religionsloveの日記

室町物語です。

2021-03-01から1ヶ月間の記事一覧

鳥部山物語④ーリリジョンズラブ6ー

その4 すると民部はいてもたってもいられず、さらに返歌をする。 「散りも始めず咲くも残らぬ面影をいかでか余所の花に紛へん (残らず咲いて散り始めない満開の桜をどうして別の所の花と見間違いましょう か。私が見初めたのはあなたに他なりません。) 全…

鳥部山物語③ーリリジョンズラブ6ー

その3 民部は その配慮がうれしく、やや心が晴れる心地もして、身支度をして、かの蓬生の家を訪ねた。 宿の主は非常に歓待して、数日もすると互い気の置けない仲となったのであった。また、をの翁の子で、まだごく年若くはあったが、情けを解する少年が慕い…

鳥部山物語②ーリリジョンズラブ6ー

その2 民部は稚児の姿を遠目にほのかに見だけだで、すっかり心を奪われた。花見も十分堪能し、さあ帰ろうかとなっても、花ならぬ稚児をのみうっとりと見惚れ続けている。これでは一緒に来た人々も、さすがに気が付いて言い出すかもしれない、それも思慮に足…

鳥部山物語①ーリリジョンズラブ6ー

その1 この世はなんと無常なものであろうか。 武蔵の国の片隅に、とある精舎があり、多くの学僧が仏道に励んでいた。その司である某の和尚と申す方の弟子に、民部卿という者がいた。この民部は容色は端正で、学道への志も深く、仏典だけではなく、史記など…

嵯峨物語(全編)ーリリジョンズラブ5ー

序文 およそ男色の道の長い歴史を繙くと、西域(天竺)・中華・本朝に至るまで盛んに行われていたいたようである。 仏陀の説くところでは、糞門を犯し、口門を犯すことは邪な行為として、男色を非道と名付け、功徳円満経には末世の比丘は小児を愛する罪によ…

嵯峨物語⑭ーリリジョンズラブ5ー

本文 その12 中将は、 三年間父上の行った道を改めることなく守ってこそ孝子の道と言えるのに、勅命なので拒否できるわけもないが、どれほども経たないのに住み替えたことは、何とも畏れ多く罪深いことだと思いなさって、つらいことと思い悩んでいました。…

嵯峨物語⑬ーリリジョンズラブ5ー

本文 その11 年も改まり、毎年の事ですが、新鮮な気持ちで、日の光ものどやかで、すがすがしい空の様子に、人の心も喜ばしくなります。慶賀の歌を奏上する人も多く、仙洞御所で歌会が催されました。中将も参内して、「立春の心を」という事で次のように詠…

嵯峨物語⑫ーリリジョンズラブ5ー

本文 その10 一方、一条郎は松寿君都へ戻って中将となってからは、文を伝える術もなく、かといって思いを断ち切ることもできないでいました。鬱々たる思いで、京師にさまよい出でてゆかりある古御所を訪ねて、様々なことを語り合って、鬱屈した心を晴らそ…

嵯峨物語⑪ーリリジョンズラブ5ー

本文 その9 やがて死後の弔いも済ませて、松寿君は父の遺言通り、内裏へ出仕することとなりました。帝も故中納言殿の生前の功労の偉大さを思い出しなさって、出仕したその日にも松寿を元服させ、中将に任じました。 これよりは、紀中将康則と名のりなさいま…

嵯峨物語⑩ーリリジョンズラブ5ー

本文 その8 松寿君が都へ帰りなさると、母君は待ち受けなさっていて、 「それにしても長いこと会っていなかったので、どのようになっているのかと思いも募っていましたが、こんなにもすばらしく成長しなさって。自ら志した学問の道なので場所は選ばないとは…

嵯峨物語⑨ーリリジョンズラブ5ー

本文 その7 「父中納言殿は御具合がよくなく、患っていましたが、ただの風邪だろうかと気にも留めずに過ごしていましたが、急に病状が悪化したようでございます。御使いではなく、あなたご自身が急いで都へおいでなさい。その際には僧都もお誘いなさい。御…

嵯峨物語⑧ーリリジョンズラブ5ー

本文 その6 夜が明けて、せめて遠目にだけでもと、一条郎は松寿君のいる院に行って物陰から窺いますと、折悪しく不在のようだったので、立て切ってあった障子の端の方に詩歌を書き付けました。 標格清新早玉成(標格清新早く玉成す) 問斯風雨豈無情(問ふ…