religionsloveの日記

室町物語です。

かくれ里(劉阮天台)-異郷譚3ー

 「異郷譚」の三番目に取り上げるのは「かくれ里」(赤城文庫蔵)です。「室町物語大成」によれば、寛文か延宝ごろ(17世紀後半)の絵巻だそうです。題を欠いているため仮に「かくれ里」とつけたようですが、内容は「劉阮天台」呼ばれ画題にも採られているものですのでそれを副題に付けました。

 「幽明録」に「天台二女」という題で収められていて、高校の漢文の教科書にも採られています。また、日本では鎌倉初期の源光行の「蒙求和歌」に末尾に「ふるさとはありしにもあらず来し方に又かへるべき道はわすれぬ」という和歌を添えて載っています。叙述はこの二書より詳しいです。狩野派の手による絵巻らしいので絵に添えて文章も潤色したのかもしれません。でも前の紹介した「蓬莱物語」「不老不死」ほどは衒学的でないのは絵の邪魔にならない配慮でしょうか。主人公の劉晨と阮肇が「りうしん」「けんてう」とひらがなで書かれていたので出典を捜すのにやや手間取りましたが、インターネットは調べ物には非常に有効だと実感しました。何回か検索したらヒットしました。

 割と有名な話なので紹介するまでもないのかもしれません。まあとりあえずお付き合いください。

 

 唐土天台山に隠れ里がありました。世間ではこれを知ることはありませんでした。

 ところが後漢の明帝の御時、永平十五年壬申(みずのえさる)の年(後72)に、剡県の劉晨・阮肇という者は天台山に霊薬があるという事に聞き及んて、二人は相伴ってその山に分け登ったということです。その天台山という山は台州という国の天台県の北にあって、数百丈の滝の流れがあって、険しく厳めしい山でした。

 この二人は山に分け入って、ここかしこに薬を尋ね求めて、やがて日も暮れてしまおうとするので、自分の里に帰ろうと思って、麓の道に下ろうとしたのですが、忽然として自分の来た道を見失って、どう行ったらいいかわからなくなりました。どうしようかとあちらこちら彷徨っているうちに、二人とも疲れて目はくらみ気も失うようで、歩みももたどたどく、路傍に腰をかけて休みました。そしてそのあたりを見回しますと桃の木があります。桃がたわわに実っています。二人が大いに喜んでこの桃を取って食しますと、疲れもとれて身も爽やかなりました。

 さて、それから山を下ると、谷川に着きました。そこで川に下り流れに浸かり、水を飲んだり手足を洗ったりしていますと、川上の山間から菜っ葉が水に浮かんで流れてきました。怪しく思っているとふところ今度は胡麻飯ののついたお椀が流れてきました。二人は、「ここは人里近い所なのだろう。それならばこの川を渡っての山に上ってみよう。」と語り合って早速川を渡ったのですが、水の深さ四尺余りで、二人手を取りあって向かいの岸に上がって見やると、人里があると見えて煙がむらむらと立ちのぼっています。「きっとあそこはぞ人の住む所に違いない。」と喜び急いで下ると、再び谷のみぎわに出ました。

 その谷の傍らに美しい女子が二人います。見目形は実に優美で類ない粧いです。二人の前に立って向かって言うには、「もしもし劉晨・阮肇殿、あなたたちがここにおいでなさることはあらかじめ承知していたので、ここまで御迎えに参っていたのですよ。どうしてこんなに遅くなったのですか。お急ぎなさいませ。我が宿にご一緒に参りましょう。」と。二人はこれを聞いて大いに驚き、不思議に思いました。「どこともわからない山中を迷い歩いて心もとない時に、このように細やかなお言葉をかけてくださるとは、夢ともうつつともわかり難いことです。」と申し上げますと、女子は、「何をお疑いなさるのですか。あなたがたとは前世から契りを深く結んだ仲ですので、今このようにあなたがたはいらっしゃったのですよ。夢などとは思いなさるな。」と言って二人を一緒に伴って宿所へ帰ったのでした。

