序文 その1
およそ男色の道の長い歴史を繙くと、西域(天竺)・中華・本朝に至るまで盛んに行われていたいたようである。
仏陀の説くところでは、糞門を犯し、口門を犯すことは邪な行為として、男色を非道と名付け、功徳円満経には末世の比丘は小児を愛する罪によって五百世の間悪趣(地獄・餓鬼・畜生道)に転生し続けるとの仏の戒めが書いてある。
しかし、難陀は花のごとく端麗で、文珠は月に似て怜悧であった。阿難は美しい侍者で、世尊も寵愛しなさった。摩登伽女が呪術で籠絡しようとしたという言い伝えもまことであろうか、誰もが美男に心魅かれることは理(ことわり)だと思われる。
提婆達多は幼な子に変化(へんげ)して阿闍世太子に取り入って、膝に乗っては接吻しては抱きつき、太子を弄んで虜にし、唆して太子の父王頻婆娑羅を殺させということである。
さて、中華では、東周春秋の宋に宋朝という公子が容貌の麗しさによって世の難を免れたという。
老成した有徳の者もこの道に迷うといい、「男色は老いを破る(男色は老成したものをも乱れさせる)」と戦国策にも見える。
であるから、剛毅勇猛であった漢の高祖劉邦も籍孺という少年に惑わされて政事を顧みず、二代恵帝は婉媚な閎孺を愛して常に起臥を共にした。男が宝石をちりばめた帯を佩き、白粉を粧うになったのもこの籍孺・閎孺の時に起こった風習であった。五代文帝は黄頭郎(船頭)であった鄧通の衣の裾が浮いて美しい尻が見えたのがきっかけで寵愛に及び、慈しむにいとまなかったという。
その昔、弄児(慰み者の稚児)と呼ばれた金日磾の二人の子、金賞と金建は天子八代昭帝の首にまたがって遊んだ。韓嫣、李延年も七代武帝の寵愛を受けて天下に時めいた。何平叔の汗は白粉よりも白く肌は透きとおるようで、美男子潘安仁が車で出かけると、彼を愛する者(女性?男性?)たちが投げ込む果物で車はいっぱいになったという。この衆道は世世を経ても絶えることはないのである。
詩人でも、韓昌黎(韓愈)は「酔留東野」という詩で、「我願身為雲 東野変為竜」と親友に栄あるを願い、蘇東坡が恋慕して追いかけた美少年李節推は風水洞で東坡を待ち、黄余章(黄庭堅)は「次韻答邢惇夫」という詩で「邢子好少年 如世有源水」と邢惇夫(邢居実)をほめたたえた、というようにこの道の例は枚挙にいとまない。
原文
およそ*この道の久しき故を見れば、*西域・中華・本朝まで、盛りに行はれける。
*浮屠氏の説には、糞門を犯し、口門を犯すは、邪なるによりて*非道と名付け、*功徳円満経には、「末世の比丘の小児を愛るる罪によりて、五百生の間*悪趣に生まる」と仏の戒めあれど、*難陀は花の如く、*文珠は月に似たり。*阿難は美しき侍者にて世尊も愛し給ふ。*摩登伽女が呪(まじな)ひ落とさんとせしもまことにや、理(ことわり)にぞ覚ゆる。*提婆達多が嬰児の時、阿闍世太子の膝に上り、口吸ひ抱きて、玩び給ひし事侍るめり。
さて周の時には、*宋朝といへる男、容貌麗しきにより世の難を免れ侍り。年寄りたる人もこの道に迷ふによりて、「男色は老いを破る」と*戦国の文にも見えぬ。されば*漢祖の猛かりしも*籍孺に惑ひて政事をきかず、*恵帝は*宏孺が婉媚を愛して常に起臥し給ふ。男の宝の帯をし、粉をつくることもこの時より起こりける。*文帝は*黄頭郎が衣の浮けて、尻の美しきを見て、幸ひ給ふこと暇なかりき。
