず息絶えてしまった。その魂は彼方へと立ち去って空しく墓原の露と消えなさったのである。

 その時の上人の心中はなんともやりきれない。鳥は死ぬ時はその声はや柔らかになるといい、人は別離の時はその言葉は哀切であるという。そうでなくても遺言の言葉だと思えば悲しいのに、このように来し方行く末の事を心を込めて何度も何度も言うので、その悲痛は胸に迫るものであった。

 愛別離苦の悲しみはどの人にもあるものだが、この上人の悲嘆は比類ないものであった。春の朝に花を見る人は散り別れるのを悲しみ、秋の暮に月を詠ずる客は陰る空を恨むごとく、美しいものを愛おしむのは世の常である。凡そ三年三月の間の長谷寺参詣の霊験と思われ最愛この上ない美しい稚児を得た。それが正に三年三月の間馴れ親しんだと思うと、突然の別れを迎えたのだ。そのお嘆きは至極道理であろう。月にも似た麗しい面影は、どこの雲に隠されたのか、花の如く可憐な粧いは、どんな風に散り去っていったのか。老少不定の涙が濡らす衣はいつになったら乾くであろうか。師弟別離のつらい思いはいずれの日にか止むのであろうか。傷ましいことよ、老いを負った者がこの世に留まり、いとけない者があの世へと去る。青い露草の花は散り紅い楓の葉が何事もないように残っているようなものである。僧正遍照の「すゑの露もとのしづくやよの中のをくれさくだつためしなるらん」の歌の心に通じている。

 さて、そのままにしておくわけにはいかないので、上人は泣く泣く稚児を棺に入れた。遺言のとおりに持仏堂に安置して仏事は怠りなく執り行われた。遠く近くの衆徒が集まって法華経一部十巻二十八品六万九千三百八十四文字をこの一日のうちに書写して納経して供養し、この稚児の菩提に手向けた。供養の説法が終わると、この上人は悲しみの思いがあまって棺の蓋を開けて稚児の姿をご覧になろうとする。すると室内には栴檀沈香の清らかな薫香立ち込めて、棺の中からはかつて蘭麝の艶めかしい香気を焚きしめた稚児が、その粧いを改めて、金色の十一面観音へと変じて現れたのである。

 青い蓮花の御眼は鮮やかで、丹い果実の唇は厳かな笑みを含み、迦陵頻伽のような美しい声を出して、上人に告げた。

 「我は現世の者ではない。普陀落世界の主、大聖観自在尊という、これが我が本身である。仮に縁ある衆生を済度しようと初瀬山の尾上(峰)の麓に住んでいたのだ。汝が多年の参詣の懇切さに感じ、我が三十三応身の中でも童男の姿に化身して、二世の契りを結ばせたのである。

 そなたをこれから七年後、中秋八月十五日には必ず汝を迎えに来よう。極楽の九品(くほん)の蓮台での再会を期せよ。」

 と言って、自ら黄金の光を放って電光のように虚空に上がり、紫の雲の中に隠れなさったのである。

 今に伝わる、興福寺の菩提院の稚児観音がこれである。この観音に契ろうと願って参詣し功徳を積む人は、観音様はそれがためにご利益を与えて、まさに童子の身となって顕現なさるのである。そのようなわけで近里・遠山の多くの衆徒が集って法華大乗(法華経)を書写したならば、観世音はその内証の功徳を顕して、忽ちに生身の体として姿を現し衆生を済度するのである。三世の諸仏がこの世に現れる真の目的と言うのは、今この大聖観自在尊が行ったこの内証のご功徳なのである。

原文

 昔、我が朝日本国、大和の国*長谷寺のほど近く、やごとなき上人まします。*止観の窓(の)中には*一念三千の観怠りなく、*五相成身の床の上▢▢▢*加持の*薫修年深く、仏法修行(の)功を積む、その齢六十有余なり。しかりといへども、現世心安く給仕を致し、仏法の跡を継ぎて、*後生菩提の徳果を祈るべき一人の弟子なかりけり。

 倩(つらつら)、*過去の宿縁の拙きことを嘆いて、長谷寺の観音に三年の間月詣でを企つ。「現世に心安く給仕し、後世には仏法の跡を継がしめむしかるべく弟子一人授け給へ。」と*祈精す。

 既に三年に満すれども、その*勝利一もなし。観音を恨みながら、また重ねて三月の間参りけり。既に*三年三月に満しけれども、さらに御示現なし。その時にかの上人、我が身の宿業を恨みて、