 劉晨・阮肇が案内された場所に着いて女子たちの住家を見申し上げますと、想像も表現もできない程の素晴らしさです。白金(しろがね=銀)の築地の内に七宝の宮殿が立ち並び、三方に黄金の門が開かれています。庭には宝石の砂を敷き散らし、天井には錦の帳を懸け並べて、七宝の瓔珞が春風に翻る有様は、まことに帝釈天の喜見城の厳かな飾りつけはこのようなものだろうかと思うほどです。

 さて、宮殿の内に入ってみると玉の石畳を敷物のように敷き詰めています。劉晨・阮肇の二人をこの床の上に招いて上らせて座らせ、女子も同じように向か合って座に居ずまいを正します。青衣を着た召使いの童女が珍しい料理が並べられた膳を捧げ持って来て四人の前に供えます。これを見るとに山海の珍しい物を揃えてさもざまな味付けで調理したもので、目にも耳にもしたことのない飲食です。やがて食事がすんで、黄金の盃が運ばれてきました。次に白金の銚子が出てきてこれを二人に勧めます。飲んでみるとその味わいは、世の常の酒とは全く違います。これは天の甘露というものでしょう。この酒を飲むやいなや、心は澄み透り晴れやかになって、身も軽やかに思われました。お仕えするものは、みなみな女子や男子の中でも比類ない者と見えます。その男女の見目形が美しく、きらびやかなことは、天女の姿もこのようなものなのでしょうか。

 さて、夜に入ると今度は種々の珍しい果実を提供して和ませてくれます。この宴の席に玉の簪を挿した女房たちが十人ほど入って来なさって、このようにおいでなさったことを言祝いで、桃を三つか五つ差し上げなさいました。これは世の常の桃ではありません、三千年に一度花が咲き実の成る崑崙山の桃の種からとれたものです。二人はこれを賞玩します。主人の女子はそこで次の様に語りました。「ただ今おいでになった女房たちはこの辺りに門を並べてお住みになっている人々です。あなたがたが思いがけずここにおいでなさったのをお祝いしていらっしゃったのです。」。劉晨・阮肇は喜んで礼儀正しく言葉を尽くしてお礼を言いました。そして女房たちにも酒を勧めなさいます。あなたこなたと盃が回され、酒宴は延々と続き人々は興に乗じて楽しみなさいました。

 二人の女主人は、琵琶・琴を取り出してお客様である女房たちの前に置きなさいます。女房たちは瑠璃の宝石をちりばめて飾った(瑠璃の宝石のように美しい)御手で弾きなさいます。その音声の妙なることは、まことにたとえようもございません。その音色に驚いて、鳳凰も舞い下り竜神も浮かび上がるほどです。やがて管絃の宴も果てたので客人の女房たちは暇乞いをして帰りなさいます。主の二女は劉晨・阮肇を誘って夜の臥所(ふしど)に入りなさいます。比翼連理の語らひである男女の契りは浅からず、明かし暮らしているうちに、十五日ほど過ぎると、劉晨と阮肇には故郷に帰りたいと思う心がもたげてきました。二女はこれを悟って様々に慰めもてなして、楽しみで万事を紛らわして月日を送りました。その所の景色はいつも春三月の天候のようです。野山は花盛りです。また木の実のなっている木もあります。草はみな五穀の類の稔るものばかりです。何百匹の鳥が木々の梢で囀り、もの寂しいなどということは全くありません。

