religionsloveの日記

室町物語です。

不老不死⑥-異郷譚2ー

下 その三

 さて日本に不老不死の薬が伝来して知られることに関しては、神代の昔少彦名命(すくなびこなのみこと)と申すた御神は、薬の道をもって天上下地あらゆる人々を施療して病を癒し、諸々の御神には不老不死の妙方を授け申し上げなさいましたので、諸神は皆悉く長生不死の寿齢を保ちなさいました。これを人の世に伝え残しなさらなかったのは、世の人がこの薬を頼りにして、いいかげんな政治をし、恣(ほしいまま)に驕りを極め、世を乱し悪事をなすことを恐たからということです。そのようなわけでこの少彦名命はこの平安京垂迹し五条天神として祀られています。この神社で毎年の節分の夜には朮(うけら)の餅が供えられるのも、人の疫気を祓いなさる不老不死の薬の一部であるからとかいうことです。

 やがて人皇の世となって、その昔雄略天皇と申す帝の御時に、「これより南の海に蓬莱・方丈・瀛洲という三つの島がある。この山は諸々の仙人の住む所である。その内に不老不死の薬があって齢も傾かず命も尽きず、いつまでも変わらぬ世を保ち、常に楽しみある所なので、常世の国と名付けられている。」と語られていました。帝はある時、「数多の臣下の中で誰か蓬莱山に行って、不老不死の薬、ならびに香菓のくだものを取り求めて来る者はいないだろうか。」言い出されました。公卿・殿上人数多い中で田道(たぢ)の間守の命と申す臣下が進み出て、「君の仰せならば、雲に上り地を潜っても、力の及ぶ限りお命じに背かず成し遂げいたしましょう。それがしが一葉の舟を浮かべて南海に赴いて、蓬莱山に尋ね行き、不老不死の薬を求め、香菓のくだものを取って帰りましょう。」と言って、すぐさま御前を罷り立って、大船を拵えて二百余人の供を召し連れて、南海の浜に行って北風を待って帆を上げ、梶を回らして蓬莱山に赴きました。

 やがて順風に任せて南の方二万里ほどを行ったかと思われるところで、大海の内にひとつの山を見つけました。これこそ噂に聞いた蓬莱山だろうと、みんな一同に喜んで舟を岸に寄せようとしましたが、荒い風が吹き下ろして波は高く吹き上がることはまるで雪の山に吹雪が舞うようです。舟は潮にもまれて、波に乗る時には天に上がるような心地がし、波を下りる時には水底に沈むようでしたので、水主(かこ)・梶取(かんどり)も力を失ない、どうにもならずおろおろするばかりでした。田道間守命は舷に立ち出て、北の方角に向って手を合わせて、「日本国天照御神、我れ今君の勅使として蓬莱山常世に国に赴くなり。願わくはこの風を留め給いて、この山に渡し給え。」と念願しなさると、まことに神の御恵みでありましょう、荒い風は静まり、波も止んだので大御神に陸地に舟を上げていただいたように、ほどなく蓬莱山の岸に着きました。

 この山の様子は、碧海の内から六つの亀が六方に並んで、その背中に山を載せて浮かんでいます。山は水晶輪の石畳が麓から峰まで到り、珍しい草木に花が咲き乱れ、暖かなことは常春の気色です。梢に見慣れぬ鳥が音色美しく囀るのを聞くにもまったく不思議な感じがします。

 そこに年の頃十六七と見える美しい仙人の女房が五六人、岩の間を伝って出て来ました。田道の間守はその一人の袖を引いて、「私は日本の天子の御使いです。この山にあるという不老不死の薬を求めてやって来たのです。道案内をしてくださいませんか。」と言いますと、「日本の天子の御使いと聞きましたが、この所はたやすく人間の来るべき山ではありません、はるばるの波を凌いで渡りなさったからには、ただの人ではいらっしゃらないでしょう。こちらおいでなさい。」と言って道案内し申し上げて、岩の間の苔むした路を伝って行きますが、谷を越え坂を上る道すがらの有様は、匠が作る人工の山であってもどうしてこれほどの風景ができるであろうかとと思われ、その趣深さはこの上ありません。

