religionsloveの日記

室町物語です。

稚児観音縁起②ー稚児物語1ー

その2

 十三四歳ほどの紫の小袖に白い練貫の衣を重ね着して朽葉染の袴をはいた少年が優美なたたずまいで立っていた。月の光に照らされたその容貌は実に美しく、竹の簪を挿して元結で束ねて後ろ髪を長く垂らし、漢竹の横笛をゾクッとするほど魅力的に吹き鳴らしている。居待ち月の明け方の露に濡れそぼっているその姿は、春の柳が風に乱れている様子よりもなお嫋やかに見るのであった。

 この上人はこれを見て、「魔物が変じたのだろうか。とてもうつつの事とは思われない。」と思ったが、それでも近寄って少年に語りかけた。

 「もしお若き方よ、まだ夜も深くてございますのに、このような山野にたった一人佇んでおられるとは尋常ではなく思われます。そなたはどのような方でいらっしゃいますか。」

 すると少年は答えて、

 「私は、東大寺の辺りでとある院家にお仕えしていた者ですが、ここのところ少々師匠をお恨み申し上げることがあり、夜更けのうちに足に任せて寺を飛び出したのでございます。さて、あなた様はどこぞにお住まいの方でしょうか。僧徒の情というものはしかるべき事でございましょう。ああどうか私をお連れくださって、中童子としてでもよろしいから召し使ってはくださいませぬか。お願いいたします。」

 と申すので、この僧は喜んで言った。

 「そなたにもきっと深い子細があるのでしょう。細かい事情は今は聞かない事にしましょう。このまま私についてきなさい。」

 と自分の宿坊へ連れて行ったのである。

 上人は、一方ならず喜んでこの稚児を召し使い、日々を過ごしていたが、不思議にも稚児を捜し訪ねてくる者は誰もいなかった。この少年の振る舞いはことごとく上人の心にかなうばかりでなく、詩歌管弦にも並ぶ者ないほど優れていた。これはまさに観音様の御利益であろうと喜ぶうちに年月は流れていった。ところが三年が過ぎた春の暮、俄かにこの稚児が病に冒され苦しみだした。身体は日々に衰え、もはや万が一にも助かりそうもないほどに重篤となった。この稚児は上人の膝を枕として、手に手を取り合って、顔に顔を近づけ今生の別れを惜しみ合う。稚児の遺言はまことに切ないものであった。

 「ああこの三年というもの、お上人様のお部屋に満ちるほどのご慈悲の内に日々を暮らし、褥に溢れるほどのご加護の下で夜々明かし、朝夕に慈しみの教えを受けたことは、いずこに生まれ変わっても忘れる事はないでしょう。 老いも若きも命に定めはないというのが世の習いとは言いましても、もし私が生きながらえてお上人が先立たれましたならば、後々のご供養をも生きている限りはいたしたいと存じておりました。その思いも空しく違えて、先立ち申し上げる事は悲しい限りです。『師弟は三世の契り』と申します。後の世でもまた師弟としてお逢いいたしましょう。

 もしも、我が身が息絶え魂が去ってしまっても、墓所に埋葬しないでください。野辺で火葬の煙ともしないでください。そのまま棺の内に収めて、持仏堂に安置して五七日の法要が過ぎてから蓋を開けてご覧になってください。」

 と言ひも終わらず息絶えてしまった。その魂は彼方へと立ち去りて空しく墓原の露と消えなさったのである。

原文

 十三四計りなる少人の月の貌(かんばせ)まことに厳(いつくし)く、*紫の小袖に*白練貫を折り重ねて、*朽葉染の袴の優なるに、*漢竹の横笛心すごく吹き鳴らし、竹なる*簪(かんざし)し、*元結おしすべらかして、頃は*八月十八日の曙方に、露にしほれたる気色に見えて、春の柳の風に乱れたるよりもなほ嫋(たを)やかに見給へり。

 かの上人これを見て、「さらに現とも覚えず。*魔縁の変ずるか。」と思ひけれども近く立ち寄りて少人に問ひ奉るやう、

 「抑も未だ夜の深く候ふに、かかる山野にただ一人佇みおはする御事、ただ事ならず覚え候ふ。いかなる人にておはし候ふぞ。」

 と申すに、少人答へていはく、

 「童はこれ、*東大寺の辺りに候ひしが、聊(いささ)かこの程、師匠を恨み奉りて、*夜をこめて足に任せて罷り出でて候ふなり。抑も君は何(いか)なる所におはし候ふぞ。かつは僧徒の情はさる事にてこそ候へ。あはれ具し連れおはして、*中童子にも召し仕はせ候へかし。頼み奉らばや。」