 このようにして半年ほど過ぎた時、劉晨・阮肇が二女に、「われらが故郷を出た時はただちょっと山に入って薬を取ろうと思ってここまでやってきたのです。このようなの所に来てこんな楽しみを受けようとは、夢うつつにも思いも寄りませんでした。ですからいつまでもこうしてはいられません。ここにいるのはじつに喜ばしいことですが故郷も恋しゅうございますので、今は一度帰って老いた母、幼い子供などに逢ってよくよく暇乞いして、その後また参りましょう。」と申し出たので、二女はこの由をお聞き入れなさって、「確かにあなたがたの仰せになるように故郷を恋しく思われるのも気の毒に感じます。一旦お帰りなさって父母をも拝み、妻子にも会ってその後にまたおいでなさい。お待ちいたしましょう。」と言って暇乞いの宴をして送り出しました。

 童女を招いて、「あの人々を大唐国に送り届けよ。」と申されたので、承知しましたと申して童女は劉晨・阮肇を導いて山の洞を出て谷に下り、それから多くの山を越して麓に下ると大きな道に着きました。ここで童女は、「これより東に向かって三里ほど行きなされば人が大勢行き交う道に出なさるでしょう。」と教えつつ暇乞いをして帰りました。劉晨・阮肇はそが教えのとおりに東を差して歩みますと、人里が近いと見えて煙がかすかに立ち上る様子です。たしかに人里に近づいているようだと思って進んでいくと、人が大勢行き交う道に出て、剡県へ行くべき方角を尋ねて、終に故郷へ帰り着きました。

 さて、剡県の里に着いてみるとかつてあった住家も見えず、家があったと思われる所は田や畑などになっていて、どこを見てもかつて見たような所はありませんでした。まして顔見知りの人などいません。これはどうしたことかと不思議に思ってある家に立ち入って、「この里に劉晨・阮肇という者の妻子がいたと思うのですがどうなったのでしょうか。」と尋ねますと、主はそれを聞いて、「そのような人の名は聞いたことはございません。」と答えます。ここかしこの家々に立ち入りしかじかの事情を語って問いますと、ある家の主がこの由を聞いて、「たしかに世間の語り草としてそのようなことを伝え聞いております。昔漢の時代に劉晨・阮肇という人が、天台山に薬を取りに入って終に帰らなかったと。今教える方がその人の七世の孫です。」と言って劉し(劉氏?劉子?)の家を教えました。二人がそこを訪ねて対面すると劉しは年八十ほどの翁でした。しかじかと事情を語ると、その翁は、「その人々のことは既に二百年昔の事です。何故に今になってお訪ねなさるのですか。」と言うので、劉晨・阮肇、なんともこの者は不思議な事を言うのだろうと思いました。詳しく説明しようと思って二人は答えました。「我らはなんとその古の劉晨・阮肇という者です。かの山の中に住暮らしていたのはわずか半年ばかりのほどと思っていましたが、このように星霜年久しく積もっていたとはあきれたことです。今は父母にお会い申し上げることも、妻子を見ることも、この世ではかなわないことなのですね。」と言って嘆き悲しむと、主はこれを聞いて、「それでは我らのご先祖さまでいらっしゃいますか。昔我らが先祖にそのような事があったと親・祖父(おほぢ)が語り伝えなさっていましたが、名をのみ承っていましたのに、今まさしく御姿を見させたいただくとは不思議なことです。」と言って涙を流したということです。

 さて、里の人々はこれを聞いて不思議の事であるということで、家々からり老いも若きもこぞって集まって二人を見物し、みな不思議がりました。かくて劉晨・阮肇は暫くここに暮らしていたのですが、見知らぬ世界に伴侶・家族もいないので、何かにつけて心細く思われ、再びかの二女のもとを訪ねて天台山に入ったということです。晋の大康八年、丁未(ひのとひつじ)の年(後287)に、劉晨・阮肇は隠れ里に入って行方知れずとなりました。

原文

 唐土天台山に隠れ里ありけり。世にこれを知ることなかりき。

 しかるに後漢の*明帝の御時、永平十五年壬申(みずのえさる)の年、剡県の劉晨・阮肇と云ふ者天台山に*よき薬のありと云ふ事を聞き及びて、二人相伴ひかの山に分け登りけり。かの天台山と云ふ山は台州と云ふ国の天台県より北にあり、数百丈の滝の流れあり、険しく厳めしき山なりけり。