 ニ三里ほど行くと一つの門に到りました。楼門の上に額があります。太真院と書かれています。門では五色の鬼が数多(あまた)厳しく門番を務めていましたが、仙女が帰って来たのを見て、みんな頭を地につけて礼拝しました。田道の命が門の中に入りなさると、七宝の宮殿は宝玉をちりばめて金の糸を縒って入れ違えにして飾り、軒と軒とは垂木を並べて、廊と廊とは長押でつながっていて、楼閣が幾重にも立ち並び、五色の雲が空にたなびき、音楽は演奏する人もいないのに自然と響き聞こえます。よい香りが満ち満ちて光り輝いています。理想郷を壺中の天地といいますがここを離れてどこに仙境があるでしょうか。乾坤(人間界)の外に来たような心地がして、仙女に告げてこれこれと申し入れたところ、仙人が数多く出てきて会い、日本天子の御使いよこちらへと奥の方に招じ入れました。その綺麗美妙なることは心も言葉も及ばないほどです。

 黄金の池の内には八功徳の水を湛え、岸を洗う波の音は琴のような調べで汀の松に届き、白銀の砂の上には迦陵頻・鳳凰・鸚鵡などという鳥が、羽先を並べて囀り舞って遊ぶのも趣深いことです。山から落ちる滝の有様は竜門三級の水のようで、さながら真っ白な布を曝すがごとくで、緑の水は川となって流れてその中には珍しい魚が住んでいます。繁茂する植木にはいろいろな花がその色を争うように咲き、木立ちは絵に描くこともできないほど素晴らしいものです。人の世では見慣れない果物が枝ごとにたわわに実っています。これを見、かれを見るにつけても全く感嘆するばかりです。

 しばらくして音楽が聞こえて蓬莱宮の大仙王の太真君が立ち現れなさり、日本国の御使いに向かって礼儀を尽くし様々にもてなし、そしてその後に瑠璃の壺に不老不死の薬を入れ、橘の果実を取り添えて勅使に差し上げなさいました。田道間守はこれを手に持って、すぐさま舟に乗りこんだので、数多の仙人は岸まで出て見送りのはなむけをしました。

 南の風に帆を張って、ほどなく日本の地に着きました。田道間守にとっては日本の地を出て以来、蓬莱山に赴いて今ふたたび日本の地に帰朝したのはそれほどの期間だとは思っていなかったのですが、なんと三十余年にも及んでいたのでした。帝は帰朝を待ち受けなさっていて、思いの外御年齢はおとりになっていましたが、田道はこの薬を天皇に献上いたしまして、天皇がこれをお召し上がりなさると、その齢は忽ちに若やぎなさいました。また香の菓の果物を早速南殿(紫宸殿)の右近衛の陣の座に植えなさいました。今の右近衛の橘です。橘は蓬莱宮の果物でしたが、この御世に始めて日本に伝わったという事です。

 天皇と間守はただ二人この方術を伝授されて不老不死の寿命を保ちなさいました。そうして四海波静かに治まる御代のしるしとして、麒麟が帝の御園生に来て、鳳凰は御溝の水に影を映しました。そのように天下泰平の徳は表され、国土安穏の恵みを示し、五日に一度吹く風は枝を鳴らさないほど穏やかで、十日に一度降る雨は土塊(つちくれ)を崩さない程優しく、五穀は成就し民は栄えることこの上ない御代だったということです。

原文

 そもそも日本に伝はりて不老不死の薬ありと知ること、神代の古は*少彦命と申せし御神、薬の道をもつて天上下地に施して、病を癒し諸々の御神たちに不老不死の妙方を授け奉り給ひけるによりて、御神は皆悉く長生不死の御齢を保ち給ふ。これを人の世に伝へ残し給はざる事は、世の人この薬を頼みて政を濫りにし、恣(ほしいまま)に驕りを極め、世を乱し悪を作らん事を恐れて人には伝へ給はずといへり。されば今の世までもかの少彦の命はこの平安城に跡を垂れて*五条の天神と申す。年ごとの節分の夜は*餅朮を出ださるるも、人の疫気を祓ひ給ふ、不老不死の薬の片端なりとかや。

