religionsloveの日記

室町物語です。

弁の草紙①ーリリジョンズラブ7ー

その1

  前仏釈尊がこの世を去って早や二千余年が過ぎた。その経典の巻巻は残ってはいるが、世は衰えてそれを学ぶ人は少ない。衆生を救うという後仏、弥勒菩薩はまだ世に現れず、種々の魔障がやって来て人々を悩ましている。この世とあの世の間にさまようような悪夢は覚めることなく、更に世は乱世となって、法師は袈裟・衣を着て仏道に励むことを忘れ、俗人には正式な衣・直垂を身につけて正道を行おうと言う者はいない。僅かばかりいる心ある人は、どうしてこの状態を嘆かないことがあろうか。

 何時の頃であったろうか、常陸の国の行方の郡に、竹原左近尉平正保という者がいた。武芸は人より優れ、武運は並びない人であった。その先祖を尋ねると、桓武天皇より六代の後胤、平将軍貞盛卿である。その末孫が流れ来て、常陸の大丞となった平貞国の次男であった。学問を好んて、夏は閑窓に蛍を集めて、その光で書を読み夜を明かし、秋は板葺きの屋根の隙間から洩れる月の明かりを待って文を書き、四季の移り変わりの折々には、和歌を嗜んでは過ごしていた。

 ある時、どのような機縁であったのだろうか、人の世の盛衰に思いをめぐらして、

 「言い古されたことだけれども、蜉蝣のはかない命も、朝顔が日の出を待って萎れてしまう間の短いひと時も、これらはみんな我々人の有様に異ならない。」

 という思いに達して、出家発心を願う心が募っていった。和歌を嗜む身であるから、古く鳥羽院の御世に佐藤兵衛憲(義)清(どちらでも、のりきよと読む)が、髻(もとどり)を切って剃髪し、墨染めの姿となって、西行上人と名のったのも、羨ましく思われるのだが、父母の御心や北の方の嘆き想像すると、さすがに思い切ることはできず、悶々としながら空しく月日を送っていた。

 正保には三歳になる御子いた。またその秋の頃から、北の方には懐妊の兆しがあり、それは正保にとってこの上なく喜ばしい出来事であった。ある時、北の方に向かって、

 「しばしお聞きなさい。憂き世の無常は定めなきものではあるが、とりわけも弓馬の家(武士の家)に生まれたからには、夕日の落ちるのをさえ待たずに命は果てるかもしれない。この年月願っていた出家の道を果たさないで死んでしまったならば、死後の極楽往生もどうなることにか。」

 と言って、我が子の髪をかき撫でて、

 「この若君は武士の家に生まれたからには、出家は許されまい。若し今度生まれてくる子が男ならば、法師となして私の亡き跡の菩提をも弔わせておくれ。そうすれば御身までも救済されることであろうぞ。」

 と懇々と説くのである。北の方にとっては、たとえそれが冗談ではあっても、まことに不吉な事ではあったのだが。

 このようなとりとめのない話が現実の結果となったのだろうか、その冬の頃、国に兵乱が起こって、竹原正保は討ち死にしてしまった。父母・北の方の嘆きは言うに及ばず、一門一族・他家の人までもみな、その命運を惜しまない者はいなかった。

 さて、年が改まり春となって、北の方は、涙ながらにも出産を迎えた。生まれたのは世になく清らかな玉の男御子であった。主を失った嘆きの中の一筋の喜びとして、この御子は、大切に養い育てられたのであった。 

 御名は、千代若丸と申した。

 

原文

 夫れ、*前仏は早や去りて二千余歳の春秋に過ぎたり、経巻は残ると言へども、世衰へて学ぶ人少なし。后仏(後仏)は未だ世に出でずして種々の*まほう来たりて人を悩ます。*中有(ちゅうう)の闇に惑ひ、夢覚め難く、剰(あまつさ)へ乱世となりて、法師は袈裟・衣を忘れ、俗は*しゃうゑ・直垂と言ふことなし。わづかに心ある人、誰かこれを嘆かざらむ。  

 ここに、何の頃、常陸の国*行方の郡とかや、竹原左近尉平正保と言ふ人あり。武芸人に優れ、武運並びなき人なりけり。その先祖を尋ぬるに、桓武天皇より六代の後胤、平将軍貞盛卿末孫流れ来たりて、常陸の*大丞、平の貞国卿の次男にてぞおはしける。学問を好みて、夏は*閑窓に蛍を集めて夜を明かし、秋は*まきの屋の隙洩る月の影を待ち、四季転変の折々には、*敷島の道を嗜み給ひける。

 ある時、いかなる御心やおはしけむ、人間の盛衰を案じ出だして、

 「*言旧りたる例へなれども、蜉蝣の仇なる命も、朝顔の出でる日を待つ間も、みなこれ我らが様なり。」

 と思ひえて、発心の志深くなりて、古(いにしへ)*鳥羽院の御世に佐藤兵衛憲清、髻(もとどり)を切りて、剃髪墨染めの姿となりて、西行上人と名のりしも、羨ましく思へども、父母の御心・北の方のお嘆きを、さすがに思ひ煩ひつつ空しく月日を送りける。

 御子あり。三歳にならせ給ふ。またその秋の頃より、北の御方*ただならず、いとど思ひの催しなり。ある時北の御方に向かひ参らせ給ひて、

 「且(しばら)く聞き給へ。憂き世の無常は定めなきものなれど、中にも弓馬の家に生まれては、夕日の落つるをも*跡さべからず。この年月願ふ道に後れ侍らば、後生いかがはせん。」

 とて、幼き人の髪をかき撫でて、

 「この若は武士の家に生まれ侍り聞こゆる間は、人許さじ。若し生まれ来たらんが男ならば、法師になりて我が後の跡をも訪はせ、御身も助かり給へ。」

 と懇ろにのたまひし、まことに*忌まはしきなどなりけり。

 かやうのはかなし事の積もりにや、その冬の頃、国に兵乱起こりて討ち死にし給ひけり。父母の御嘆き、北の御方は言ふに及ばず、一門一族・他家の人までもみな惜しまぬはなかりけり。

 さて、*あらたまの春にもなりて、北の御方、お産も泣く泣くし給ひけり。世に清らなる玉の男にてぞおはしましける。嘆きの中の喜びにて、*生立(おほした)てかしづき給ひけり。

 

(注)前仏=末法の後に現れる弥勒菩薩(后仏)に対して釈迦仏を言う。

   まほう=末法か。魔法か。「種々の」の形容は魔法にかなうが、仏教での用例は

    見られない。「来る」のだから、とりあえず魔障と解した。

   中有=人が死んで次の生を受けるまでの期間。中陰。

   しゃうゑ=上衣・正衣・浄衣?文脈からすると、正式なきちんとした装束の意で

    あろう。

   行方の郡=茨城県南東部の郡名。

   大丞=原文は「大烝」。「大弁(官職の一つ)」の唐名

   閑窓=人里離れた静かな窓。「翰窓(書斎)」かもしれない。

   まきの屋=檜などの板で葺いた家。

   敷島の道=和歌の道。

   言旧りたる=言い古された。

   ただならず=懐妊している。

   跡さべからず=語義未詳。「室町物語大系」では、「憑へからずカ」と傍注があ

    る。武門に生まれたからには夕日が落ちるのも待たずに死んでしまうかもしれ

    ない、との意か。

   忌まはしき=自分の死を前提とするような発言が、不吉な予言となった、という

    事。

   生立てかしづき=「生立(おほした)つ」「かしづく」共に、養い育てるの意。