 かの二人山に分け入り、ここかしこにて薬を尋ね求めて、*やうやう日も暮れなんとするほどに、わがふるさとに帰らんと思ひて、麓の道に下りしが、たちまちに元来し道を失ひて、行くべき方も弁へず。いかがせんとてかなたこなたを巡り惑ふほどに、二人ともに疲れに臨みて目暮れ心消え、歩むもたどたどしかりければ、傍らなる橋(端?)に腰をかけて休み居たり。またそのあたりを見れば*桃の木あり。桃盛りに成れり。大きに喜びてこの桃を取りて食しければ、疲れも助かりて身も涼やかになりにけり。

 さてそれより下るほどに、谷川にぞ着きにける。すなはち川に下り浸り、水を飲み足手を洗ひなどして立ち居たるに、その川上は山間なるが*菜の葉水に浮かみて流れ出でたり。怪しく思ふところに胡麻飯のつける杯流れ来たれり。その時二人相語りていはく、「このところは里近き辺りなるべし。さらばこの川を渡りて向かひの山に上るべし。」とてすなはち川を渡るに、水の深さ四尺余りなりければ、二人手を取り組みて向かひの岸に上がりて見れば、人里ありと見えて煙むらむらと立ちのぼる。「さてはここぞ人の住む所なるべし。」と喜びて急ぎ下るほどに、また谷のみぎりに出でにけり。

 その谷の傍らに美しき女子二人あり。見目形世に優れ類なき粧ひなり。二人の前に立ち向かふていふやう、*「いかにや劉晨・阮肇汝たちここに来たり給ふことを、かねてよく知りぬる上に、ここまで御迎へに参りぬ。何ぞや来たり給ふことの遅かりしぞ。急がせ給へ。我が宿に伴ひ行き侍らん。」と云ひければ、二人の人々これを聞きて大きに驚き、怪しく思ひけり。「そことも知らぬ山中を惑ひありきて覚束なき折節に、かく細やかにのたまふこそ夢うつつとも弁へ難けれ。」と申しければ、女子の曰く、「何をか疑ひ給ふ。御身たちと先の世より契り深く結びし故にただ今ここに来たり給へリ。夢と*な思ひ給ふそ。」とて二人ともに相伴ひつつ宿所へぞ帰りける。

 劉晨・阮肇かしこに到りて女子の住家を見奉るに、心も言葉も及ばれず。白金の築地の内に七宝の宮殿を立て並べ、三方に黄金の門を開きたり。庭には玉の砂子を敷き散らし、天井には錦の帳を懸け並べ、七宝の*瓔珞春風に翻る有様、まことに*帝釈喜見城の荘厳もかくやと思ふばかりなり。

 さて、宮殿の内に入りて見れば玉の石畳の褥を延べたり。劉晨・阮肇二人をこの床の上に招き上せて座せしめ、女子も同じく相向かふ座に居直りけり。*青衣の童女*珍膳を捧げ来たつて四人の前に供へたり。これを見るに山海の珍物を揃へて百味の調したれば、未だ目にも見ず耳にも聞かざる所の飲食(おんじき)なり。食やうやくすんで後、黄金の盃もて来たれり。次に白金の銚子もて出でてこれを勧む。飲みてみるにその味はひ、世の常の酒にはあらず。これは天の甘露といふものなるべし。この酒を飲みしよりも、心澄み透り晴れやかにして、身軽らかに覚えけり。宮仕えするものはみなみな女子や男子の類なきところと見えたり。その男女の見目形美しく、きらやかなること、天女の姿もかくやらん。