(注)少彦命=少彦名命。医薬・酒造・温泉・農業の神。

   五条の天神=京都下京区にある神社。主祭神少彦名命菅原道真とは関係な

    い。

   餅朮=朮(うけら)の餅。追儺の夜に供えた餅。朮はキク科の多年草で薬用・食

    用になる。屠蘇散の原料の一つ。

 *まさしく人皇の世になりて、その上雄略天皇と申す帝の御時、これより南海に*蓬莱・方丈・瀛洲とて三の島あり。この山は諸々の仙人の住む所なり。その内にこそ不老不死の薬ありて齢も傾かず命も尽きずいつまでも変はらぬ世を保つに、常に楽しみある所なれば、常世の国と名付けたる。帝ある時のたまひ出だされけるは、「数多の臣下の中に誰か蓬莱山に行きて、不老不死の薬ならびに香菓のくだものを取り求めて来るべきや。」とのたまふ。公卿・殿上人多き中に*田道(たぢ)の間守の命と申せし臣下進み出でて、「君の仰せならば、雲に上り地を潜りても、力の及ばん事をばいかでか背き奉らん。それがし一葉の舟に浮かび南海に赴きて、蓬莱山に尋ね行きて、不老不死の薬を求め、香菓のくだものを取りて帰り申すべし。」とて、やがて御前を罷り立ちて、大船を拵へ二百余人の供を召し連れ、南海の浜に赴き北風を待ち得て帆を上げ、梶を回らして蓬莱山にぞ赴きける。

 かくて順風に任せて南の方二万余里を行けるよと思しきに、大海の内にひとつの山を見つけたり。これこそ聞こゆる蓬莱山なりとて、みな一同に喜びつつ舟を寄せむとする所に、荒き風吹き落ちて波高く上がることたとへば雪の山のごとし。舟は潮にもまれて波に乗る時には天に上がる心地し、波を下るる時には水底に沈むがごとくなれば、水主(かこ)・梶取(かんどり)も力を失ひ、いかがすべきとあきれ惑ふ。田道の間守の命は船梁(舷か)に立ち出でつつ、北の方に向かひ手を合はせて、「日本国天照御神、我れ今君の勅使として蓬莱山常世に国に赴くなり。願はくはこの風を留め給ひて、この山に渡し給へ。」と念願し給へば、げにも神の御恵みに荒き風静まり、波も留まりければ陸地(ろくち)に舟を上ぐるがごとくにして、ほどなく蓬莱の岸に着きたり。

 かの山のあり様、*碧(みどり)の海の内より六の亀六方に並びて、その背中に山を載せて浮かび出でたり。山は*水精輪にして岩を畳み麓より峰に到り、奇しき草木に花咲き乱れ、暖かなることいつも春の気色なり。梢には見慣れぬ鳥の色音よきが囀るを聞くにもいと珍らかに覚えたり。

 かかる所に年の頃十六七と見ゆる美しき仙子の女房五六人、岩間を伝ふて出で来たる。田道の間守袖を控へて、「我はこれ日本天子の御使ひなり。この山にあるといふ不老不死の薬を求むるために来たりてあり。道しるべし給へ。」とありしかば、「日本の天子の御使ひと聞くからに、この所はたやすく人間の来るべき山にあらず、はるばるの波を凌ぎ渡り給ふは、これただ人におはしまさず、こなたへ来たり給へ。」とて道しるべ申しつつ、岩間の苔路を伝ひ行き、谷を越え坂を上る道すがらの有様、匠作れる山なりともいかでかこれほどの風景あらんと、おもしろさ限りなし。

 やうやう行くことニ三里ばかりにして一つの門に到りけり。楼門の上に額あり。太真院と書きたり。門には*五色の鬼数多厳しく番を務めたりけるが、仙子の帰り来たるを見て、みな頭を地につけたり。田道の命門の内に入り給へば、七宝の宮殿玉をちりばめ金を縒(え)りて入れ違へ、軒と軒とは垂木を並べ、廊と廊とは長押を続けて、楼閣重々に峙ち、五色の雲は空にたなびき、音楽は自ずからなす人なしに響き聞こゆ。異香満ち満ちて光り輝く。*壺中の天地といふともここを離れてはまたいづ方に仙境あらん。*乾坤の外に来れる心地して、仙子に告げてかくと申し入れたりしかば、仙人数多出で会ひつつ、日本天子の御使ひこなたへとて奥の方に招じ入れたり。綺麗美妙なることは心も言葉も及ばれず。

