religionsloveの日記

室町物語です。

不老不死②-異郷譚2ー

上 その二

 また唐土の古代では、三皇五帝のその昔、神農と申した聖人がいらっしゃいました。天下を保ち国を治め民の病を憐れんで、草木の味わいを嘗め分けて、薬というものを始めて施しなさった方です。体を養い性を養い命を延べるために、上品・中品・下品・の薬の品を一年三百六十日にたとえて、三百六十種上中下合わせて一千八十種の薬を寒熱補瀉に分類して、本草経三巻を著述なさったのは素晴らしいことです。

 さてその後、軒猿黄帝と申す帝の時、天老・岐伯などという仙人が臣下となって政務を執り行いましたが、これに対して人の病気・身の養生・天地の廻り・薬の分類などを様々問答しなさいました。それを書き記して「素問内経」と名付けられました。黄帝は不老不死の薬を伝授され、鼎湖峰という所でこれを嘗めなさって、たちまちに天上の仙人となられました。その時天上から全長十丈ほどの大蛇が天下りして、黄帝はこれに乗りなさって、お供の臣下十余人伴って天上に上がりなさいました。

 山の上には数多くの仙人が隠れ住んでいましたが、人里の騒がしさを嫌って立ち現れることもなかったのですが、その中で秦越人扁鵲は薬の道を悟り、人の身の内を明らかにし、「八十一難経」を著して、名医の誉れ世に高くていましたが、不死の薬を服して仙境に隠れたということです。

 仙人の話は数多くありますが,、その中でも特に素晴らしいものと語り伝えられていますものとしては、淮南王劉安という方です。この人は智慧は博く学を極めた方で、命を延べる薬を求めて山の中に分け入って、黄精・伏兎などというもろもろの薬種を尋ねていました時に、八人の翁に行き会いました。この翁たちは岩の洞にすまいして、薬を練って服していて、老いた容貌は若やいで、十六七の童子の姿を保っていたのです。劉安はこれを見て、間違いなくこの八人の翁はこの山中に住む仙人であると思って、近く立ち寄って、さまざまな礼儀を正して、この薬の方術をお教えくださいとお願いすると、すぐさま懇切丁寧にこれを教えて八人の仙人は雲に乗って飛び去ったということです。劉安は教えのごとくにこの薬を練って、自らこれを服したところ、心もさっぱりし身も軽やか思われたので、試みに虚空に飛び上がると鳥のように軽く舞い上がります。そうして仙術を習得し、終には天上に上がったということです。その薬を練った銀の鍋、黄金の臼に残った薬を、犬や鶏が集まって喰らったところ、その犬も鶏も皆天上に飛び上がります。ですから「犬は天上に吠え鶏は雲間に鳴く」と「神仙伝」に書かれているような犬や鶏の習性はこれに由来するのです。

 また尸解仙と申す仙人は容貌が衰え寿命が迫ってくると、その体を地に臥せて後ろからまるで蝉が脱皮するように背中が裂けて若い童子となって出てくるのです。残った屍は透きとおって空蛻(ぬけがら)の殻のようでした。

 鉄械という仙人は常に鉄の鹿杖(かせづえ)に薬の袋を結び付けて担いでいたので、鉄の鹿杖と文字に書いて鉄械と名付けられました。薬を練って食とし、五穀を食べることはなかったそうです。山中を住家として心楽しく暮らしていました。その容貌が年齢を重ねて年衰えていくと、高い巌に腰をかけてかの鉄の鹿杖にすがって、虚空に向い大息を吹き出すと、その息が薄雲のようになって息の端に十五六ほどの童子の姿が現れ映って、元の体はもぬけの殻となったといいます。年積もり齢が傾くといつももぬけて若やいだので、間違いなく不老不死の方術といえるでしょう。

 その他に、東方朔・費長房・丁令威などという輩は、皆長生不死の道を悟ってその誉れは世に高いものでありました。

原文

 また唐土(もろこし)の古(いにしへ)は、三皇五帝のその上、*神農と申せし聖人ましましけり。天下を保ち国を治め民の病を憐れみて、草木の味はいを嘗め分けて、薬といふことを始めて施し給ひけり。体を養ひ性を養ひ命延ぶること、上中下の薬の品三百六十日にかたどりて、*三百六十種上中下合はせて一千八十種の薬に*寒熱補瀉を分かちて、本草経三巻を作り給ふぞありがたき。