(注)明帝=後漢第二代の皇帝。永平十五年は、後72年。

   よき薬=「幽明録」では「谷皮」とある。

   やうやう日も暮れなん=一日の出来事であろう。「幽明録」では13日彷徨った

    とある。

   桃の木=桃は霊性を感じさせる。また「桃花源記」をも連想させる。

   菜の葉=「幽明録」では「蕪菁」とある。

   「いかにや・・・=「幽明録」では劉・阮がお椀を手に持っているのを見て女た

    ちは笑ったとある。わざとお椀や蕪を流して劉・阮が来るように誘ったという

    ことだろう。来るのが遅いのをなじるのはそのせいである。

   な思ひ給ふそ=「な思ひ給ひそ」であるべきところ。禁止の意。

   瓔珞=天蓋にぶらさげる装飾。

   帝釈喜見城=帝釈天の居城。須弥山の頂上、忉利天の中央に位置する。

   青衣の童女=青い衣は賤しい召使の衣服。また青衣は采女を指す言葉でもある。

   珍膳=珍しい料理。

 さて、夜に入りしかば種々の珍菓を供へて慰めけり。かかりける所に玉の簪したる女房たち十人ばかり入り来たり給うて、かくのおはすことを喜ばしめて、すなはち桃を*三五供へ給ふ。これは世の常の桃にはあらず、三千年に一度花咲き実成る*崑崙山の桃の種なり。二人これを賞玩す。主の女子すなはち語りて曰く、「ただ今来たり給ふ女房たちはこの辺りに門を並べて住み給ふ人々なり。*汝たちのたまさかにここに詣で給ふことを喜びにおはしつるなり。」とのたまへば、劉晨・阮肇喜びて礼儀正しく言葉を尽くしけり。かの女房たちに酒を勧め給ふ。あなたこなたと盃巡りて、酒宴やや久しく人々興に乗じ給ふ。

 主の二女、琵琶・琴を取り出だして各人(まらうど)の女房たちの前に置き給ふ。*瑠璃を延べたるごとくなる御手をもつて弾き給ふ。その音声の妙なること、まことにたとふべきかたぞなかりける。鳳凰も舞ひ下がり竜神も浮かび出でるばかりなり。やうやう管絃も過ぎしかば客人の女房たちは暇乞ひして帰り給ふ。主の二女は劉晨、阮肇誘ふて夜の臥所(ふしど)に入り給ふ。*比翼連理の語らひ浅からずして、明かし暮らしけるほどに、十五日ばかりになりし時、劉晨・阮肇故郷に帰らんと思ふ心出で来にけり。二女これを悟りて様々に慰めもてなしけるほどに、楽しみによろづを紛らはして月日を送りぬ。その所の*景気はいつも春三月の天気のごとし。野山に花盛んなり。あるいは木の実なれる木もあり。草はみな五穀の類より外の草なし。*百の鳥木々の梢に囀り、もの寂しきことはあへてなかりけり。

 かくて半年ばかり過ぎし時、劉晨・阮肇二女に語りて申すやう、「われら故郷を出でし時はただかりそめに山に入りて薬を取るべしとてここに詣でつるなり。かやうの所に来たりてかかる楽しみを得べしとは、夢うつつにも思ひ寄らざる次第なり。いつまでもかくてあるべき。まことに喜ばしけれども故郷も恋しく侍れば、今一度帰りて老いたる母、幼き子供などに逢うてよくよく暇乞ひして、またこそ参り侍らめ。」と申しければ、二女この由を聞き給うて、「げにも汝たちの仰せらるるごとくに故郷を覚束なく思ひ給ふらんこともいとほしければ、一まづ帰り給うて父母をも拝み、妻子にも逢うてその後また来たり給へ。相待ち申し侍らん。」というて暇乞ひして出だしけり。

