religionsloveの日記

室町物語です。

鳥部山物語①ーリリジョンズラブ6ー

 

その1

 この世はなんと無常なものであろうか。

 武蔵の国の片隅に、とある精舎があり、多くの学僧が仏道に励んでいた。その司である某の和尚と申す方の弟子に、民部卿という者がいた。この民部は容色は端正で、学道への志も深く、仏典だけではなく、史記など漢籍の難しい経巻をも読みこなし、和尚も頼もしく思って常に側近く召し使っていた。常々、松吹く風に心ときめかし、谷を流れる水の音に心を慰めながら、深い仏法の淵源を尋ね求め、窓には蛍を集め飼い、枝には雪を積み慣らし、その蛍雪で学びにいそしんでいた。周囲の人々は、その才気でいずれは法灯を掲げてこの世の闇を照らす高僧にになるだろうともてはやしていた。

 その頃、九重(宮中)では何とかいう御修法があって、諸国から高僧たちが集い参内する事があった。この和尚もその数に入って、召されて上京することになった。精舎こぞって大騒ぎで旅の準備を整え、夏の初めに都へ、向かった。当然お気に入りの民部も同道する事になったのである。

 武蔵野は、初夏の木々の梢も青々と繁り、庭の千草も花の色を添えて、とても涼し気な宵の間の三日月もすぐに草場に沈み、古今集の「紫の一本ゆゑに武蔵野の草はみながらあはれとぞ見る」ではないが、余情がしみじみと感じられる。民部が出立の後の事などを何くれと同宿に託しているうちに、夏の短夜は浮き枕で休む間もなく、ほんのうたた寝するばかりで夢だけを残して夜はすっかり明け、旅立ちということになった。

 東路の旅は十日余りで都に着く。

 乱世といい、荒廃しているとはいってもやはり都、九重の歳月を重ねた荘厳さは、民部の目には神々しく映った。御修法は数日で終わったが、和尚はすぐに帰国する様子もなく都で月日を送っているうちにその年も改まった。空はくまなくうららかに晴れ渡り、雪間からは青んだ草が萌え出でて、民部の心も自然とのびのびする。まして田舎育ちの身には玉を敷き詰めたような都の豪壮な家屋敷は、庭園をはじめとして見どころ多く磨き立ててあり、詳しく説明しようにも、言葉を尽くすことができない程であった。

 とある日、都の四方の山々の春霞が晴れていく頃、民部は「そういえばまだ名高い桜の名所も見ていないなあ。」と思い立って、おなじく花見をしたいと思っていた同宿たちと連れ立って、北山の方を目指して出かけた。花見の人出でごった返して、老若貴賤が色とりどりの粧いで行き交っている。その中で、傍らの桜の花陰に寄せてひときわ鮮やかな牛車が停められていた。付き従っている下僕たちが近寄って、「とても趣深い花の様子を御覧なさいませ。下草も菫交じりでゆかしく咲いていますよ。」などと車の中に語りかける。その声に促されるように車から降りた稚児は、年の程は十六には足りぬほどで、色々に染め分けた衣を柔らかく着こなして桜を眺めている様態・髪型・後ろ姿など、この世の人とも思われない程で、艶やかな様子は計り知れないほど美しい。

原文

 とにかくに、常ならぬものはこの世なり。

 ここに、先(さい)つ頃武蔵の国の*片方(かたへ)に、物学ぶ*精舎(さうざ)なむありけり。その司(つかさ)某の和尚とかや聞こえし人の御弟子に、民部卿と言ひしは、容色いと清げに心の根ざし深く、我が家のことならぬ、史記などやうの難き巻巻をだに方々に通はし読み聞こえ給ふれば、こと人よりも*すくよかに思し給ひ、傍ら近く召されて、年頃仕え奉りぬ。

 常はただ松風に眠りを覚まし、谷水に心を遣りて、*深き法の水上を訪ね、窓の蛍を睦び、枝の雪を慣らして、法の灯し火を掲げつべき*さきらはあればとて、片方の人もいと*もてなすなるべし。

 さればその頃、*九重になにの*御修法(みしほ)かありて、国々より貴き僧たちの参り集ふことなむ侍りける。この和尚もその数に召されて上り給ふべきに定まりければ、上・中・下、旅装ひとてののしりあへり。頃は夏立つ初めなれば、木々の梢も繁りあひ、庭の千草も色添へて、いと涼し気なる宵の間の月も、やがて草葉に隠れ、武蔵野の名残り覚えて、*紫のゆかりあれば、後のことなど何くれと言ひこしらへぬるうちに、短き夜半の浮き枕、結ぶともなきうたた寝の、夢を残して明け離れむとする頃、あずまの空を立ちて、日数十日余りに都になむ着きぬ。

 何事も衰へたる世とはいへど、なほ九重の*神さびたる様こそこよなうめでたけれ。かくて程経ぬれば、御祈りの事は果てぬれど、なほ帰るほども*ゆるぎなければ、その事ともなく月日を送りけるほどに年も返りぬ。

 空の気色名残りなく、うららかに雪の間の草も青み出でて、自づから人の心ものびらかに、まいて玉を敷ける*御方々は、庭より始めて見どころ多く、磨き増し給へる有様、*まねびたてむも言の葉足るまじくなむ。

 いつしか都近き四方山の端、霞の余所になりゆく頃は、まだ見ぬ花も面影に立ちて、同じ心の友どちうち連れ、*北山の方へと志しける道の程に、老いたる・若き・貴き・賎しき、行き来る袖も色めき合へる中に、*さはやかなる車片方の木陰に寄せて、付き従ふ男(をのこ)なんど差し寄りつつ、「いとをかしき花の気色御覧ぜよ。菫交じりの草もなつかしく。」なんど聞こえければ、下り給へる粧ひ、年の程まだ*二八にも足り給はぬほどなるが、色々に染め分けたる衣いとなよやかに着なして、眺め給へる様体、*頭付き後ろ手なんどこの世の人とも思はれず、艶やかなる様計りなし。

 

(注)片方=場所。田舎。

   精舎=寺院。

   すくよかに=壮健で頼もしく。

   深き法の水上=仏法の教義の源泉。

   さきら=才気。

   もてなす=もてはやす。

   九重=宮中。内裏。または都。

   御修法=国家または個人のために僧を呼んで密教の修法を行う法会。宮中では正

    月に真言院の御修法を行うが、季節的にそれとは異なる。

   紫のゆかり=「紫の一本ゆゑに武蔵野の草はみながらあはれとぞ見る(古今集

    雑上}」による。武蔵野の情景に後ろ髪引かれる思いがあったのか。

   神さびたる=古色があり荘厳な。

   ゆるぎなければ=動きがない。帰る気配がない。

   御方々=家々。

   まねびたてむ=見聞した物事の有様を詳しく言い立てる。

   北山=京都北部の山々。

   さはやか=鮮やかで美しい、の意か。

   二八=十六歳。

   頭付き後ろ手=髪型や後ろ姿。