 さてその後、軒猿黄帝と申す帝の時、*天老岐伯と云ふ仙人臣下となりて政を務めしが、これに対して人の病・身の養生・天地の廻り・薬分かちを様々問答し給ひけり。これを書き記して素問内経と名付けらる。黄帝既に不老不死の薬を伝はり、*鼎湖と云ふ所にしてこれを嘗め給ひしかば、忽ちに天上の仙人となり給ふ。すでに天上より臥長十丈ばかりの大蛇天下り侍りしかば、黄帝これに乗り給ひ、お供の臣下十余人同じく天上に上がり給へリ。*山の上には数多仙人も隠れ住みけれども、人里の騒がしきを嫌ひて立ち出づることもなきを、*秦越人扁鵲といふもの薬の道を悟り、人の身の内を明らめ分かちて、*八十一難経を作りて、名医の誉れ世に高く、不死の薬を服して仙境に隠れたり。

(注)神農=中国伝説上の帝王三皇の一人。医学薬学の祖とされる。

   寒熱補瀉=その一の「温涼補瀉」に同じ。

   三百六十種上中下合はせて一千八十種=ウィキペディアでは一年365日になぞ

    らえた薬を上品125種、中品120種、下品120種に分類したとある。本

    書では約三倍になるが、典拠があるのか。

   天老岐伯=岐伯は「黄帝内経」の「素問」で黄帝と対話する医師。天老も「黄帝

    外経」で岐伯と対話しているので古代の名医の一人であろう。

   鼎湖=鼎湖峰。浙江省にある黄帝ゆかりの山。

   山の上=文脈の上では鼎湖峰だが、話題が転換して一般的な山の意か。

   秦越人=戦国時代の名医。趙国にいたころは扁鵲と呼ばれた。

   八十一難経=「難経」とも。医学書。扁鵲が著者と伝えられている。

 中にもまた奇特のことに云ひ伝へ侍るは、*淮南王劉安と云ふ人は智慧博く学を極めて、命を延ぶる薬を求め山の中に分け入りつつ、*黄精・伏兎なんど云ふもろもろの薬種を尋ね侍りし所に、八人の翁に行き会ひたり。この翁岩の洞に立ち寄りつつ、薬を練りて服せしかば、忽ちに老いたる容貌若やぎて、十六七の童子の姿になりにけり。劉安これを見て、いかさまにもこの八人の翁はこの山中に住む仙人なりと思ひて、近く立ち寄り、さまざま礼儀を整へ、この薬の方術を教へ給へと望みしかば、すなはち懇ろにこれを教へて八人の仙人は雲に乗りて飛び去りけり。劉安は教へのごとくにこの薬を練りつつ、自らこれを服せしかば、心も潔く身も軽らかに覚えしかば、試みに虚空に飛び上がれば鳥のごとくに軽く上がる。漸く仙術を学び得て、終に天上に上がりけり。かの薬を練りたりける銀(しろかね)の鍋、黄金の臼に残りたりし薬を、犬・鶏集まり喰らひしかば、その犬も鶏も皆天上に飛び上がる。さればこそ*犬は天上に吠え鶏は雲間に鳴くといへるはこの事なり。

 また*尸解仙と申せし仙人は容貌衰へ齢約(つづ)まれば、その屍(かばね)地に臥せりて後ろより若き童子となりて、蝉のもぬけて出るごとくに背中裂けてもぬけ出でたり。残る屍は透きとほりて空蛻(ぬけがら)の殻のごとくなり。

 *鉄械といふ仙人は常に鉄(くろかね)の鹿杖(かせづえ)に薬の袋を結び付けてこれを担ふて行きければ、鉄の鹿杖と文字に書きて鉄械とは名付けたる。薬を練りて食とし、五穀を喰らふことなし。山中を住家として心を楽しみ侍り。その容貌年積もりて齢漸う衰ふれば、高き巌に腰をかけてかの鉄の鹿杖にすがりて、虚空に向かつて大息を吹き出だせば、その息薄雲のごとくして息の端に十五六なる童子の形現れ移りて、後なる形はもぬけの殻となりにけり。年積もり齢傾けばいつももぬけて若やぎしかば、不老不死の方術まことに偽りなかりけり。

 その他に、*東方朔・費長房・丁令威なんどいふ輩、皆長生不死の道を悟り名誉の誉れ世に高し。

(注)淮南王劉安=漢の高祖の孫。「淮南子」の編者。

   黄精・伏兎=薬草、生薬。

   犬は天上に吠え鶏は雲間に鳴く=「神仙伝」に見える故事。

   尸解仙=レベルの低い仙人のようである。

   鉄械=李鉄拐のことか。仙人。

   東方朔・費長房・丁令威=いずれも仙人。