第十七章
かような折に、手を縛られた一人の老翁が牢に放り込まれた。異様な風体である。齢はとうに八十を超えているであろう。淡路の国で捕らえられたという。
翁はうろたえる様子も、嘆く素振りもない。
「わしは天空で酒を飲んでおったのじゃ。したら、雲の端を踏み外してのう。うっかり淡路に落ちたところを天狗めに攫もうてしもうたのじゃ。名前?好きなように呼んでくだされ。何でもいたしますぞ。虚空を駆けることなぞ誰にも引けを取りませんぞ。」
などと誰かれなく嘯く。
一両日ほどして、この翁、稚児と童が常に泣き悲しんでいるのを見て語りかける。
「袖が濡れておるのう。」
稚児も童も共に語る。
「私たちは、とある住み慣れたところを訳あって後にしたのですが、道行くところ親切に輿に乗せてくれたと思った山伏が実は天狗、この天狗道へと落ちてしまいました。
父母の悲しみ、師匠の嘆きを思いやるたびごとに、涙の落ちないときはなく、こんなに袖も濡れているのでございます。」
翁はえたり顔で、
「そういうことなら、わしに縋り付くがよい。いともたやすく都まで、お連れ申して見せましょうぞ。」
と言うや翁は若君の、袖を絞ると、白玉か何ぞと人が問うばかり、涙の露が滴る。
翁は、真珠のような涙の露を左の手に入れ、しばらく転がし丸めると、露の玉は、程なく鞠ほどの大きさとなる。これをまた二つに分けて、左右の掌に入れ、しばらく転がしていると、二つの露は次第に大きくなって、石牢の内は滔々たる大水になってしまう。
すると翁は忽然、電王と化して、電鼓地を動かし、電光天に閃めかす。その激烈さに、さしもの荒くれ天狗どもも、恐れわななき十方へと逃げ失せる。
竜神となった翁は石牢を蹴破り、稚児と童だけでなく、すべての道俗男女を雲に乗せて、京は大内裏の旧跡、神泉苑のほとりへ置いて去る。
(注)白玉か・・・=「伊勢物語・芥川」に、白玉か何ぞと人の問ひしとき露と答へて
消えなましものを、とある。露の雫を真珠と思ったという話。