religionsloveの日記

室町物語です。

不老不死①-異郷譚2ー

上 その一

 昔から今に至るまで素晴らしいことと語り伝えられているものとしては、かの不老不死の薬にまさるものはないでしょう。

 その昔、天竺では耆婆という人はこの薬を伝え聞いて、自らもこれを服して、生きながら天上に行って大仙人となったということです。この人は中天竺の王舎城の主、瓶沙王の妾腹(めかけばら)の皇子です。母は奈女とか申したそうです。この女性は父も母もいなく、スモモの木の根本より生まれ出たといわれる美しい姫君で、ある人が拾い取って養育しましたが、日に日に成長して、世に類ないほど美しく光輝くほどで、五天竺に並びなき美人としてその誉れは隠れないものだした。八か国の大王たちは皆噂を聞き及びなさって、「私の所へ参内せよ。」「あの方の元へ嫁ぎなさい。」と使者がひっきりなしに訪れます。女性はたった一人です。求婚なさる御方はそれに対して八か国の大王たちですから、養い親もどの方に献上しようとも、全く判断がつかないので、高い楼閣を作って、その上に奈女を上らせ住ませて申します。「八か国の大王いずれかを特別扱いしてその他の方を疎かにいたすことはできません。養女ははただ一人です。この上はどなたでも構いません、力比べでお取りください。」と。かくて八か国の大王は、軍隊を編成して、女が置かれている楼閣の元に押し寄せ、各々がこれを奪い取ろうとして、合戦に及んで、どの敵ということなく、互いに討ち合って戦うほどにその日もすっかり暮れてしまいました。

 さてその時、中天竺の瓶沙王は謀(はかりごと)を廻らし、夜になってひそかに楼閣の上に上がり、女を奪い取って、誰にも気づかれずに王舎城に帰ってしまいました。夜が明けて後、再び王たちは押し寄せて楼閣を仰ぎ見ましたが、かの女はどこに行ったか分かりません。八か国の兵どもは不本意ながらも、力を落として各々本国に帰りました。後に瓶沙王こそこの女を奪い取ったのだと、世間に知れ渡りましたが、今となっては仕方ないことと、諸国の大王たちも臍を噛む思いでした。また、一方では王舎城に押し寄せて合戦をしようという評定も行われたそうですが、女ゆえに合戦をして国を乱したそうだと後の世までも語り伝えられるのも口惜しいことだと、思いとどまりなさった大王もあったということです。さて、瓶沙大王は謀をもって女を盗み取って帰るなさい、この上なく寵愛なさって、ついに奈女は皇子を孕んでこの耆婆を産んだのです。

 耆婆は生まれる時に両の手に薬の袋を握って生まれたので、まことに奇特のことであるということで、西天竺の山中にいた彌婁乾陀という仙人の元に遣わして薬の道を習わせなさいましたが、たった九十日の間に悉く理解しました。城に帰ってますます精進努力をして、七表八裏九道の二十四脈に通達し、人の体の十四の動脈・十五絡の静脈、縦横の血管の筋を理解し、四百四十種の病の原因を知り、温涼補瀉の薬方を悟り、君臣佐使の薬方を悟って、人の病を療治すると、治癒しないことは全くありませんでした。

 ある時、耆婆が高い楼閣に上がって、市場の露店を見ていたところ、二十歳ばかりの男が柴を担いで売っていましたが、この男の身の内、十四経十五絡の血脈、三百六十の血管、九百分の筋肉、四十九重の皮膚、十二の骨の関節、三百六十の骨の節々、五臓六腑まで透きとおって、まるで水晶の玉を磨いて、ものを透かしたようでした。耆婆はこの姿を御覧になって、「確かそう大雪山の峰には薬王樹というものがあるそうだ。この木の枝を人に近寄せると、人の身の内は透きとおって、病気のある所ははっきりわかるという。しかしこの山は人の行けるような所ではないので、名のみは聞いても世間では持っている者はいないと彌婁乾陀仙人が語っていたが、この柴の中にきっと薬王樹があるのだろう。」と思い、この柴を買い取って束を解いて一本づつ人の身に当てたところ、その中に枝一つあまり見慣れない柴でしたが、この枝を当てて見ると、紛れもなく人の五臓が透きとおって見えたのです。この薬王樹を求め得てから、いよいよ療治するのに、掌を指すように的確にたやすくできたのでした。

 しかしこの人はまさしく大王の子ではありましたが、妾腹に生まれて王となすことはできないということで、后腹の皇子阿闍世太子が、御弟ではありますが春宮(皇太子)に即位なさり、耆婆は大臣の官位を下されて、領国を賜りましたが、間違いなく長兄なのに弟と取り違えれれて、即位できないことを恨んで、自分で不老不死の薬をなめて、生きながら忉利天へと雲を分入って上り天仙となったということです。

原文

 *昔が今に至るまでめでたき事に云ひ伝侍るは、かの不老不死の薬にまさる物はなし。

 その上、天竺には*耆婆と云ひける人こそ此の薬を伝へ知りて、自らこれを服しつつ、生きながら天上にありて大仙人となりにけれ。この人は中天竺王舎城の御主、瓶沙王の御ためには妾腹(てかけばら)の皇子なり。母をば奈女とかや名づく。此の女には父もなく母もなく、李の木の本より現れ出でたりける美しき姫なりければ、ある人これを拾ひ取りて養ひ育て侍りしに、日に添へて生ひ立ちつつ、世に類なく美しう光出るばかりに見えたり。*五天竺に並びなき美人の誉れ隠れもなし。八か国の大王たち各々聞き及び給ひて、「こなたへ参らせよ。」「あなたへ遣はせ。」とて御使ひ隙もなし。女はただ一人なり。求め給へる御方はまた八か国の大王たちなればいづ方へ奉らんとも、さらに思ひ分けざりければ、かの女を高き楼閣を作りて、その上に上せ置きて申すやう、「八か国の大王いづれを取り分きて疎かにし奉るべからず。女はただ一人なり。この上はいづ方なりとも力比べに取り給へ。」とぞ申しける。かかりしかば八か国の大王より、兵(つはもの)をもよほし、女を置きたる楼閣の元に押し寄せ、各々これを奪ひ取らむとするほどに、すでに戦(いくさ)に及びつつ、いづれを敵と云ふこともなく、互ひに討ち合ひ戦ふてその日もすでに暮れにけり。

