religionsloveの日記

室町物語です。

上野君消息(こうづけのきみしょうそく)①ーリリジョンズラブ4ー

 その1

 比叡山の横川谷、首楞厳院(しゅりょうごんいん)に、大輔の阿闍梨という方がいた。

 治承四年の夏であったか、一人の少年が同宿となった。三井寺より難を逃れてきたという。少年は自分のことを多くは語らなかったが、父君が上野の国にゆかりがあるという事で、我々は「上野君」と呼んだ。まだいとけない、十一歳であった。

 上野君は、たとえてみれば蜉蝣を見るように儚げで、四季の折々、日々の営みにつけても、何か心さみしく感じるようであった。日々の勤めで仏前に香華を供えて、心を澄まして念珠を摺り礼拝するときも、おのずと涙がこぼれるのである。我ら同宿にそれを見とがめられると、俱舎論の頌の経巻を手に取り、詠みあげて涙を隠し、何事もないように振る舞ってはいたが、気付かれぬはずはない。

 房主の阿闍梨も、上野君のしおれている様子を気遣っては、自室に呼び入れては諭すのである。

 「上野よ、幼く無邪気であるはずのおぬしのようなものが、このようにいつもふさぎ込んでおっては、心の病に取りつかれて、天宮に召しとられてしまうかもしれぬぞよ。もそっと溌溂とはせぬかな。それに、貧法といって仏法を疎そかにする者だから、このように心弱くもあるのだ。すべからく仏道を修すべし。学すべし。」

 と言って聞かせるのである。上野君は、それは美しい稚児なのであるが、師の仰せに従って、気丈に隠そうとしても、その美貌の中にどこか憂いの面持ちが漂うのである。

 この年頃の少年は、日に日に変貌していく。昨日あどけなくはしゃいでいた男の子が、翌日には全く違った表情を見せるのである。それは大人のそれとも違う。男のそれとも違う。十三四歳ごろの、大人でもなく子供でもなく、男でもなく女でもない、全てのグラデーションのあわいに浮かび上がるような、幻のようで、しかしその瞬間には確かに存在する。それゆえにえもいわれぬ魅力的な芳香を放つ。

 上野君はそのような年齢になっていった。かてて加えて、上野君は類まれな美貌の持ち主で、そのたたずまいには心映えの美しさもにじみ出ていたのである。

 一体、当時の比叡山は、「一稚児二山王」と世間から揶揄されていた。本来は、伝教大師比叡山に初めて登ったときに、最初に稚児に出会い、次いで山王に出会ったという故事から、稚児は神聖なものとされるとの意味であったが、やがてそれは山王権現を顧みず、稚児への男色に耽る僧侶をあざける言葉となったのである。それほどに比叡山では男色は蔓延していた。いや、叡山だけではない。三井寺・南都、貴族・武士に至るまで大いに流行していたといってもいい。「法華経安楽行品」や「往生要集」では、それは「邪淫」とされてはいたが、多くの僧は破戒の意識なしに稚児を愛していたのである。両性的な魅力のある稚児は、華麗な衣装を身にまとい、法会や宴席で妖艶な歌舞を披露しては大衆の賞玩の的となっていた。アイドルである。叡山は女人禁足の地であり、僧侶は教義上は女犯は禁じられている。稚児はやがて僧となる。

 上野君は、横川の谷々、首楞厳院の内々では類ない美童としてもてはやされ、事あるごとに、一座の花形として遊興に誘われた。春は比良の峰でひねもす山間にほころぶ桜をもてあそび、秋は志賀の唐崎で夜もすがら湖上に浮かぶ月を愛で、常に求めに応じて振る舞い、人々は心ゆくまで楽しんでいた。しかし、私は気付いていた、上野君は人に気遣い、興ざめするような振る舞いは決してしなかったが、心の底から遊びを楽しんでいたわけではないことを。

 上野君が平素、物思うことありげにしていると、同宿は何か子細があるのかと心配し、心の内に何か気がかりがあるのかと声を掛ける。しかし、上野君は曖昧に笑っているばかりである。心のステージが違えばただ空虚な言葉が行き交うだけっであることを無意識にわかっているのであろう。同宿の私が言うのもおかしなことではあるが、仏の道は名聞や利益を得るための道、日々の生活はおのれの欲望を充足させるためのものとしか考えていない者の曇った瞳には、稚児の心の内までは映らないのである。

 いささか言い過ぎたかもしれない。僧房を訪れる人々は自堕落な輩ばかりではない。無論仏道に刻苦し、法門に詳しい修学者もいる。多いとは言えないのだが。上野君は遊び戯れている中にも、そのような修学者と思しきがいると、好んで物語を乞うた。戯れ話ではない。仏とは何か、浄土とは何か、真如の月とはいかなるものか、おのれの心の霧を晴らすすべを尋ねた。

 釈迦牟尼仏が、修行によって悟りを得たこと、五百の善知識に導かれたこと、釈迦が衆生を救うために示した八相成道とはどのようなものか、悉達太子が王宮を出て檀特山で苦行したことなどは特に上野君の心にかなうものだったようである。上野君の胸裏には一刻も早く出家を願う気持ちが募ってきた。

 上野君は師匠の大輔の阿闍梨に何度も出家を申し出た。阿闍梨は僧界の中では立派な方である。しかし、僧界が名利の組織であるから、その価値観からは逸脱はしない。おのれの地位は大切であり、美童は稚児として傍らに置いていたい。聖なる中の俗なのであるが、それが普通なのである。阿闍梨は申し出があるたびに何かとはぐらかした。出家が許されたのは十六の年である。