 「抑(そもそ)も、*大聖観自在尊は極楽浄土の*儲(まう)けの君、*普(補)陀落世界の主なり。*大悲闡提(だいひせんだい)の悲願これ深し。されば平等一子の誓願を、我が身一人に於いて*偏頗おはしまさじ。月は万水撰(えら)ばず照らせども、濁れる水に影を浮かべず。観音大悲の月輪は清明なりといへども、衆生の濁れる心に影を宿し給はず。力及ばず我が身の罪障の雲の晴れざるのみこそ悲しけれ。」

 とて、その暁泣く泣く家路へ下向する間、*尾臥の山と申す麓を過ぐる程に、

 

(注)長谷寺奈良県桜井市にある真言宗の寺。本尊は十一面観音。

   止観の窓=①「止観」は雑念を止めて一つの事に集中し、正しい智慧を起こし対

    象を観ること。天台宗が最も重視する実践法だが、②天台宗の異称でもある。

    「窓」は「学びの窓」というように、「建物」「道場」の意であろう。

     「止観窓前雖弄天真独朗之夜月(止観の道場の前で天真独朗の夜の月を愛で

    たとはいっても)」(太平記・巻八・山徒寄京都事)

   一念三千の観=止観①の意。

   五相成身=真言の行者が五段階の観行を修して仏身を得る事。

   加持=修法上の作法。加持が下に付く単語には、「自行加持」「護身加持」「三

    宝加持」「三密加持」などがある。

   薫修=仏道修行を積むこと。善行を積むこと。

   後生菩提=来世の極楽往生

   過去の宿縁=前世からの運命。

   祈精=祈請か。祈請は神仏に誓いを立ててその加護を祈る事。祈誓。

   勝利=すぐれた御利益。

   三年三月=ここでは実際の年月だが、長い年月のたとえにも言う。

   大聖観自在尊=観音の尊称。

   儲けの君=皇太子。観音は極楽浄土に於いて勢至菩薩とともに阿弥陀如来の脇侍

    として、阿弥陀にとってそのかわりとなりうる補処(ふしょ)の菩薩として最

    適であるで「儲けの君」と言ったのであろう。(日本大百科全書による)

   普陀落世界=インドの南海岸にあり観音が住むといわれる山。

   大悲闡提=大悲心をもって世に人のすべてを救おうとする菩薩。すべての人を救

    うことはできないから、いつまでも菩薩にとどまって成仏できない。

   偏頗=不公平。えこひいき。自分だけがひいきされて救われる事はないのだか

    ら、救われないのはすべて自分のせいであるという事。

   尾臥の山=未詳。後に出てくる「初瀬山の尾上」か。

 

 十三四計りなる少人の月の貌(かんばせ)まことに厳(いつくし)く、*紫の小袖に*白練貫を折り重ねて、*朽葉染の袴の優なるに、*漢竹の横笛心すごく吹き鳴らし、竹なる*簪(かんざし)し、*元結おしすべらかして、頃は*八月十八日の曙方に、露にしほれたる気色に見えて、春の柳の風に乱れたるよりもなほ嫋(たを)やかに見給へり。

 かの上人これを見て、「さらに現とも覚えず。*魔縁の変ずるか。」と思ひけれども近く立ち寄りて少人に問ひ奉るやう、

 「抑も未だ夜の深く候ふに、かかる山野にただ一人佇みおはする御事、ただ事ならず覚え候ふ。いかなる人にておはし候ふぞ。」

 と申すに、少人答へていはく、

 「童はこれ、*東大寺の辺りに候ひしが、聊(いささ)かこの程、師匠を恨み奉りて、*夜をこめて足に任せて罷り出でて候ふなり。抑も君は何(いか)なる所におはし候ふぞ。かつは僧徒の情は*さる事にてこそ候へ。あはれ具し連れおはして、*中童子にも召し仕はせ候へかし。頼み奉らばや。」

 と申されければ、かの僧悦びて申すやう、

 「さだめて子細おはすらむ。是非の子細をば暫く閣(おき)て、やがてお供申すべし。」

 とて我が宿坊へ相具して下向しけり。

 僧、なのめならず悦びて明かし暮らしけれども、かの少人行方を尋ぬる人もなし。上人心に違ふ事さらに侍らず。詩歌管弦にも並びなし。偏に観音の利生とのみ悦びて年月を送りけるほどに、三年と申す春の暮に、俄かにかの少人、*病悩を受けおはしけり。*四大日々に衰へて*万死一生になりし時、かの少人上人の膝を枕にし、手に手を取り組み、顔を顔に合はせて互ひに別れを惜しみ給ひけるに、遺言実に哀れに覚ゆ。