 *丱女を招きて、「あの人々を大唐に送り届けよ。」と申されければ、承ると申して劉晨、阮肇を誘ひ山の洞を出でて谷に下り、それより山をあまた越して麓に下れば大なる道あり。ここにして丱女の曰く、「これより*東に向かつて三里ばかり行き給はば人あまた行き交ふ道に出で給ふべし。」と教へつつ暇乞ひして帰りけり。劉晨・阮肇は彼が教へのごとくに東を差して歩みければ、人里近しと見えて煙かすかに立ち上る気色こそすれ。いかさま人倫に近づくよと思ひて出づるところに、人あまた行き交ふ道に出でて、剡県へ行くべき方を尋ね問ひて、終に故郷へ帰り着きにけり。

 さて、剡県の里に到りてみればありし住家も見えず、家ありし所と覚えしは田となり畑となりなどして、いづくを見れども元見し所はなかりけり。まして見知りたる人もなし。こはいかにと怪しく思ひてある家に立ち入りて云ふやう、「この里に劉晨・阮肇と云ふ者の妻子の候ひしはいかになり候ふやらん。」と言ひければ、主聞いて、「左様の人の名は聞きも及ばず。」とぞ答へける。ここかしこの家々に立ち入りしかじかの由を語りて問ひければ、ある家の主この由を聞きて、「まことに世語りにさやうの事を聞き伝へて侍り。昔漢の代に劉晨・阮肇といひし人、天台山に薬を取りに入りて終に帰らずと。すなはちその人の七世の孫なり。」とて*劉しが家を教へけり。二人かしこに臨んで見るに劉しは年八十ばかりの翁なり。しかじかの由を語りければ、かの翁申すやう、「その人々のことは既に二百年あまりに及べり。何故に今尋ね給ふぞ。」と言ひければ、劉晨、阮肇、いかさまこの者不思議なるものと覚えたり。語らんと思ひて二人答へて曰く、「我らはすなはち古の劉晨・阮肇と云ふ者なり。かの山の中に相住みしことわづかに半年ばかりのほどとこそ思ひつるに、かやうに星霜年久しく積もりけるにや。あさましや、今は父母に会ひ奉らんことも、妻子を見侍らんことも、この世にてはかなふべからず。」とて嘆き悲しみければ、主これを聞きて、「さては我らが先祖にておはしますか。昔我らが先祖にしかじかの事ありと親・祖父(おほぢ)の語り伝へ給ふに、名をのみ承り及びつるに、今まさしく御姿を見奉るこそ不思議なれ。」とて涙を流しける。

 さて、里の人々これを聞きて不思議の事なりとて、家々より老少こぞりあひて二人の人を見物し、とりどりに怪しみをなしけり。かくて劉晨・阮肇は暫くここに住みしかども、知らぬ世界に伴ふ方もなきところなれば、よろづにつけて心細く覚えしかば、またかの二女のもとを訪ねて天台山にぞ入りにける。晋の*大康八年、丁未(ひのとひつじ)の年に、劉晨・阮肇隠れ里に入りて行き方知らずなりにけり。

(注)三五=三つか五つ。十五個ともとれるが、ちょっと多いだろう。「幽明録」では

    「三五桃子」とある。

   崑崙山の桃の種=種は実のことか。もしくはその種から育った実か。崑崙山の桃

    は西王母伝説に見える、一つ食べれば三千年生きるという桃。

   汝たち=「幽明録」では「賀汝婿来」とあり、婿入りの祝言の扱いである。ちな

    みに女房の数は3、40人。

   瑠璃を延べたるごとくなる御手=この形容はよくわからない。瑠璃をブレスレッ

    トとして腕いっぱいに装飾しているのであろうか。

   比翼連理の語らひ=男女の深い契り。「長恨歌」に見える。

   景気=様子。有様。

   百の鳥=「幽明録」では逆に百の鳥が望郷を促したとある。

   丱女=童女

   東=中国では、東が平地や海、西が山や異郷というイメージがある。実際川は原

    則的に東流する。

   劉し=劉子、劉氏か。劉晨の後裔。

   大康八年=後287年。丁未。後漢の永平15年からは215年後。