 これは決して遅すぎる年齢という訳ではない。しかし、上野を慮っての許可ではない。華奢で繊細な少年の姿態はそのころを境に頑健で剛毅な大人のそれに変わっていく。上野君もまた大人へと変貌していくのである。中性的な美貌は雄々しい大人の男のそれに変貌していく。それに伴って、大衆の求める稚児もまた、新たに入山してくる稚児に移っていく。いわば比叡山における人的再生産の一環である。稚児は念者となり、その念者が稚児を育む。

 しかし、上野君は違っていた。上野の求めるものは、現世の利益ではなく、仏堂の成就であった。おのれが享楽の内に栄達を遂げ、美童を侍らすことではなく、真の悟りを求めることであった。私はそう思う。

 出家剃髪して、円厳という法号を賜った上野君は、すぐさま千日入堂した。千日の入堂がどれほど過酷なことか、肉体的にも精神的にも言うに及ばない。まして、仏智を磨くことにおいてやである。

 円厳は、仏法を講説しては、横川谷に並ぶ者なく、類まれな修学者として、四季講の講者の衆に選ばれたのである。四季講とは、叡山中興の良源が自坊、定心房(四季講堂)で優れた学生を集めて、春・秋に広学竪義(探題の出す論題に堅者が答える)いわば超エリートのお披露目の場である。その一員と認められたのである。

原文

 *天台山、首楞厳院の住侶、*大輔の阿闍梨の*同宿に、少人ありき。歳十一なり。

 事にふれてもののあはれ▢▢知り、常には心を澄まして、仏に花香を供えては、つくづくと仏前に候ひて、涙を流し、念珠を摺り、礼拝をする時、同宿に見つけられては俱舎の*頌をとりて、何心なくもてなして、明かし暮らすほどに、房主の阿闍梨の曰く、

 「幼き者の、いたくかかるは、*天宮に取らるることもあり。また、*貧法の者はかやうにあるぞ。」

 と言ひて、年月を過ごすほどに、年十四五になりぬ。

 さるほどに、見目かたち・心ばせ*わりなき児にてありければ、谷中・院内*もてなすこと、ならひなくなりぬ。春は花をもてあそびて、日を暮らし、秋は月を眺めて、夜を明かし、常は人も、もてなし遊ぶこと、様々なるほどに、人をば*すさめねども、遊びに心入れたる気色、内心さらになかりけり。

 常には、*物思ふことありげにて、過ぐれば、人々は、*やうやうしく思ふ人もあり。また、心の内、よに*おぼつかなかる人もあり。

 さてのみ、明かし暮らすほどに、多く遊びに来たる人の中に、修学者とて、法門よく知りたる人には、貴き物語せよと勧めて、釈迦仏の*因行果徳を語り、*五百の知識を▢▢給ふことを聞きたがり、*八相成道の儀式、ならびに、王宮を出でて、*檀特山(だんどくせん)に入り給ひしことを聞きては、興に入りて、心地をよくして過ぐるほどに、急いで出家の志あり。

 房主に常に進め申すによ(っ)て、十六歳にて、出家せさせて、やがて、千日の入堂始めて、千日入堂終はりぬ。谷中の*講説に入りぬ。

 さるほどに、*尋常の修学者と許されて、*四季の講と申す、大講演の衆に入り了りぬ。

(注)天台山、首楞厳院=天台山はここでは比叡山のこと。延暦寺の三塔の一つ横川の

    横川中堂のこと。または、横川の総称にも用いられる。

   大輔の阿闍梨=本文は「室町物語大成」所収の尊経閣文庫蔵写本の一本のみのよ

    うである。欠落した箇所が多く、大成では▢で表示している。▢のまま表示し

    たところと、文意によって文字を当てたところがある。なお、原文はカタカナ

    書きだが、詠みやすいようにひらがなで、漢字等も適宜改めた。原文「大浦

    ▢▢▢(ユウノアシャリとふりがなあり)」阿闍梨の上には通称としての官職

    名がくることが多いので「大輔」と当てた。

   同宿=同じ僧房に起居するもの。

   頌=経典の韻文の部分。経典は長行(散文)と偈・頌(韻文)から成る。呪(ま

    じない、真言、陀羅尼)もある。俱舎論の頌のみを一巻にまとめたものか。

   天宮に取らるる=「天宮」は天人の宮殿。命を取られること。

   貧法=未詳。「貧道(仏道修行の貧しいこと。徳の薄いこと。)」から類推する

    と、仏法修行に貧しいことか。または「貧報(前世の所業を受けて貧苦の報い

    を受けることか。

   わりなき=格別に優れている。

   もてなす=大切に扱う。

   すさめねども=嫌い避けることはないが。

   物思ふ=思い耽る。思い煩う。悩む。

   やうやうしく=子細ありげに。

   おぼつかなかる=気がかりである。不審である。

   因行果徳=「果徳」は修行の結果得られる徳。修行によって徳が得られること。

   五百の知識=多くの高僧。

   八相成道=釈迦が衆生を救うために示した八種の相。

   檀特山=原文は「壇徳山」。「檀特山(だんどくせん)」は北インド、ガンダー

    ラ地方にある山。釈迦の前世、須太拏太子が菩薩の修行をした所。俗に釈迦修

    行に地といわれる。

   講説=仏教の経典を講義解説すること。講説する人、講師。

   尋常=優れている。(普通の意味ではなく、優秀の意。「あしびき」に用例あ

    り。

   四季の講=平安中期の僧良源の住房、四季講堂(元三大師堂)で春秋に優れた学

    生を集めて行われた広学竪義(こうがくりゅうぎ・弁論大会のようなもの)。