そのかみ、弄児と呼ばれし*金日磾が子は、天子の首にまたがり*韓嫣、李延年は天下にときめきあへり。*何平叔が汗は粉よりも白く、*潘安仁が車には菓を満ち載せたり。この道世々を経て終に絶ゆることなし。*昌黎、東野は雲となり、竜とならむと願ひ、*李節推は風水洞にて東坡を待ち、*邢敦夫は源ある水のごとしと*餘章にほめらる。
(注)注は電子辞書・インターネット由来のものは出典を示していないものが多い。検索で見出すのが難しいものは出典を記した。
この道=男色。衆道。
西域=中国にとって西側の地域。広義にインドも含む。
非道=男色の別称。美道とも。
功徳円満経=不明。國學院大學蔵の「南都興福寺文書等」の応永年間の消息文に
「功徳円満経」の文言が見える。
悪趣=この世で悪いことをした者が死語に赴く世界。地獄道・餓鬼道・畜生道。
難陀=釈迦の異母弟で、弟子でもある。容姿端麗という。
文珠=釈迦の脇侍を普賢とともに務める菩薩。
阿難=釈迦のいとこで十大弟子の一人。多年にわたって釈迦に近侍した。
摩登伽女=「楞厳経」に登場する女性。美貌の阿難を呪術で誘惑したという。芥
川龍之介「俊寛」に引かれる。二十世紀前半、京劇で摩登伽女の話が上演され
たらしい。「摩登伽経」という経典も存在するらしい。
提婆達多=釈迦のいとこで、釈迦が悟りを開いて以後弟子となったが、のち離反
し、阿闍世王子を唆して父王を殺させ王位につかせ、自らはブッダ殺害を企て
たという。釈徹宗氏の「『観寿無量経』をひらく」(NHK出版)によると
「根本説一切有部毘奈耶破僧事」という仏典では提婆達多が幼い子供に化けて
阿闍世に取り入って魅了し、自分のコントロール下に置いたという。
宋朝=春秋時代、宋の公子。美貌によって妃に愛され難を逃れたという。「論語
雍也第六」に「宋朝の美」とある。
戦国の文=「戦国策」(前漢劉向)。「男色老いを破り、女色舌を破る。(男色
は老成した人をも邪道にふみこませ、女色は善人の忠告も曲解させる)」(故
事・俗信 ことわざ大辞典)。
漢祖・恵帝・文帝=前漢の初代・二代・五代皇帝。
籍孺・宏孺=それぞれ高祖・恵帝の寵童。宏孺は「閎孺」。
黄頭郎=鄧通。もと黄頭郎(水夫・船頭)であったが文帝の夢に衣服の尻に綻び
がある鄧通を見て、水夫の中から発見して寵愛したという。「漢書佞幸伝」に
詳しい。
金日磾が子=漢八代昭帝の折、車騎将軍金日磾に金賞・金建がおり、寵が厚かっ
たという。
韓嫣、李延年=いずれも漢七代武帝の寵が厚かった。
何平叔=何晏。魏の曹操の養子。ナルシストで色白だったという。
潘安仁=潘岳。西晋の文人。稀有な美貌の持ち主で、車で出かけると、女性たち
が果物を投げ込み、車がいっぱいになったという。
昌黎、東野=昌黎は韓愈。故郷の地名によって韓昌黎とも呼ばれる。東野は孟東
野。中東の詩人。本文の表現は韓愈の「酔留東野」という詩に拠っている。
李節推=蘇東坡が李節推という美少年に惚れて風水洞という所まで追いかける話
が「四河入海」にあるという。「四河入海」は室町後期の蘇軾(東坡)詩の注
釈書。先行する注釈書もあるのでどれに拠るかは分からない。
邢敦夫=邢惇夫の誤り。邢居実、字は惇夫。宋の人、蘇軾・黄庭堅等と従遊すと
「大漢和」にある。
餘章=黄庭堅。黄余章は異名。北宋の詩人。蘇東坡とともに「蘇・黄」と併称さ
れ、日本では室町時代五山の僧に愛読されたという。「次韻答邢惇夫」という
五言詩の、9,10句目に、「邢子好少年 如世有源水」とある。