 ここに瓶沙王謀(はかりごと)を廻らし、夜に入りてひそかに楼閣の上に上がり、女を取りて王舎城に帰り給ふにさらに知る人なし。夜明けて後、また楼閣の元に押し寄せて見るに、かの女行方なし。八か国の兵どもはほいなきことに思ひながら、力なく各々本国に帰りける。後に瓶沙王こそこの女をば取り給ひけれと、世に聞こえしかども、今は力なしとて諸国の大王たちも*残り多きことに思ひ給へリ。また、傍らには王舎城に押し寄せて軍(いくさ)せんと云ふ評定もありけれども、女ゆへにいくさして国を乱し侍りけりと後の世までも言ひ伝へむことも口惜しかるべしとて、とどまり給ふ大王もありけるとかや。さても瓶沙大王は謀を以つて女を取りて帰らせ給ひ、限りなく寵愛し給ひしに、終に皇子を孕みてこの耆婆を産み侍りけり。

(注)昔が今に・・・=室町物語の冒頭としては定型のものではないようだが、「蓬莱

    物語」とよく似ている。室町時代物語大成を見渡すと、類似した冒頭としては

    「文正草子」を見るだけである。三つを列挙してみる。

    (不)  昔が今に至るまで  めでたき事に云ひ伝侍るは  かの不老不死

      の薬にまさる物はなし。

    (蓬)  昔が今に至るまで  めでたき例に云ひ伝え侍る事 数々多きその

      中に、殊にすぐれて奇特なるは不老不死の薬とて、

    (文)(それ)昔が今に至るまで めでたき事を聞き伝ふるに  賎しき者の

        ことのほかになり出でて

    冒頭に用いられる例は少ないかもしれないが定型的な表現としてはあったかも

    しれない。ただ「蓬莱物語」と「不老不死」は何らか影響し合った可能性は高

    いだろう。

   耆婆=古代インドの医師。

   五天竺=古代インドを東西南北中に分けた総称。

   残り多き=残念である。名残多い。

 生まるる時に両の手に薬の袋を握りて生まれしかば、まことに奇特のことなりとて、西天竺の山中に*彌婁乾陀と云ふ仙人の元に遣はして薬を習はせ給ひけるに、ただ九十日のうちに悉く明らめたり。家に帰りてますます工夫を努めしかば、*七表八裏九道の二十四脈を通達し、*十四経十五絡の人の身の経絡、縦横の血筋を分かち四百四十種の病の元を知り、*温涼補瀉の薬を悟り、*君臣佐使の方を悟りて、人の病を療治するに、さらに癒えずといふことなし。

 ある時、耆婆高き楼閣に上がりて、市の店(たな)を見たりしに、二十ばかりの男

柴を担ふて売りけるが、この男の身の内、十四経十五絡、三百六十の血の道、九百分の肉叢(ししむら)、四十九重の皮の隔て、十二の骨の番(つがひ)、三百六十の骨の節々、五臓六腑透きとほりて、さながら水晶の玉を磨きて、ものを透かしたるがごとし。耆婆はこの由を見給ひて、「まことや大雪山の峰には薬王樹とてこれあり。この木の枝を人に差し寄すれば、人の身の内透きとほりて、病のある所かくれなし。されどもこの山は人の行くべき所ならねば、名のみ聞きて世には持ちたる者なしと仙人の語りしかば、この柴の中にこそ薬王樹はあらめ。」と思ひ、この柴を買ひ取りつつ束(つかね)を解きて一本づつ人の身に当てしかば、その中に枝一つさしも見慣れぬ柴なりけるが、この枝を当てて見れば、紛るる所なく人の五臓透きとほりて見えにけり。この薬王樹を求め得てより、いよいよ療治するに*掌(たなごころ)を指すがごとし。

 しかるにこの人はまさき大王の子なれども、妾(てかけ)腹にて生まれつつ王になるべきことならずとて、后腹の皇子阿闍世太子、御弟ながら春宮に立ち給ひ、耆婆は大臣の官をなされて、国を賜り侍りしかども、まさしき兄ながら御弟にも引き違へられて、位を踏まざる事を恨みて、自ら不老不死の薬をなめて、生きながら*忉利の雲に分け上り天仙となりにけり。

(注)彌婁乾陀=未確認。「にるけんだ」と読むか。「奈女耆婆経」などを追えば辿り着

    くか。

   七表八裏九道=七表・八裏・九道の脈。脈の種類。二十四脈ともいう。

   十四経十五絡=十四の動脈と十五の静脈。

   温涼補瀉=温めたり冷ましたり、体内に足りないものを補ったり不要なものを排

    出すること。薬の効用。

   君臣佐使=生薬をその役割によって四つに分類したもの。君薬・臣薬・佐薬・使

    薬。

   掌を指す=極めて明白で正確である。極めて容易である。

   忉利=忉利天。天上界のひとつ。