 「抑もこの三年がほど、慈悲の室の内に日を暮らし、*忍辱(にんにく)のふすまの下に夜を明かし、朝夕に慈訓を受けし事*何の生にか忘れむ。  設(たと)ひ老少不定の習ひなりとも、我が身ながらへて御身先立ち給はば、設ひ後の御孝養をも、我が身生きて申さばや、とこそ思ひ候ひつれ。思ひ空しく相違して、先立ち奉る事のみこそ悲しけれ。『*師匠は三世の契り』と申せば、後世にはまた逢ひ奉らむ。

 抑も、我が身息絶え魂去りなば、*竜門の土にも埋まず、野外の煙ともなさずして、棺の内に収めて、*持仏堂に置きて*五七日を過ぎて開けて見るべし。」

 と言ひも果てず息絶えぬ。魂去りて空しく*北芒の露と消え給へり。

(注)紫の小袖=小袖は下着。内着。「紫の袖」は立派な服装の意にも用いられる。

   白練貫=白く光沢のある絹の衣。

   朽葉色=赤みを帯びた黄色。

   漢竹=中国渡来の竹。笛に作り珍重した。

   心すごく=もの寂しく。またはぞっとするほど美しく。

   簪し=簪を挿す。

   元結おしすべらかして=垂髪にする。髪を後ろで束ねて背中に長く垂らす。

   八月十八日=中秋の名月の三日後。居待ち月ともいう。居待ち月は明るい月と認

    識される。

   魔縁=悪魔。魔王。

   東大寺=奈良にある華厳宗の寺。法相宗興福寺は近い。

   夜をこめて=まだ夜が明けない間に~する。

   さる事=そうあるはずの事。僧徒というものは当然情に厚いはずである、の意。

   中童子=寺院に仕える童形の少年。稚児(上童)が貴族・武家の出自で学問修行

    のために養育されるのに対して、出自は低く(妻帯の中間僧の家など)給仕・

    雑役に従事する者として扱われる。「中童子にも」という表現には、本来は稚

    児の身分ではあるが、中童子としてでもいいから、というニュアンスがある。

   病悩=病気による苦しみ。

   四大=地・水・火・風からなる身体。

   万死一生=①ほとんど助かるとは思えない状態。②またそれから脱する事。ここ

    では①。

   忍辱のふすま=忍辱は屈辱に耐え安らぎの心を持つこと。「忍辱の袈裟(ころ

    も)」は忍辱の心があらゆる外障から身を守る事をいう。ここでは上人が少人

    に、昼は慈悲の心を注ぎ、夜は忍辱の心で守ってくれた、という譬喩表現。

    「ふすま」は同衾(床を共にする事)を連想させる。

   何の生=どこに生まれ変わっても。

   老少不定=人間の寿命はわからないもので、老人が早く死に若者が遅く死ぬとは

    限らない事。

   師匠は三世の契り=師弟は三世の契りという。師弟関係は前世でも来世でも変わ

    らないという事。「主従は三世の契り」という言葉もある。ちなみに夫婦は二

    世の契り、結婚披露宴のスピーチで使われる。親子は一世の契り。

   竜門の土=白居易の「題故元少伊集詩」に「竜門原上土 埋骨不埋名(竜門原上

    の土、骨を埋むとも名を埋めず)」とある。これが名を後世に残す、の意の慣

    用句になった。ここでは土葬をしないでほしいとの意。

   持仏堂=持仏または祖先の位牌を安置しておく堂、あるいは部屋。仏間。

   五七日=三十五日。死後七日ごとに行う供養の五回目の日。死者の霊は七七(四

    十九)日中有にとどまってからあの世に行くという。

   北芒=洛陽市東北にある邙山。多くの王侯貴族が葬られた墓地。転じて墓地一般

    をさす。

 

 その時、上人の心中せむかたなし。*鳥は死すとてはその声や柔らかに、人は別るるとてはその詞(ことば)哀れなり。さらぬだに詞だにも遺言と思へば悲しきに、来し方行く末の事かきくどき申されけるに、いとど哀れも切なり。

 愛別離苦の悲しみは人毎(ひとごと)なれどもこの嘆きは例(ためし)少なき事どもなり。春の朝に花を見る人散り別るるを悲しみ、秋の暮に月を詠ずる客陰る空を恨む。凡そ*三年三月の間の長谷寺の参詣の験(しるし)と覚えて*最愛たぐひなし。三年三月のほど相馴れて、俄かに別れて嘆きしも理なり。月に似たりし面影、何(ど)の雲にか隠し、花の如くなりし粧ひ、いかなる風にか誘はれけむ。老少不定の涙の衫(さん)と何(いづれ)の時にか乾かむ。師弟別離の思ひ何の日か休(やす)まむ。哀れなるかなや、老いを負ひたるは留まり、幼(いとけな)きなるは去る。*青花の散り紅葉のつれなきにたぐふ。*本の雫末の露に相似たり。