 黄金の池の内には*八功徳の水を湛へ、岸を洗ふ波の音は琴の調べ、汀の松に通ひ、白銀の砂(いさご)の上には迦陵頻・鳳凰・鸚鵡なんどいふ鳥、羽先を並べて囀り舞ひ遊ぶもおもしろや。山より落つる滝の有様は竜門三級の水、さながら著(いちしる)く白き布を曝すがごとく、緑の水は川を流して内には奇しき魚住めり。繁りあひたる植木にはいろいろの花色を争ひ、木立ちは絵に描くとも及ぶべからず。世には見慣れぬ果物は枝を分かちて*成りこだれたり。是を見、彼を見るにつけていとどめでたさ勝りけり。

 しばらくありて音楽聞こえて蓬莱宮の大仙王太真君立ち出で給ひ、日本の御使ひに向かつて礼儀を尽くし様々もてなし、さてその後に瑠璃の壺に不老不死の薬を入れ、*香の菓(かくのこのみ)の果物取り添へて勅使に奉り給ひけり。田道の間守の命これを取り持ち、やがて舟に取り乗りければ、数多の仙人は道送りのはなむけしつつ岸までぞ出でにける。

 南の風に帆を引きて、ほどなく日本の地に着きたり。始め日本の地を出でて蓬莱山に赴き今すでに日本の地に帰朝せしを久しからず覚えしが、三十余年に及びけり。帝待ち付け給ひしが、御齢のことのほかに傾け給ひしが、田道はこの薬を天皇に捧げ奉る。天皇これを聞こし召し給ふに、御齢忽ちに若やがせ給ふ。また香の菓の果物をばすなはち*南殿の右近衛の陣の座に植えさせ給ふ。今の右近衛の橘なり。橘は蓬莱宮の果物なりしを、日本に伝はる事はこの御世よりも始まれり。

 天皇と間守の命ただ二人この方術を伝へて不老不死の寿を保たせ給ひて四海波静かに治まる御代のしるしとて、麒麟は*御園生に来たり、鳳凰は御溝の水に影を映し、天下泰平の徳を表し国土安穏の恵みを示し、*五日の風枝を鳴らさず十日の雨土塊(つちくれ)を破らず、五穀成就し民栄えて尽きせぬ御代とぞ聞こえし。

 

(注)まさしく・・・=掉尾にあるこのエピソードが最も語りたい内容なのであろう。

   蓬莱・方丈・瀛洲=三神山。中国の伝説で東方絶海にあって仙人が住むという

    山。

   田道の間守の命=田道間守。新羅王子天日槍の子孫。記紀に見える。

   碧(みどり)の海=碧海。滄海。大海原。

   水精輪=水晶輪。水晶でできた輪。

   五色の鬼=赤鬼、青鬼、黄鬼、緑鬼、黒鬼。

   金を縒(え)りて入れ違へ=金で縒った糸で宝石を入れ違いにする。モザイク模

    様のイメージか。

   壺中の天地=俗世間とかけ離れた別天地。

   乾坤=天地の間。人の住む所。

   八功徳の水=八つの功徳を具えている水。極楽浄土にある八功徳池に満ちている

    という。

   竜門三級=竜門の三段になった滝。滝は急流の瀬。鯉がここを上りきると竜にな

    るという。登竜門の語源。

   成りこだれり=垂れ下がるようになる。たわわに実る。

   香の菓=かくのこのみ。かくのみ。橘。

   太真君=太真院の主人である仙女。「長恨歌」では楊貴妃がそれとされる。

   南殿=紫宸殿。右近衛府には橘が植えられていた。

   麒麟=伝説上の動物。良い政治が行われると出現するという。鳳凰は聖天子出生

    の瑞兆。

   御園生=植物園。

   五日の風枝を鳴らさず十日の雨土塊を破らず= 「風不鳴條、雨不破塊、五日一

    風、十日一雨。(論衡 是応)」とあり、世の中が平穏無事であることのたと

    え。しかし、まとめとしては「不老不死」からずれる。