 と申されければ、かの僧悦びて申すやう、

 「さだめて子細おはすらむ。是非の子細をば暫く閣(おき)て、やがてお供申すべし。」

 とて我が宿坊へ相具して下向しけり。

 僧、なのめならず悦びて明かし暮らしけれども、かの少人行方を尋ぬる人もなし。上人心に違ふ事さらに侍らず。詩歌管弦にも並びなし。偏に観音の利生とのみ悦びて年月を送りけるほどに、三年と申す春の暮に、俄かにかの少人、*病悩を受けおはしけり。*四大日々に衰へて*万死一生になりし時、かの少人上人の膝を枕にし、手に手を取り組み、顔を顔に合はせて互ひに別れを惜しみ給ひけるに、遺言実に哀れに覚ゆ。

 「抑もこの三年がほど、慈悲の室の内に日を暮らし、*忍辱(にんにく)のふすまの下に夜を明かし、朝夕に慈訓を受けし事*何の生にか忘れむ。  設(たと)ひ老少不定の習ひなりとも、我が身ながらへて御身先立ち給はば、設ひ後の御孝養をも、我が身生きて申さばや、とこそ思ひ候ひつれ。思ひ空しく相違して、先立ち奉る事のみこそ悲しけれ。『*師匠は三世の契り』と申せば、後世にはまた逢ひ奉らむ。

 抑も、我が身息絶え魂去りなば、*竜門の土にも埋まず、野外の煙ともなさずして、棺の内に収めて、*持仏堂に置きて*五七日を過ぎて開けて見るべし。」

 と言ひも果てず息絶えぬ。魂去りて空しく*北芒の露と消え給へり。

(注)紫の小袖=小袖は下着。内着。「紫の袖」は立派な服装の意にも用いられる。

   白練貫=白く光沢のある絹の衣。

   朽葉色=赤みを帯びた黄色。

   漢竹=中国渡来の竹。笛に作り珍重した。

   心すごく=もの寂しく。またはぞっとするほど美しく。

   簪し=簪を挿す。

   元結おしすべらかして=垂髪にする。髪を後ろで束ねて背中に長く垂らす。

   八月十八日=中秋の名月の三日後。居待ち月ともいう。居待ち月は明るい月と認

    識される。

   魔縁=悪魔。魔王。

   東大寺=奈良にある華厳宗の寺。法相宗興福寺は近い。

   夜をこめて=まだ夜が明けない間に~する。

   中童子=寺院に仕える童形の少年。稚児(上童)が貴族・武家の出自で学問修行

    のために養育されるのに対して、給仕・雑役に従事する者として扱われる。

    「中童子にも」という表現には、本来は稚児の身分ではあるが、中童子として

    でもいいから、というニュアンスがある。

   病悩=病気による苦しみ。

   四大=地・水・火・風からなる身体。

   万死一生=①ほとんど助かるとは思えない状態。②またそれから脱する事。ここ

    では①。

   忍辱のふすま=忍辱は屈辱に耐え安らぎの心を持つこと。「忍辱の袈裟(ころ

    も)」は忍辱の心があらゆる外障から身を守る事をいう。ここでは上人が少人

    に、昼は慈悲の心を注ぎ、夜は忍辱の心で守ってくれた、という譬喩表現。

    「ふすま」は同衾(床を共にする事)を連想させる。

   何の生=どこに生まれ変わっても。

   師匠は三世の契り=師弟は三世の契りという。師弟関係は前世でも来世でも変わ

    らないという事。「主従は三世の契り」という言葉もある。ちなみに夫婦は二

    世の契り、結婚披露宴のスピーチで使われる。親子は一世の契り。

   竜門の土=白居易の「題故元少伊集詩」に「竜門原上土 埋骨不埋名(竜門原上

    の土、骨を埋むとも名を埋めず)」とある。これが名を後世に残す、の意の慣

    用句になった。ここでは土葬をしないでほしいとの意。

   持仏堂=持仏または祖先の位牌を安置しておく堂、あるいは部屋。仏間。

   五七日=三十五日。死後七日ごとに行う供養の五回目の日。死者の霊は七七(四

    十九)日中有にとどまってからあの世に行くという。

   北芒=洛陽市東北にある邙山。多くの王侯貴族が葬られた墓地。転じて墓地一般

    をさす。