 泣く泣く、さてあるべきにあらねば入棺す。遺言まかせて持仏堂に置きて仏事怠りなし。近里遠山の大衆集ひて、今この*法華経を一日の中に書き奉り、供養してかの菩提に廻向す。供養の*説法果てしかば、かの上人*思ひのあまりに棺の蓋を開きて見給へば、*栴檀沈香の異香あまねく室内に薫ず。昔の*蘭麝の粧ひを改めて、金色の十一面観音と現ず。

 *青蓮の御眼鮮やかに、*丹菓の唇厳(いつく)しくして咲(えみ)を含み、*迦陵の御音を出だして、上人に告げて曰く、

 「我これ*人間の者にはあらず。普陀落世界の主、大聖観自在尊と言ふ、我が身これなり。暫く*有縁の衆生を度せむがために*初瀬山の尾上の麓に*住み給へり。汝が多年の参詣懇切に思へば、我が*三十三応の中には童男の形を現じて、*契りを二世に結ばしむ。

 今七年といはむ、秋八月十五日には必ず汝が迎へに来るべし。再会を極楽の*九品(くほん)の蓮台に期すべし。」

 とて、光を放ちて電光のごとく虚空に上がり*紫雲の中に隠れ給ひき。

 今、奈良の*菩提院の児観音これなり。この観音に*契りをかけて参詣し、功を積む人、ために利益して、正しく童子の身を現じ給ふ。しかるに近里・遠山の大衆集ひて法華大乗を書写せしかば、*内証の功徳をあらはし、忽ちに生身の体を現じおはす。三世の諸仏の*出世の本懐とし給ふは、今この大聖観自在尊の内証のご功徳なり。

 

(注)鳥は・・・=「鳥之将死 其鳴也哀 人之将死 其言也善(鳥の将に死なんとす

    るやその鳴くこと哀し 人の将に死なんとするやその言うこと善し)」(論語 

    泰伯篇)によるのだろうが、原典の意味は踏まえていない。

   三年三月=八月十八日に出会って三年後の春の暮(三月)だから三年六か月にな

    る計算だが。

   最愛=①たいそう愛する事。②男女または夫婦が互いに親しみ睦む事。②のニュ

    アンスか。

   衫=衣。単衣の衣。

   青花=ツユクサ。若々しいツユクサが散るのに老いた紅葉が知らん顔して残って

    いる、の意。

   本の雫末の露=人の寿命は長短はあっても死ぬことに変わりはないこと。「すゑ

    の露もとのしづくやよの中のをくれさくだつためしなるらん」(古今和歌六

    帖)

   法華経=仏教の主要経典の一つ。特に天台宗日蓮宗では尊重される。一部十巻

    二十八品六万九千三百八十四文字。一日で書写し終えるには何人必要だろう

    か。

   説法=仏の教えを説くことだが、儀式化された法要であろう。

   思ひのあまり=三十五日経ってから蓋を開けよという遺言を破ったことになる。

   栴檀沈香=「栴檀」は白檀とも。香木。釈迦入滅の時栴檀を焚いて荼毘に付した

    という。「沈香」も香木。

   蘭麝=蘭の花と麝香の香り。よい匂い。美しい女性が袖や衣にたきしめる芳香の

    描写に用いられる。蘭麝の香りの美少年から栴檀沈香の香りの観音へと変じた

    のである。

   青蓮の御眼・丹菓の唇・迦陵の声=仏の目・口・声の形容。

   人間=「じんかん」と読む。人の住む世界。現世。世間。

   有縁=仏や菩薩などに会いその教えを聞く機縁のあること。

   初瀬山=長谷寺のある初瀬にある山。尾臥山もその一つか。

   住み給へり=自敬表現。

   三十三応=観音が衆生救済のために三十三の身に変ずる事。童男はその一つ。

   契りを二世=夫婦の契りを交わすこと。上人と少人の関係を二世の契りと表現し

    ているのである。純粋な師弟関係でない所が室町稚児物語に通ずる。(稚児観

    音縁起は鎌倉末成立と考えられている。)

   九品の蓮台=極楽浄土にある蓮の台(うてな)。

   紫雲=紫色のめでたい雲。仏がこれに乗って現れたり死者を迎えに来たりすると

    いう。

   菩提院=興福寺の子院。菩提院大御堂。本尊は重要文化財阿弥陀如来坐像、脇

    侍として稚児観音立像も秘仏として安置されているという。

   内証の功徳=外用の功徳(相好・光明などの外見に現れる功徳)に対して、四

    智・三身などの内面に潜む功徳。

   出世の本懐=仏がこの世に現れた本意。真の目的。観音が衆生に信心によってこ

    の世に姿を現し救済するという功徳は、全ての仏が願っている本当の目的であ

    るというのだろう。